二、邂逅
| 山姥切国広、薬研藤四郎、一期一振
「たーいしょ」
背中に掛けられた声に振り返る。あえて全開にしていた戸の端からひょこりと顔を覗かせた彼は、白磁の肌に漆黒の髪をさらりと揺らしていた。体格的には幼いのに淡く微笑む顔は大人びている。
「薬研」
「よ、邪魔したか?」
「いいえ、大丈夫」
政府とやり取りしている交換日記は先ほど提出し終えた。この本丸に就任してから少し経ったものの、戦力は決して多くはない。幾度もの出陣に耐えられる備蓄も、遠征に行けるだけの人数も足りておらず、今は初期刀と初鍛刀の二振りと私。それと、一匹か。まだまだこの本丸は広い。
「そろそろだぜ」
にんまりと笑う顔にしっかりと頷く。初期刀と相談して初めて鍛刀した彼は、焦らずにゆっくり仲間を増やしていけば良いと綺麗な笑みを浮かべた。繊細に作られた造形をしている薬研が快活に笑っている姿を見て、それもそうだと初期刀は深く頷き私も納得して笑った。日々をゆっくり歩いていけば良い。焦る必要などない。この本丸は、始まったばかりなのだから。行くか、との誘いに頷いて自室から続いている中庭の戸へと視線を向ける。薬研はそんな私を見て今日のあいつはそこに居るのかと淡く目を細めていて。私が交換日記を書いている間は邪魔にならないようにとこの部屋を抜け出す背中に気にしなくても良いのにと思うけれど。それが優しさなのだろう。
「ゆっくりと言った奴が、まさかオール八百十で鍛刀するとはな」
「あはは、精霊と固く拳を突き合わせているのを見て笑うしかなかったわね」
仲良く固まって廊下を歩きながら、この本丸の初期刀である山姥切国広は大きな溜息をついた。
「ま、景気付けってやつだな!」
「豪快さが既にカンストしているようね」
ふふふ、と思わず笑ってしまう私に対して笑い事じゃない!と山姥切は唇を尖らせて怒っている。まあまあ、薬研の鍛刀時とは異なる時間の表示に山姥切も私も目を輝かせたのは間違いないもの。
「誰かしらねえ」
「さあなあ」
私の隣を歩き口角を上げる薬研とは裏腹に、先頭を歩く山姥切は無言のまま鍛刀部屋の戸を開ける。待っていましたとでも言うかのようにぶわりと眩い光が部屋を満たしていて目を細めてしまう。傍らへと視線を移し、ひと仕事を終え息を吐きながら腰掛けた精霊を労うために笑い掛けた。
「あなたたちよりも大きいのね」
宙に浮かぶ眩い太刀は柔らかく私の手の内へ舞い降りてきた。こうして手にした刀は三振目。隣に並ぶ子たちよりも大きいそれを撫でると心なしか薬研が纏う空気が高揚していることに気づく。
「薬研?」
「ああ、俺っちの知っている刀でね」
爽やかで、優しく細められた目を見ながら、そうなのねと頷く私は薬研とは逆隣に顔を向けた。
「……なんだ?」
首を傾げる山姥切は平静な声色を出して同じくらいの高さにある目線を寄越してくる。けれども、その身に纏う大きな布の端を握る手が小さく震えていることに気づいてしまえば、見逃してあげることは出来ない。思うことがあって手に持っていた太刀を宙へと預ける。大きな手を覆い隠せるほど私の手は大きくないけれど、体温を分け与えるように触れ合わせればびくりと肩が揺れた。
「不安になった?」
透き通る青が浮かぶ意志の強い瞳はついと視線が外れた。思いの外、指先で撫でた手の甲は硬い。
「大丈夫よ」
大丈夫。私は穏やかな声を出しながら何度も何度も固い手の甲を撫でていく。同じくらいの目線であっても、体格が違う。私の手では知り得ないことを、この子たちの手は知っているのだろう。
「何があっても、この本丸は私と初期刀のあなたとで始まったのだから」
これから先に一体何が待ち構えていたとしても。私の初めての刀剣男士はあなただけなのだから。
「あなたは、あなただから」
そうでしょう?私は笑って薬研へ視線を向ける。山姥切とは逆隣に居る薬研がからりと笑って。
「ああ、その通りだな」
固く握られていた手の平に込められている力は幾分か緩んでいったみたい。ゆっくりと開いていく大きな手を視界に納めながらもう一度撫でて。なんの前触れもなく山姥切の肩を抱き寄せた。
「なっ…!」
一瞬で頬を赤らめていく表情を視界の端に捉えながら頭を寄せると、慌てた山姥切に笑い掛ける。
「私の山姥切国広。私の、最初で最後の山姥切国広」
大丈夫、何も不安になることなんてないわ。あなたと始まったこの本丸で、あなたと一緒に仲間を増やしていく。これから先にどんなものが待ち受けていたとしても、恐れることなど何もない。
「ははは、うちの大将は男前だな!」
ぎゅうっと音が出そうなほど、快活に笑う薬研は山姥切ごと私を抱き締めた。いつも思うけれど男前なのは薬研だと思う。彼は変わらずははは、と大口を開けて笑っているのに対して山姥切は。
「山姥切?」
山姥切は頭を覆う布をこれでもかと引き下ろして震えていた。一体どうしたのだろう、この子は。
「苦労するなあ、山姥切」
薬研は山姥切と私に向かい合わせになるような位置へ移動すると、そのまま細長い腕を伸ばし私たちを引き寄せてぎゅうぎゅう抱き締める。隣の山姥切は震えたまま。よくよく耳を澄ませて聞いてみると、声にならない声のようなものが小さく漏れている。大きな布の端から見え隠れしている色白の肌に淡い赤が差していることに気づくと、珍しいなと思ってしまった。首を傾げる私に薬研は意地悪く笑うばかりで。徐に口を開こうとすれば、意を決したような山姥切の瞳が覗く。
「…山姥切?」
名前を呼ぶ私の声に応える声はないけれど。その代わりに、今度は私が声にならない声を出す番だった。突然伸びてきた力強い腕が私の肩を引き寄せてぎゅうぎゅう抱き締めてくる。同じように引き寄せられた薬研と目を合わせた後、息を溢しながら笑って自分の腕に力を込めた。良かった。彼は、彼等は、喜びを感じ笑ってくれている。異なる存在である刀剣男士と審神者という立場に思い悩むこともあるけれど。私はそのことを理解して、堪らないほどに安堵をするのだった。
***
「さあて、置き去りにしちまったな」
人型のものたちを見ながら肩を竦めて笑う精霊に、審神者がこんのすけからもらった金平糖を渡す。一人と二振で気が済むまでおしくらまんじゅうをした後、宙へ浮かばせておいた太刀へと向き合う審神者と、その一歩後ろで控えている二振の刀剣男士。先ほどと同じように手を向けると、ふわりと優しい動作で線の細い両手の平に収まる大きな刀。それを見下ろし、甘やかに目を細めて。山姥切と薬研が見守る小さな主の背中はどんな時も凛とした佇まいだ。白魚のような指先を揃え綺麗な刀身をゆっくり撫でたかと思えば、審神者は深呼吸して凪いだ心へと集中した。
「…綺麗なもんだな」
眩い光が鍛刀部屋いっぱいに満ちていく。自身の目が捉えるあらゆるものに山姥切は目を細めていた。無意識のまま、自然と溢れた声は思いの外大きく隣に並んだ薬研も柔らかな笑みを浮かべながら首肯する。この温かな光は二振も経験している。彼等もまた、この光に引っ張られて目を開けたのだ。穏やかな表情を浮かべたのも束の間。ちり、と上がる温度に山姥切は顔を顰めた。
「…薬研」
「これは様子が変か?」
「ああ」
薬研はこの光景を見るのは初めてだが、何か言い知れぬ違和感を感じていた。確かに上がっているように感じた部屋の温度は光のせいかと思っていたが、自分が引っ張られた時はどうだったかと考えると何かが違うように思えてならない。はっきりと温度は感じたが、決してここまでの熱ではなかったはずだ。なんだ、何が起こっている。眉を寄せ目の前に居る主の華奢な背中を睨むように見つめてしまう。自分が持つ感覚を何度探ろうとも、主が持つ刀は間違いなく薬研が知る刀だ。記憶にある彼は暖かさこそ感じるが、主にこんな強い熱を向けるような刀だっただろうか。
「主!」
山姥切は、普段なら滅多に出さないような声色と呼び方で審神者を呼んだ。その瞬間、二振の目の前には燃え盛る炎の渦が現れ勢い良く己の主を覆い隠そうとしていて。室内にあってはならない熱量と布や肉が焼ける嫌な臭いを感じ、焦る。どうしたらいい、自分たちに一体何が出来る?
「主!その刀を離せ!」
山姥切の怒声にはっとした。太刀から溢れ出る炎は勢いを増すばかりで。それなのに主は微動だにせず目の前に佇み続けている。小さな手の平には刀身を乗せたままなのだろう。炎は決して広がらない。薬研と山姥切を掴むでもなく、この部屋の何かを引っ掻くこともない。ただ、主に縋りつくようにその体を抱き締めていた。轟々と唸る炎の勢いに二振は身動きも出来ないまま、伝い落ちる汗の感触だけを理解する。主は刀身を抱き締めた状態で、何かを紡いでいるようだった。鍛刀部屋に満ちる温度でいよいよ二振が目を開けられなくなり始めた時、その声は聞こえたのだ。
「……炎だ、……熱いっ…ああ……」
確かに聞こえた。苦しそうな、どこか悲哀に満ちた声色。薬研は弾かれたように顔を上げて叫ぶ。
「いち兄!落ち着け!……頼む、大将が…!」
肉の焼ける音。じゅっと弾けて天へ登る水蒸気。無意識のうちに固く握った手の平から赤が滴る。
「一期一振!」
今度は薬研が、腹の底から大きな声を出した。その瞬間、隣に並んだ山姥切が息を呑む。轟々と唸り声を上げていた赤黒い炎は、瞬く間に桃色の花弁へと変わり辺り一面に弾け飛んでいる。あんなにも部屋に満ちていた渦巻く熱が嘘のように、舞い散る桜がひらひらと踊りながら薬研の頬を撫でていた。そしていつの間にか目の前には、己の主の元で膝をつき頭を垂れた男が居る。
「劫火に囚われし一期一振、その目で確かめてご覧」
審神者は静かな動きで男の頬に両手を添える。腰の位置を落とし、立ち膝になったかと思うと男の額に己の額を当てた。そろりと目線を上げる男の虚ろな瞳はゆっくりと目の前の審神者を映す。
「あなたは生まれたのよ、一期一振」
ひらりと舞う花弁が一枚、二枚。とても数え切れない程の桃色が一人と一振の周りを囲い踊った。
「非力な私に、あなたの力を貸してちょうだい」
柔らかく浮かべられた微笑みを目にして男は息を呑む。あまりにも穏やかで、どうしようもないほどに甘やかな微笑みは何もかもを慈しむかのような色を浮かべていて。頬に添えられた小さな手の平から伝わる優しさに満ちた温もりを認識し覆い隠すように男もまた自身の手の平を添えた。
「劫火より蘇りし一期一振、この身をあなた様へ捧げます」
主殿。互いだけが知っているべき秘め事を囁くかのような吐息混じりの声。男が息を吐くように紡いだのは視線を合わせ続ける審神者のことだ。薬研が息を吐くと、山姥切が堪らずに駆け寄る。
「あんた、手を見せろ」
次いで薬研も弾かれたように駆け寄り、片膝をついた山姥切の背から主の方を覗き込んでみる。
「山姥切、薬研、心配をしてくれたのね」
からりと笑う表情も自分たちに向けられる穏やかな声色もいつも通りだが、山姥切がそっと取った手の平を見ると思わず顔を歪めてしまう。白くしなやかな手の平に浮かぶ赤黒い色はこうして人型を模する前から幾度となく見てきたはずなのに。己の主にはあまりにも似合わない色だと改めて思ってしまうからこそ山姥切は思い切り眉を寄せ、薬研は眉を下げながら目を細めてしまう。
「大丈夫よ、大したことないの。見た目が大袈裟なだけ」
「黙ってろ!」
何よりも大事にしようとする己の主に対してこんな声を上げた姿はただの一度も目にしたことがなかった。山姥切らしくない。そうは思うものの、山姥切だからこそこんなにも真剣な声を出すのだろう。なんて、きっとこの場でそんなことを言おうものなら自身もお叱りを受けるのだろうと分かっているから薬研は口を開かない。すぐにでも主の治療をしたいところだったが一つ深呼吸をした薬研は落ち着かせるように山姥切の背をさすり、眉を下げた新しい仲間へと顔を向ける。
「久し振りだな、いち兄」
「……薬研か」
さすがの薬研でもこの場をどう取りなせば良いのか分からなかった。殺気立つ山姥切と、困ったように目を細めながら初期刀を見上げる審神者の間に言葉はない。肌を切りつけるような緊張感というか、沸々とした苦渋が空気に染み出しているような気がするのは分かっているのに。今、自分が何かを言ったところで聞き入れられることはないのだろうとも思ってしまう。少しでも落ち着くようにと、小さく震える山姥切の背中をさすり続ける薬研は兄弟と同じように眉を下げた。
「薬研、俺はいい。主を治療してやってくれ」
ふう、と大きく息を吐き出した山姥切はようやく冷静になり平常心を思い出したのか、その体から溢れ出た危うさは形を潜めたようだった。薬研はその声に頷くと救急箱を持ってくるよう頼む。握っていた主の手をそっと離し二つ返事で立ち上がる背中を見送ると、ようやく主へ向き直った。
「ごめんなさいね、薬研」
「いいや、俺っちもかなり心配してるんだぜ?」
なんだって一体、こんなことに。つい先ほどまでこの部屋を満たしていた轟々と唸る炎のことは、きっと己が折れるまで忘れることなどないのだろう。主は劫火に囚われたと言った。主の傍に膝をついたままの一期一振はいつの日かあの赤黒い炎に焼けたと考えるのが妥当だろう。一度刀世を終えてもなお、兄弟は己を焼いた炎の熱をその身に閉じ込めたままなのだろうか。昇華など出来ず、審神者という存在に引っ張られ人型を模したこの身に生まれてもまだ苦しみから逃れることが出来ない。今になって考えれば、刀という無機質な存在であった頃も喜怒哀楽を知ってはいた。あの時は意識をしたことがなかったが、と思い返す薬研の前で目線を下げる兄が小さく呟く。
「…私の、せいですね」
息苦しそうに絞り出すような声が耳に届き、なんと言葉を掛けるべきか悩んでいれば主が笑った。穏やかに、優しく。いつも通りの声色に、いつも通りの慈愛に満ちた甘やかな表情を浮かべて。
「ふふふ、こんなの、どうってことないわよ」
「こんなことでは済まされません!私は、あなたに怪我を……」
「ならば今此処で折れるか?」
音もなく現れた山姥切が救急箱と水の入った桶をそっと置いた。よく気が利くなと内心では感心しながら礼を言えば首を横に振って。その力強い眼光はまっすぐに一期一振へと向けられている。
「折れて、償うか」
「……いいえ」
ほんの一瞬の間をおき、一期ははっきりと否定した。迷いのない強い色を灯す瞳で山姥切を見る。
「この身を焼く炎をも使って、私は主殿の剣となりましょう」
もう二度と、私の炎で主殿を焼いたりしない。己の主を焼いたことを誰よりも悔やんでいる男は、殺気すら感じられるほどの眼光で山姥切を見返す。その言葉は己に対する戒めでもあるのだろう。
「ほーら大将、どうだ?」
「うん、大丈夫よ。ありがとう薬研」
桶に入った冷水で冷やし、薬を塗り込んで。包帯で封をされた両手の平を握り、開くを繰り返した審神者は頷く。痛みはないのだろうかと思ってしまうほど表情は相変わらず穏やかなままだった。その涼やかな表情とは裏腹に、両手の平はじくじくと熱を孕んで爛れている。きっと熱が消え、滲む赤が肌色の皮膚に覆われた後も傷跡は消えないだろう。これは、それほどの怪我だった。
「大丈夫よ」
一人と、三振が揃う鍛刀部屋で審神者は穏やかに笑った。大丈夫よ、と呟く声色はいつも通りだ。
「これ以上の焼かれる痛みを知っているから、大したことないのよ」
何もかもを包み込んでしまいそうな、眩い慈悲で彩られた微笑み。なんてことはないとでも言うかのように紡がれた言葉。小さな体の内側で主が思い浮かべるのは一体どんな記憶なのだろうか。