二十四、旧悪を暴く

| 山姥切国広、薬研藤四郎、一期一振

「よ、大将」

 待たせたか?と微笑みながら首を傾げて見せるのは薬研。指定した時間よりも幾分か早い到着に、首を横に降る。薬研の後に続いて邪魔するぞと声を掛けてきたのは山姥切だった。

「失礼致します」

そして更に後から続く一期の姿を視界に入れて私は頷いた。音もなくするすると開いた障子戸は再び音を立てることなく身を寄せ合うようにして外の空気を締め出す。随分と賑やかだった昼間とは打って変わり、夜の帷に包まれた我等が本丸はいっそ不気味なほど静まり返っていた。それはまるで私の心の内を反映させているかのように感じてしまうのは、仕方がないことだと思う。

「ごめんなさいね、夜遅いのに」
「いいや、構わんさ」
「ああ見えて弟たちは物分かりが良いのです」

畳の上で正座する私と相対する三振は倣うように腰を下ろし目線を合わせる。目元を和らげる薬研と、涼しげな顔で頷く一期。そういえば、以前彼等の弟である乱が口にしていたことを不意に思い出して納得する。私は己の身勝手さで彼等に伝えていないことが沢山あるけれど、乱はそれを知っていると言っていた。互いが近いからこそ知れてしまうこともあるのだろうか、なんて。

「その、単刀直入になるが」

僅かに彷徨わせた瞳が物語るのは気まずさ。決して器用ではないながらも私の心情を汲もうとしてくれるところが初期刀として共に過ごす彼の優しさなのだろうと思っている。構わないと断りを入れてから私の気持ちを案じて話を促してくれたことにありがとうと笑む。山姥切はほんの少し下唇を噛み締めたかと思えば、天に向かって伸びた背を更に伸ばすように姿勢を正すのだった。

「最初に話すなら、あなたたちでなければと思って呼んだの」

強張る表情をどうにかしたくて笑ってみたけれど、上手く笑えているとは思えなくて。頭を過ぎる神楽鈴の音の正体に気づいたあの日から二、三日ほど過ごした。頭を整理しようと思っていつも通りに生活してみたけれど、どこか顔が引きつっているように感じていた。声を掛けてくるのは短刀たちだけに限らない。誰も彼もがどうした具合でも悪いのかと心配そうに寄ってくるものだから情けなく思ったほどで。一番最初に私の異変を目の当たりにした石切丸だけが普段と変わらない笑みで接してくれたことには本当に救われた。とはいえ、彼とて何もかもを理解した上で言ったわけではなく何となしに思い浮かんだ言葉を口にしたに過ぎなかったはずだ。深く追求することもなくいつも通りに振舞ってくれる精神力には敵いそうもないなんてこっそり苦笑する。

「今から話すことが、何を意味するのかはまだ分からないの」

だけど、事実として聞いてくれるかしら。震えそうになる自身を宥めるように、一度だけ深呼吸した。私と向かい合うように座る三振はただ真っ直ぐにこちらを見つめてくれている。言葉はなくても、その表情が私を安心させてくれるものであったことに強張った肩の力が抜ける気がした。

***

 死んだ人間が一体どこへ行ってしまうのかは、死んだ者にしか分からない。だけど、なぜか人間たちは皆等しく信じていた。人間には肉体という器の中に目に見えない魂という概念が入っていて、魂こそがその者が持っている思考や想いを司っているのだと。肉体は有機物で構築されているから、寿命を迎えればやがて朽ち果ててしまう。器の老朽化は生き物が持つ内外の老いという概念であり、肉体の寿命とは現世での死を意味している。持って生まれた器がなくなった魂は単体だけでは現世に留まることが出来ないという約束ごとがあるものの、決して消えてしまうことはない。概念は、生き物が持つ唯一の不滅なのだ。死という肉体の終焉を迎えても、その者は消えてなくならない。魂だけが存在し続けるという信仰はつまるところ生き物の真髄は永遠に生き続けるという言い換えのもとに続く願いであった。何者であっても絶対に抗うことの出来ない死という出来事は、高い感受性を持つ人間にとって簡単に看過出来るものではないのだろう。人間という生き物は手に入らないものほど強く求める傾向が見られるように思う。誰も彼もが失ったものに恋い焦がれるのは一体なぜなのか、私には到底理解出来るものではなかった。私の意思のようなものは気がついた時には既に存在していて。だけど、あくまでも意思があるだけで人間でいうところの肉体のような実体があるわけではなかった。今になって考えれば意思の存在を認識した瞬間に自分は既に自分であったのだと整理出来るけれど、あの時の私に自分のことを客観的に見る能力があったかと言われたらそれは否だとはっきり言える。神楽鈴の九十九神である私は、人間たちの行いを見ていた。私という概念の実体はなくても、神楽鈴として現世を見ていた。決まって見るのは神降ろしの儀。この行いがいつから始まったのか正確なところは分からない。ただ人間たちは魂が不滅であることをひたむきに信じていたし、いつの間にか呼び寄せることを生業とする者すら存在するようになっていて。死んだ人間の魂は清浄な天でしか存在することが出来ず、天に満ちるのは神気でありその道を極めた者だけが魂を呼び寄せることが出来るなんて一体誰がそんなことを考えたのだろう。千早を纏う清い巫女が舞えば死んだ人間の魂が帰ってくるなんてことを、一体どんな理屈で確信出来るのだろうか。藁にも縋る思いで死者に焦がれる姿を盲目と呼ばずしてなんと表せば良いのか、未だ他の表現を見つけるに至ってはいない。神降ろしに必要とされるものは、千早を纏った美しい巫女と神を呼ぶと言われる神楽鈴を使った舞。それから、対象の者の名前と魂を入れるための器。たったこれだけで死んだ者を呼び寄せることが出来るという。儀式などと称していつの間にか大層な祭壇が設けられ、その場所に駆け込む者の数を最初のうちは数えていたけどすぐに飽きてやめてしまった。毎日毎日よくもまあ沢山の人間たちがやって来るものだと思ったのは呆れでもあったのかもしれない。神は、見目の良い者を好む。美しく清らかな巫女は耳触りの良い鈴の音に織り混ぜるようにして対象者の名前を詠って神を呼び、己の舞で持て成し機嫌を取ろうとする。どこからか寄ってきた『それ』は辺りをうろうろと彷徨い、やがて虚ろを見つめる年端もいかぬ子供につるりと滑り込むようにして入っていく。その様子は何度見ても薄ら寒いものを感じた。それまでろくな反応も見せなかった子供がカッと目を見開き、線の細い体を大きく震わせるのもほんの束の間で。次の瞬間にはっきりとした言葉を発する者もいれば、何かを確かめるように器である肉体を動かし徐々に馴染んでいくのを理解して嬉しそうに笑う者もいた。空虚を見つめていたはずの子供の瞳に、確かな意思のようなものが浮かぶようになったことは間違いない。ただ、その様子を見て打ち震えるほど歓喜し涙を流しながら抱き締める依頼者たちの姿には、どうしたって悍ましさを感じずにはいられなかったのだ。

 目で見ることが叶わない魂とその者が生きていた頃に使われていた名前が紐づいているなんて、一体誰が言ったのだろう。得体の知れない人間が呼び寄せた『それ』を生きていた頃に知っていたその者だとどうして信じられるのだろう。どんな謳い文句を使っているのかは知らないけれど、結局のところ執り行っているのはただの人間であることは間違いなくて。そんな人間たちが行った神降ろしで呼び寄せ、器につるりと入り込んだそれはきっと人間の魂なんかじゃない。死んだ人間は、滅多なことがない限り元の世界に戻ってなんか来ない。少なくとも、神気を極めたと自己申告する人間にそんな芸当は持ち合わせていないはずだ。例えその事実を知らなかったとしても、何かおかしいと不審に思うことくらい容易だろうに。人間たちがその胸の内に抱える本当の悍ましさは、愛してるなんて言いながら歓喜の涙を流すことではない。その者の名を呼び何かしらの反応を示せばその器に該当の魂が戻ってきたのだとどこまでも真っ直ぐに信じているところであり、後から何者かが入ったことで元から器に入っていた誰かが消滅したことを気にも留めないところだと思った。そんな出来事を何度も、何度も。ひたすら目の前で見せられることに吐き気がした。死ぬということは、死という概念を肉体が迎え入れることだ。自然の摂理に身を委ね、際限のない眠りにつくということ。それを踏みにじり死を覆そうとする考えを抱くだけでなく、実際に行動として遂行してしまう人間たちの傲慢さが心底気持ち悪いと思った。目の前で生きている者を現世から消し去り、代わりに死を迎え入れた者の名前に染みついた匂いに惹かれてやってきた何者かを平気で入れ替えてしまう。こんな歪んだ儀式は、行われるべきものではないのだ。

「だあれ?」
「……私が分かるの?」

 突如絡んだ視線に戸惑いを感じた。一体何を言っているのかとでもいわんばかりに首を傾げた一人の幼い少女は真っ直ぐに私を見上げていて。空虚な瞳に映るその姿を認識して、咄嗟に己へと視線を落とす。ただの概念だったはずが、知らずの内に実体を得ていたようだった。思っていたよりも随分早かったと言うべきかもしれない。人間の幼い少女からも認識されるようになってしまった現状を一体どんな気持ちで受け止めたら良いのか分からなかった。人間が抱く想いの力は、時に私のような概念を生み出すことがある。そして、積もり積もった想いはやがて大きく膨れ上がり温められた結果に実体を得ることもあるという。神降ろしなんていう願いを具現化したような儀式に縋る人間の想いが想定していたよりもずっと強い。噂が噂を呼び、尾ひれをつけて人々の心を泳ぎ回っている。死の匂いに惑わされ抗えない甘美さに絡め取られてしまった人間たちが神降ろしを求め崇める度に自分の中に満ちていく力や気配が強く、より濃くなっていくことが分かってしまう。止められない。高まっていくばかりの人間たちの想いや願望を消してしまうことはとても出来ないと思った。どうしたら良い。はっきりとしていく自分の存在をどうすれば。

「お姉ちゃん、とっても綺麗」

虚ろな瞳で微笑む人間の子供につきりと痛んだ胸。私は綺麗なものなんかじゃない。歪んだ表情を浮かべる私にどうしたの?と小さな手の平が伸ばされる。宥めるように頬を滑っていく温もり。

「どこか痛いの?」
「……ううん、そうじゃないの」

小さなそれに自分の手の平を重ねる。甘やかなこの温度を、失わせたくないと思ってしまった。

「あのね」
「なあに?」
「私と、一緒に行きましょう」
「お姉ちゃんと?」
「そう、あなたが良ければ」
「行く!」
「ふふふ、良いお返事ね」
「良い子?」
「ええ、とっても良い子よ」

私の言葉を聞いて花が咲いたようなとびきりの笑顔が彩っている。ふにゃりとしたあどけない笑みはまるで、永遠にも感じられる闇夜を一瞬で拭い去る鮮烈な朝日のようだと思った。徐に伸ばされた両腕に応えようと中腰だった体を同じ目線の高さまで降ろし近づける。そのままふわりと飛び込んできた小さな体を受け止めれば、ぎゅうと甘やかな力で抱き締められた。温かい。恐る恐る慎重に抱き締め返した小さな体が与えてくれる温もりに、じわりと滲んだ目頭が熱くなった。

***

「なるほどなあ」

腕を組んだ薬研が感慨深そうに呟き、少しだけ深い息を吐き出した。

「確かに、大将の気は人間のそれとは違うような気がしていたんだが」
「……そうなの?」
「ああ。でも、ただ単に大将の力が強いだけかと」

まさか大将が俺っちたちと同じだとは思ってもみなかったけどな。思い込みってやつはやだねえ。そんな風に息を吐きながらやれやれと肩を竦めて見せる薬研を前に、ほんの少しだけ苦笑する。

「あなたたち、あまり驚かないのね」
「ん?いや、これでも十分驚いてるぜ」
「でも、私……」

まごつく唇をやがて噤んでしまう私は少しずつ視線を落としていく。徐に一期が息を吐き出した。

「あなたが一体何であろうとも、あなたであることには変わりありません」
「そーいうこと。あんたは俺っちたちの自慢の大将だ」
「異論はない」

その言葉に恐る恐る目線を上げれば、真っ直ぐにこちらを見ている瞳とかち合って。唇を噛んだ。

「……ありがとう」

正直に言えばどんな風に話そうかと考えるよりも、話した後にどんな反応が返ってくるのかが全く想像出来なくて。彼等が一体どんな顔でどんなことを話すのか。想像するだけで恐ろしかった。

「俺が……、俺があんたの最初で最後の山姥切国広なんだろう」

室内で輝く穏やかな行灯の明かりが山姥切の碧の瞳を照らし、煌々と輝いているように見えて。

「それならあんたは、俺の最初で最後の主だ」

違うか?と真面目な表情のまま問われた声に、意識などしなくても泣いてしまいそうになった。

「……いいえ、違わない。私があなたの主。私が、この本丸の審神者よ」
「お、ちゃんと分かってるな」

薬研がにっと笑いながら頭を撫でてくる。大将は偉いぞ、とそのまま抱き締められて体が震えた。

「話してくれてありがとうな」

背中をやんわりと撫でてくれる柔らかな手の平の温もりをとても大事に愛おしく思う。小さく小刻みに震えてしまう私に気づいた薬研が、ふと吐息だけで笑いながら大丈夫だと言ってくれた。

「まあ、でも、大将の具合が悪いのかって弟たちが心配してるんだ」

明日で良いから安心させてやってくれよな、との言葉に傍の一期も頷く。明日はうんと甘やかしてあげないと、とようやく笑った私を一期が穏やかに微笑んで見ていた。伸ばされた大きな手が、優しく頬を撫でていく。その心地良さに堪らず擦り寄ると蜂蜜色の瞳が甘やかに細まった。そのまま、親指で唇をなぞられて。手袋越しからじんわりと伝わる熱じゃなく直接感じたいと思った。

「あ、あんたたち良い加減に……」
「ははは、抱き締めてるのは俺っちだってこと、忘れてるんじゃないか?」

顔を赤くした山姥切の裏返った声を聞いた薬研が、ゆっくり顔を上げる。そのままからからと笑い僅かな距離があけられて。それを確認した一期はすっかりいつも通りの涼やかな顔で私を見る。

「少々気になることが幾つか、」
「ええ、どうぞ」
「まず、あなたが九十九神であるならば形代があるはず」
「そうね。私もすぐにそう思い至って探したけれど、見つからなかったわ」
「見つからない?」
「そう。少なくとも此処にはないようね」
「……そんな」

まるで自分のことのように、あまりにも悲痛そうな面持ちの山姥切に笑い掛ける。一応、分かってはいる。九十九神にとって自身の形代というものはこの世界と繋がる唯一の手段だということを。刀剣男士が自身の刀を形代にして顕現していることを例に考えれば、形代が九十九神にどんな影響を与えるものなのかは容易に想像がつく。九十九神は所詮概念の存在なのだからこの身そのものに死が訪れることはない。とはいえ形代が傷つけば概念そのものに傷がつき、一度でも破壊されたら存在自体を保てなくなってしまう。己の分身といっても過言ではない形代が手元にないということは、この存在を常時脅かされているのと同じ意味だと正しく理解はしていた。

「此処にはないけれど、どこにあるかの目星はついているの」

それに、きっと破壊される心配はないはずよ。私の言葉に三振が何とも言えない表情を浮かべる。

「まあ、確かめてみるから。ここは任せてちょうだい」

ね?と首を傾げてゆるりと笑って見せる。そう、きっと私の形代はあそこにある。根拠もないのに、確信的な自信だけが自分の中にあって。それを読み取ったのか、息を吐いた一期が口を開く。

「もう一つだけ」
「ええ、良いわよ」
「今のあなたは、間違いなく審神者となった」
「そうね」
「あなたを審神者にさせた者が居るでしょう」
「ふふふ、一期は本当に鋭いわね」

その問いになんて答えるべきなのか、言葉を考える。一期はどこまで考えてそう言ったのだろう。

「うーん。今の私は残念ながら答えを持っていないわ」
「……ああ、それもそうですね」
「ええ。一つだけ分かるのは、自分の意識がないところで私は審神者となっている」
「そうした者が、あなたの形代も持っていると?」
「今はそう考えているわ」
「……それが出来るのは、」
「さあ、果たして本当にそんな事が出来るのかまだ分からない」

聞いてみないことにはね。苦笑を浮かべながら肩を竦める私と特に驚いた様子も見せることなく当然のように会話する一期を、山姥切も薬研も信じられないようなものを見る目つきで見ていた。

「……大将も、いち兄も、……そりゃあ……」
「……良く回る頭も考えものだな」

並んだ二振は互いに顔を見合わせたかと思うと悩ましげに頭を抱えてしまっている。

「ふふふ、変な主を持ってしまった宿命ってやつね」
「今更ですな、どこまでもお供致しますよ」

あまりにも自然と掛けられる言葉に、甘やかな色合いすら感じられる笑みに。分け与えるようにそっと触れられて感じる温もりに何度救われていることか。きっと彼等は知らないのだろうけど。