二十七、旧悪が暴かれる
| こんのすけ、山姥切国広、薬研藤四郎、一期一振
「主さま」
ぽてぽてとした足音が傍に寄ってくる。目線を向けると、宝石のように輝く瞳と視線が絡んだ。
「いらっしゃい、こんのすけ」
「今日はお天気がよろしいですね」
「ええ、本当にね」
近侍である一期がまとめた本日の戦績を時の政府へ報告するために添削していた私はこんのすけの頭を撫でる。たっぷりの毛量が気持ち良くて幾度か繰り返せば、大きな瞳がゆるりと細まって。
「ねえ、こんのすけ」
「はい、主さま」
「今日、少し時間をもらえない?」
もちろんで御座います、と私を見上げるその瞳が僅かに揺れているように見えるのはそう思いたいだけなのかしら。この小さな体を動かしているのは命の力ではなく機械の力だと言ったのはこんのすけ自身。だけど、それにしては大きな瞳が映す光があまりにも生き物じみていると思ってしまうのは一度や二度のことではなかった。決してこの思いを、誰にも言いはしないのだけれど。
自室に集まったのはこんのすけと山姥切に薬研、それから一期。よいせと座る薬研の後に口を開くものは居らずしんと静まり返った空気が降り積もっていくようだった。座卓を間に相対するのは刀剣男士三振と反対側にこんのすけ。私は上座ではなく両者の間へと腰を落ち着かせている。
「ねえ、こんのすけ」
口火を切るのは、私の役目だと思った。こんのすけが担う役目は時の政府にとってあまりにも大きいものだ。それはいつの間にか大きくなってしまったものだと表す方が正しいのかもしれない。なんにせよ、その小さな体を無駄に足止めすれば一体何を怪しまれるかは分からない。単刀直入で申し訳ないけれど、話を進めさせてもらうわね。そう言えば、こんのすけは私を見て頷いた。
「私の形代は、どこにあるの?」
いつだって私から瞳を逸らさないこんのすけが初めて目を伏せた瞬間だった。どこか憂いを帯びたその表情に、三振がざわりと神気を揺らがせている。やめなさいと宥めるように視線を向けるのに、彼等は私がそんな風に自分たちを見ていることを分かっていて敢えて無視してくる。そんなことは初めてで思わず顔を顰めてしまう。自身を落ち着かせるように息を吐き出しこの僅かな時間の間に、優秀なシステムにすぎないという小さな存在が一体どれだけのことを考えたのだろうと視線を戻した。こんのすけはやがて視線を上げ、一度瞬き深呼吸する。そんな仕草さえ数多のパターンから選び出された最適解なのだとしたらもしかすると私は自分の中にある一つの考えすら答え合わせが出来ずに終わるのではないかと思っていた。そうして、こんのすけは口を開く。
「私があなたに関する情報を話すのは、タブーとされています」
正直に言えば、こんな問いを投げ掛けたところでまともな答えが返ってくるとは微塵も思っていなかった。だから、私が何かを勘づいているという事実をこんのすけを通して時の政府へ伝えることが出来れば最初の一歩くらいにはなるのではと考えていて。困ったように眉を下げるこんのすけには、そうでしょうねと頷こうとするけれど話はそれで終わらないようで再び口が開かれる。
「もし、あなたへ話したことが上に感づかれたら、私は間違いなく処分されてしまいます」
ですが、と真っ直ぐこちらを見上げる大きな瞳の輝きは、あの日と寸分も違わないと思えた。
「あなたには申し訳ないことですが、私はあなたと共に居たいのです」
決して処分されるわけにはいかない。私は、あなた様と共に歩むことをお約束致しました。私自身がそうしたいからです。そうしたいと願い、私はあなた様の願いを受け入れました。だから、一つだけ私から提案をさせてください。そんな風に口にするこんのすけに続きを促すことにする。この口からお話出来る情報は限られたものとなるでしょう。ただし必ずあなた様が真実と向き合えるよう尽力致します。何卒、ご容赦いただけませぬでしょうか。そう話すこんのすけの黒い瞳は、やはり劫火に焼かれる一期一振が顕現したあの日と同じ瞳だと思った。この小さな存在はあの日から私の協力者として動いてくれている。誰も失いたくない。この本丸に顕現する誰も折らせず奪わせもしないと言った私の願いを聞き入れその体に入る情報を適宜切り取り己の中だけで処理してくれている。その事実を知っているからこそ、私はこんのすけの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。あの日、私の願いをこんのすけが聞き入れてくれたように。今度は私の番だと思ったから。だけど不意に燻るような空気の揺らぎを感じてはっとした。ぶわりと溢れる灼熱の色に息をつく。
「そんな言葉を信じられるとお思いか」
一期の背後から熱風が吹き上がったかと思えばそれは一瞬にして灼熱の火柱となり私の髪を揺らす。轟々と唸る熱量が肌に触れた瞬間、以前にもこんな熱に頬を撫でられたことがあったなと思い出した。何かが脳裏を過っていく。それを追い求めるように目を閉じると子供の声が聞こえて。おかあさん。その声は、鈴の音と共に何度も頭の中で響いている。子供たちの賑やかな声と小さな手の平。穏やかで優しい温もりと胸を焼き尽くすような叫び声。息苦しく狭まっていくような喉とずるりと溢れ出す真っ赤な血。そして轟々と唸りながら吹き荒れる火柱と、何もかもを焼き殺す灼熱をただ、眺めていた。痛む頭を押さえた私の脳裏に、はっきりとした映像が流れていく。
***
「おかあさん!お花摘んできたよ!」
「あら、とっても綺麗ねえ。ありがとう」
「おかあさん!今日のご飯なあに?」
「ふふふ、今日はお魚と皆が育てたお芋の煮転がしよ」
「やったー!おかあさんの煮物すき〜」
「俺も!」
「ぼくも〜」
「はいはい、先に手を洗っていらっしゃい」
はーいと元気な返事をしながら子供たちがぱたぱたと家の裏庭にある井戸へ駆けて行く。その姿に笑って幾つかの大きな器に料理を盛りつけていった。『おかあさん』と私を呼んだあの子たちは全員私の子供ではない。あの日、たった一人の幼い少女と手を繋ぎ歩いた私は己が感じる神降ろしの気配を頼りに虚ろな瞳の子供たちを保護して回った。神降ろしの儀式に不可欠な魂を入れるための器を失えば、当分の間神降ろしは出来なくなる。器に最適とされる人格が定まっていない年端もいかぬ子供はそう沢山用意出来るものではないからだ。神降ろしを信じる人間の願いは、最早淀んだ欲深い執着すら感じるようになっていた。悍ましくも純真な望みで成り立っていたはずの儀式はいつからか薄汚い快楽が入り乱れる娯楽として利用する者も現れ始めている。その事実を前に、全ての犠牲を救えないことを悟ってしまった。私に出来ることなど、ほんの些細な救済にすぎない。己の力や気配、纏う神気が強くなっていくことを感じる度に、自身の罪深さを実感する。だけど、そんな風に苦しむ私の背を撫でる子供たちが傍に居てくれた。虚ろだった瞳は今じゃ見る影もなくなり、光が射しては煌々と輝いている。一人、また一人と確かに増えていく温かな手の平を握り辿り着いた辺境の地に建っていた小さな家で過ごす時間が愛おしかった。
ふと、外が騒がしいことに気づいた。子供たちが井戸へ向かってからそう時間は経っていないけれどそれにしても漂う気配が変だ。ぞわりと背筋を這う寒気に眉を寄せていれば大きな叫び声。
「何をしているの!」
弾かれたように裏庭へと駆け出し状況を確認する。痛い痛いと泣いている子供たちが泣く声を聞けば頭に血が上り、怒気を込めて叫んだ声に怯んだのか子供の腕を掴んでいた男が手を離した。
「こっちへいらっしゃい!」
こちらへ一斉に走り寄ってきた子供たちへと腕を伸ばし抱き留める。酷く力を込められたのだろう青く痣になってしまった腕や、叩かれたのか赤くなってしまった頬を見つけて安心させるように頭を撫でた。おかあさん、おかあさんと怯えながら泣く子供たちを宥めて家へ入るように促す。
「おかあさん、危ないことしないで」
「ええ、大丈夫よ。すぐに戻るから、良い子で待っていてね」
最初に手を取ったこの子とまるであの日のように抱き締め合って。出来る限り穏やかな表情を浮かべて笑い、皆が家の中に入ったことを見届けて。表情を変え、見知らぬ男たちへと向き合った。
「私たちは誰にも迷惑なんて掛けていないわ」
自分の異質さは十分に理解していたし、女の身一人と沢山の子供たちが住んでいる家は不審に思われるだろうことも分かっていたから、人里離れた辺境の地で隠れるように過ごしていたのに。
「お前、化け物なんだろう」
震える自身を鼓舞するように眉を寄せ、強い声色を出す一人の男が私を睨みつけていた。
「いろんな所で、小さな子供が拐われている」
「それが?人拐いなんてこの世にはごまんと居るでしょう?」
そんな理由であの子たちを傷つけたの?と言葉を吐き捨てる。怒りで己を抑えられない。怒気には神気が混じっているかもしれない。でも冷静になれない。見知らぬ男たちは体を震わせていた。
「そ、そのうちの幾つかで噂がある。この世のものとは思えない綺麗な女の噂だ」
美しい女は子供を拐っている。沢山の子供たちを拐い、どこかに隠れ住んでいる。そうして子供たちを慈しみ育てやがて仲間にしようとしている。あの美しい女は化け物だ。この世のものとは思えない美しさは人間の理から外れたものに違いない。そもそも、同じものだとは思うな。気をつけろ、綺麗な化け物から子供を守れ。あの得体の知れない女を殺さなければ平穏は訪れない。
「俺たちの町で、お前のことが噂になっていた。突然現れた美しい女、」
お前が子供を拐う化け物なんだろう。その言葉に思わず唇を噛み締めていた。
「子供たちは救おうと思って来たが、もうだめだ」
「……どういうこと?」
「お前を随分信頼しているようだった。おかあさんなんて笑わせる」
「……あの子たちだけは」
嘲るような言葉に固く拳を握り締めながら。自分のことはどうだって良いから、あの子たちだけはどうか。そう、口を開いた瞬間。背後から聞こえる叫び声に振り返る。パチパチ、と空気の中を弾ける音が耳につく。そして風向きが変わったことで感じた臭いに思わず顔を歪めてしまう。
「火をつけるなんて!」
此処にいる人間はこれだけではないのだろう。私を足留めしているうちに別な人間が家の表へ火をつけた。なんてことを、と視界が滲む。駆け出そうとするその瞬間に思い切り背中を押された。
「っぐ、」
地面に倒れ込むと押さえつけるような強い力に抗えなくて。肺を圧迫され上手く呼吸が出来ない。
「……はは。どんな化け物かと思えば、ただの女と変わらねーな!」
ドッ、と貫かれた胸の中心を走る痛みにチカチカと視界が明滅しぐるりと眩暈がする。すぐに刺さったものは引き抜かれ、体を仰向けにさせられると同時に何かがずるりと染み出していく感覚は気持ちが悪い。はっ、と吐き出す息が短くなっていく。力の入らない全身を押さえる何人もの男たちをただ見上げていれば、馬乗りになった一人の男が瞳孔の開いた目で笑っている。伸ばされた大きな手が首を掴み、喉の中心を強い力で押し込まれた。呼吸が出来なくて苦しい。抉られた胸が痛む。それでも、流れる液体はまるで人間の血のように赤くて笑ってしまいそうだった。人間の強い想いの力が蓄積されることで生み出された概念は、決して人間には成れないのに。九十九神として得た実体は、まるで人間のようだ。人間の豊かな想像力を以ってしても、神の末端である私の体は人間と同じ作りにしか成れなかったのか。男たちが私をどんな化け物だと思っていたのかは知る由もないけど、拙い武力に物を言わせた低俗な計画は大成功だったといえる。対人間用の攻撃は死なない私の身動きを的確に奪ってくれたのだから。それでも、こんな所で倒れるわけにはいかない私が口にするのはたった一言だけだった。凪いだ瞳のまま男たちを見上げて。
「退けろ」
呼吸をしているかも分からない私が言ったのはたったそれだけだ。だけど、感覚を失った肉体は昂った神気を隠してはくれず、真っ直ぐに男たちを射抜いていた。唇を戦慄かせ、男たちは弾かれたように私から離れる。ゆっくりと立ち上がった私に、触れようとする者は誰も居なかった。
「消えろ」
そうして、今度こそ家へと足を進める。弾けるだけだった火の勢いは、私が地面に伏せっている間に調子づいてしまったようだった。考えても仕方がないと家の裏戸を開ける。その瞬間、頬を撫でていく熱風に呼吸を奪われてしまった。乾いた木と土で出来たこの家は持て余すほどの灼熱を腹の中で温めている。その事実を前に己の無力さを嘆く言葉すら出てこない。迷いなく家の中を駆ける。奥で寄り添った子供たちの姿はすぐに見つかり安堵するものの一体私に何が出来るというのか。駆け寄ろうとすれば頭上から崩れてきた柱が行く手を塞ぐ。吹き荒れる火柱の垣間から丁度あの子と目が合って。輝く瞳から涙を溢れさせた姿に、力の入らない体を懸命に支えた。
「どうしてなの?ねえ、おかあさん」
「……ごめんね、私が悪いの」
ごめんね。私はどうしたら良かったのだろうね。涙も流さず、叫ぶこともせず。微塵も揺らぐことのない凪いだ心。ただ、ただあの子の、あの子たちの頭を撫でて抱き締めたかっただけなのに。
「おかあさんは、私たちを助けてくれたのに」
美しいおかあさんだけが私たちを助けて愛してくれたのに。その言葉を聞いて肩の力が抜けてしまう。この子がそう思ってくれるのならそれで良い。それだけで、良かった。轟々と吹き荒れる火柱と全てをも焼き殺す灼熱をただ見ていた。視線を逸らさずこの目に焼きつけるように。あの子が大事そうに両手で握る神楽鈴は私の形代。良かった。この子たちと一緒に愛おしい時間が詰まったこの家で焼け朽ちることが出来る。焼ける痛みを心身に刻みながら天に昇っていく火柱に乗っていける。そう思って焔が何もかもを食い千切り赤黒く焼け爛れていく世界をただ見ていた。
***
「刀を納めなさい、一期一振」
「……申し訳、ございません……我が主」
刀に手を掛けた一期が目を見開いて私を見る。室内を吹き荒れるばかりの轟々と燃え盛る灼熱の炎が形を潜めたことを確認してから、長い長い息を吐き出し座卓へぺたりと額をつけたのだった。
「主⁉」
「どうした大将⁉」
何度も荒く呼吸を繰り返し、額や首筋だけでなく背中までもぐっしょりと濡らす汗が気持ち悪い。
「主、どうなされたのですか」
一番傍に居る一期は先程までの怒気を霧散させ心配で堪らないという切なげな表情で私の背に手を添えた。いつだって涼やかな顔をする男は、どんな時でも私だけのためにその端正な表情を崩す。その事実が堪らない気持ちにさせることをきっとこの男は知らないのだろう。大丈夫。ぜえぜえとやけに大きな呼吸を繰り返しながら、見上げたところにある滑らかな頬を撫で柔く微笑む。
「ごめんなさいね一期。ありがとう、あなたはいつだって私を想ってくれている」
あなたの表情も怒りも、慈しみも。その何もかもが私を想ってのことだと知っている。一期は蜂蜜色の瞳を和らげこめかみに口づけてきた。指通りの良い髪をさらりと撫でながらゆっくりと起き上がり姿勢を正して。不安げに眉を下げた山姥切と薬研、こんのすけにそれぞれ笑い掛けた。
「ごめんなさい、大丈夫。自分自身のことを思い出したわ」
その言葉にはっと目を見開いたのはこんのすけ。息を呑み少しだけ悲痛そうに眉を寄せている。
「あなたの言葉を信じます、こんのすけ。どうか、私に力を貸してちょうだい」
出来る限り穏やかな声を出しながら笑う。私はまだこれからどうするのかを決められたわけではない。全体像を知らないことには次に取るべき行動の判断など出来ないから。まずは辿り着いた考えの答え合わせをしていきたい。そのためには己の力だけではとても叶えられるものではなくて。あなたの力なしに、私の願いは叶わない。どうか、と乞うと大きな瞳を潤ませるこんのすけ。
「……ああ、……ありがとうございます……主さま……」
心の底から絞り出されたような安堵の声に三振は驚いたようだった。そのことにほうと息を吐く。
「この子たちにはまた改めて話をするから、今はあなたに聞きたいことがあるの」
今からする質問にあなたは是か否を口にすれば良い。あなたの中だけで考えたことはこれまでもやってきたようにあなたの中で留め処理することが出来るわね?私の問いにこくりと頷いたこんのすけの様子を見てもう一度息を吐く。さて一体何から話すべきかと鈍く回転する頭を働かせた。
「私の形代は神楽鈴である」
「はい」
「私の形代はあなたたちが保管している」
「はい」
「厳重に、然るべきところで保管されている」
「はい」
たった三つの質問で刀剣男士たちと私の肩からはほんの少し力が抜けた。取り急ぎはこれだけ分かれば十分。溜息をついてばかりだけどあとは出来る限りの情報を集める努力をすることにして。
「あなたたちは私の鈴彦姫としての最期を知っている」
「はい」
「焼き朽ちた私の形代を、あなたたちが持ち帰った」
「はい」
深く呼吸をすれば、一体どういうことなのかという強い視線が三振から向けられる。別に気にしているわけではないけど、先程私の視線を無視したお返しだとでもいうように彼等と視線を合わせない。私はたっぷりの時間を掛けて瞬き限界まで吐き出した酸素を引き戻すように肺を膨らませる。審神者となった今の私も、ただの九十九神だった頃の自分と変わらないのだと今なら思う。
「あなたたちは、私という九十九神を神降ろししたわね?」
即答を続けていたこんのすけは初めて言い淀む。絡ませた視線がやがて幾分か和らぎ、どこか諦めと哀惜の色を滲ませているような気がして。その理由は、幾ら考えたところで分からなかった。
「……はい、主さま」
***
それ以上の質問は、もう是か否で答えきれるようなものではなくなってしまう。そう判断した私は戦績や刀剣男士たちに関する記録に合わせて、審神者就任時から記録するように言われている自分自身の健康管理表と気づき点をまとめた交換日記を渡した。今日はもう戻るように言うと、こんのすけは素直に頷きながらも温もりを分け与えるように私の手の平に擦り寄ってきた。とても機械とは思えない温度と柔らかさに何とも言えない気持ちが迫り上がってくる。見送るとまたすぐに来ると何度もこちらを振り返るから、またねと手を振ったのだった。自室へ戻ると、眉を寄せたままの三振がそのまま居座っていた。私を上座へと押しやり、さあ今度は俺たちだと言わんばかりの鋭い眼光を向けられて苦笑する。そうね、話さなきゃね。一体どこから話したものかと考えて、行儀悪いと思いながらもずしりと重くなった頭を支えるようにして座卓に頬杖をつく。
「この前は変な主を持ってしまった宿命、だなんて笑ったけれどね」
ここまでくると、とても笑い事では済まないかもしれないわ。そうして苦笑を浮かべる。なぜなら人間の考えることはいつだって理解が出来ないから。それが一層気味悪く胸を騒つかせていく。
「さっき思い出したのはね、ただの九十九神だった私が消滅した時のことよ」
「ちょっと待て、消滅って……」
「ええ、そうね。私は今も九十九神として此処に居るわ」
「……神降ろしか」
戸惑いの声を出して狼狽える山姥切の隣で、顎に指を掛けて思い悩むような表情の薬研が呟く。
「九十九神を審神者として目覚めさせる方法などあるはずがないと思いましたが、」
消滅した九十九神を神降ろしすることで審神者とする。それならと頷く一期。彼はあの時から既に私と同じ可能性を思い浮かべていたらしい。鋭くて舌を巻くなと思いながら居住まいを正した。
「私ね、燃えたことがあると何度か言っていたでしょう」
そうして口にする、灼熱の劫火に焼かれた遠い日々のこと。初めて手を取ったあの子が呼ぶおかあさんという声の温かさ。ずるりと滑り落ちる血液がドクドクと染みるように体を濡らす気持ち悪さ。凪いだ心のままにあの子が握る両手の中で眠りについた心地良さ。罪深き願いが渦巻く神降ろしという儀式に用いられる神楽鈴に宿った、鈴彦姫というただの九十九神の最期の時のこと。三振の刀剣男士は私のどんな言葉一つとっても聞き漏らさないように耳を傾けている。例え自分の意思が微塵も反映されていない結果の上に成り立つ現状だったとしても、私は審神者となったことを感謝しないわけにはいかないと思ってしまう。あの子たちを失って眠りについた私はまたこうして再び愛しみ、愛しまれる存在と時を過ごしているのだから。全てを話し終えて、やはりこの本丸の始まりは空っぽだったのだと改めて思った。どんなに願っても私がこの子たちと共に生きて行くことを望んだわけではない。まだ『そうかもしれない』という予想の域を出ない状態だった頃はきっとこの事実を知った時に打ちのめされるだろうと思っていた。どんなに愛を抱いても、どんなに安寧を願っても。誰かの思惑によってこの本丸の時間が始まったことを彼等に何と説明すれば良いのだろう。時間は巻き戻らない。やり直しはきかない。どれだけ胸が痛んでも。
「刀剣男士と審神者、最初に時の政府が作ったのはどちらだったのかしらね」
そんな私の呟きに山姥切も薬研も、一期までもが息を呑んでいた。刀剣の九十九神を神降ろしさせる技術を確立させた時の政府。突然現れた歴史修正主義者という存在への対抗手段とするために審神者制度を設けたのだとばかり思っていた。だけど、私の存在そのものが疑問を生じさせる。神降ろしした九十九神を審神者とする技術を持っていた政府にとって刀剣男士と審神者に関する研究はどちらが先に存在していたのだろう。そもそも、神降ろしした形代が人型を模した刀剣男士と、神降ろしした審神者。そして歴史修正主義者の発生は一体どれが先だったのだろう。これはもう笑い事では済まされないのかもしれない。肩を竦めてみせた私に最初に反応を見せる薬研。
「殊勝な大将が呼んだ俺っちたちを、見くびってもらっちゃ困るぜ」
そうだろう、山姥切、いち兄。そんな言葉に思わず目を見張る。山姥切は透き通る碧の瞳を鋭くさせ、一期は蕩けるような蜂蜜色の瞳を愛おしげに和らげて視線をこちらへ向けてくる。
「あんたが立ち向かう気でいるなら、俺たちは戦うだけだ」
「申し上げたでしょう。この身に宿る炎すら使って私はあなたの剣になると」
「大将が何だって構わないさ。あんたは、俺たちの愛する主様だ」
あなたたちを愛しているわ。自然と口から溢れていく言葉にやんわりと目を細めて笑ってしまう。甘やかな愛しみが惜しみなく向けられ、黒く澱んだ旧悪すら吹き飛ばしてくれるような気がした。