三十、蕩ける
| 一期一振
重傷を負った長谷部の治療をした後。今すぐにでも意識を失ってしまいそうな私の隣にぴたりと寄り添う一期が甲斐甲斐しく夕ご飯を食べる手伝いをしてくれた。弟たちの世話と似たようなものですな、なんて透き通った瞳を和らげているのを目にしてしまえばなけなしの力を振り絞り隣へと全体重を乗せて寄り掛かる。緩慢な動きで目線を上げると、視線の先にはいつも通りの涼しげな表情。なんだか妙に楽しそうな声でくすくすと笑う一期は手袋越しの指先で私の髪や頬に触れ、ゆったりとした動きで何度も撫でていく。たったそれだけのことですっかり絆されたような気持ちになってしまうからとても敵わないと思ってしまった。一期は想像しているよりもずっと甘やかな力で私に触れる。普段はそんなに思うことがないのに、時々こんな風にはっきりと分かってしまうくらい優しく撫でてきたりするから。その理由を考えた時、真っ先に思い至ったのは彼の弟たち。小さな子たちは一期をとても慕っているし、彼もまた弟たちを何よりも大事そうに見つめて笑う。私のこともそんな風に思っているのかしらと首を傾げたことがないわけじゃなくて。愛玩、というと少し違うような気もするけれど弟たちと同じような扱いを受けているのかと幾度となく考えてみるのに。それがなんとなく違うのだと気づいたことに、明確な理由はない。なんとなく、本当になんとなく。そう思ってしまったというか、そう思いたかったというか。心というものは難しいなと不意に思いながら苦笑してしまうことを、この男は知らないのだろう。短刀たちが遊んでいる時に転ぶことはわりと日常的に起こり得ることで。擦り傷くらいなら触れば治せるから、怪我をしたらすぐに主の所へ行くようになんていう暗黙のお約束がすっかり本丸内に定着している。慎重に敵と戦い、元気に帰ってくることを信条として掲げどの子にもよくよく言い聞かせているから、痛みには特に敏感な子たちの姿を見ると心底安心する。そのお陰で普段から大きな力を使うことなく済んでいることも分かってはいた。まだ私が審神者に就任したばかりの頃、自分が持つ力の大きさを検査されたことがあって。あの時から既に驚異的な数字を叩き出していたとこんのすけからは聞いているけれど、審神者として過ごす内に自身の力が更に強くなっているような気がしている。それでも怪我を癒すのはどうしたって疲れる。詳しい原理は良く分からないのが正直なところだけれど、九十九神である私は刀剣男士たちと神気の相性も良いようで。彼等の怪我が治るスピードが速いという恩恵はあるものの、私は自分の力をそっくりそのまま彼等に渡しているのだろうと思う。自分の存在を保つため内部に蓄えている力をそのまま渡してしまえば当然自分の存在が危うくなる。その結果、失われた力を補うためかまるで人間のように抗えない睡眠に襲われてしまう。本日の長谷部の治療は正直に言って相当骨が折れた。小言を散々言ってあの子を泣かせてしまったことは仕方ないとして、少々時間は掛かったものの夕食時に見た長谷部はすっかり元気になっていた。対する私の体は悲鳴を上げ、一期が支えてくれなければ床に倒れてそのまま三日は眠ってしまうと思う。そんなことを考えている傍から気がつけば浮遊感に包まれていて。一期にもたれながらご飯を食べて、泣きそうな顔の長谷部に笑い心配そうな短刀たちに頭を撫でられたところまでは覚えている。徐に目を開けて一期を見上げた。
「おや、起こしてしまいましたかな」
すぐに着きますから、と言う一期は私を横抱きにして廊下を歩いていた。心地良い振動と一期の温かな体温に身を委ねていると足で障子戸を開けているようだった。普段なら絶対にしないことは分かっているけれど。行儀悪いわねと笑う私の声はただの吐息でしかない。音もなく開いた戸を長い足がこれまた器用に閉める。自室の奥へ歩みを進めながら、一期が額に唇を落としてきて。ちゅ、と小鳥が啄むような音がくすぐったくて笑う。ふふふ、と笑う一期の吐息が甘やかだった。
「幼子のような顔で笑いますね」
可愛いですよと囁かれる声があまりにも穏やかで知らずの内に溜め息が溢れる。ゆっくりと布団に落とされる感覚にいつの間に敷いていたのかと感心した。何から何まで抜かりないな、なんて。
「お隣に居た方がよろしいでしょうか」
「……ん、……おねがい……」
「ふふ、はい」
ほとんど微睡んでいる私の前髪を撫でながら、一期も隣に寝転んだ。そうして腰を引き寄せられたら彼の体温を感じる。もう既に彼の為すがままになっている私へと覆い被さる影。うっすらと目を開ければ唇に降ってきた甘やかな熱に、すぐ瞼を下ろした。柔く押し当てられるだけの薄い唇を心地良く思っていると、閉じた口の隙間を縫うようにゆっくり押し入ってくる舌の生温かさ。探るような動きのまま口の中で真っ直ぐ伸ばされた舌へ自分の舌をそっと当てる。一度出会ってしまったのなら、そうするのが当然とでも言うようにどちらからともなく絡み合わせた。互いの舌の形や熱をゆっくりとなぞって感じ、味わうように動かす。捕らえられたまま舌を引き寄せられて、自分の口から出て行ってしまう一期のそれを追い掛けると熱い口内におびき寄せられた。ちゅ、ちゅと甘く吸われて固い歯に甘噛みされる。蕩けそうなほど甘やかな刺激を与えるのに、一期は私の頭をゆっくり撫でてきた。外面では子供を愛しむように触れるのに、口内では甘美で淫らな愛を与えてくるこの男に体が震えるのを抑えられない。私の震えを目敏く捉えた一期は、指を絡めるように手を握ってきて。深い溜め息が鼻を抜けていく。じくじくと体の芯が熱を持っていくような感覚に気づいて、無骨な手を握る力を強くする。絡み合わせ、撫で合っていた舌はくちゅりと湿った音を響かせていた。早急さはなくどこまでもゆっくりゆったりと愛でられる温かさが気持ち良い。やがて解放された舌を引っ込めると、下唇に添えられる舌。ぴり、と走る痛みを感じてそういえば先程強く噛んだなと思い出す。唇さえ柔く愛おしげに撫でられ、甘やかされて。んん、と鼻から抜ける声が濡れていた。最後にちゅっと挨拶のような音を立てて一期が笑う。はあ、と息を吐き出す私を抱き締めて堪えきれないとでも言うようにくすくす笑っていた。
「彼のために血を流すあなたに、妬いておりました」
まさかそんなことを言うとは思ってもみなかったから。言葉なく淡い水色の髪へ手を伸ばしさらりと撫でていく。すぐに力が抜けてぱたりと落ちた手を拾った一期はゆるりと指を絡めてくれた。
「……もう、……やいて、ないの?」
「ええ、そうですね。こうしてあなたの熱を感じたら、落ち着いてしまいました」
横になり温かな腕の中で笑う私を見つめる一期の瞳は今にも蕩け出しそうな蜂蜜色が輝いている。
「おやすみなさい、我が主」
穏やかな声色に返すおやすみの言葉は、もう音にすらなっていなかった。
「愛していますよ、苦しいほどに」
彼にしては珍しく直接的な言葉を使うなと思いながら。やけに重たく感じる瞼に逆らうことすら出来ないまま、私も唇だけで愛しているを紡ぐ。そうして、今度こそ眠りに落ちていくのだった。