九、熱情
| へし切長谷部
長谷部は、気に入らなかった。どんな時も主の傍に存在しながら貼りつけたような澄まし顔を浮かべているその刀が。表情から心情を読むことは出来ない。心の内が分からない。得体の知れぬ何かを感じる男を己が主の側に置いておくことが我慢出来なかった。そうは思っても、包み隠さず主へ伝えるほど愚かでもなかった。どこかでは分かっていたのだ。主には主のお考えがあってのことなのだと。あのお方は思慮深いからあの男を傍に置くことにも意味があってのことなのだ。それが気に入らないなどと差し出がましいにも程がある。自身にきつく言い聞かせるが、それでも腹の虫はおさまりそうにないからこそ長谷部の胸には黒い靄がいつまでも住み続けている。
「お、長谷部の旦那見っけ」
そんな声を背中に掛けられてついと振り返って先。探してたぜ、と口角を上げたのは薬研だった。線の細い手に持つ幾つかの資料を渡されながら、明日の暮れ頃に合議をすると言われて頷く。
「はっきりした時間は明日の昼時には伝えるぜ」
「ああ、頼んだ」
この本丸は焦らずゆっくり進むことを良しとしている。だから、時間遡行軍との戦いも慎重に対応していた。顕現する一振一振を大事に慈しむように手を掛け育て上げる。そして無理のないように怪我のないようにと進んで行く。初めこそ焦れったさを感じたこともあったが、周りの声もろくに聞かないまま突っ走ったが故に怪我をしてしまったことがある。本丸に連れ帰られた自分を見たあの時の主が浮かべた表情をもう二度と見たくないと思った。血を流し痛みに引き攣る体が上げる悲鳴なんかより、大粒の涙を溢れさせながら自分を抱き締めた主の方が遥かに痛みを感じているように見えてしまって。もう、主にあんな顔はさせたくないと思った。いつも朗らかに笑うあのお方の苦しさと痛みに溢れる涙は、この刀世では二度と見ないと心に固く誓った。それからというもの、長谷部は決して突っ走ることはしなくなった。力に任せてばかりではいけないのだと、第一部隊に連なる男たちを見て学んだのだ。目の前で笑うこの少年もそう。自分よりも幼い容姿をしている割に、よく考え周りを見ている。この本丸が始まってすぐに薬研は顕現したのだから当然と言えばそうなのかもしれないが、それは甘えだと思った。我等が主は、自分たち一振一振を何より愛しみ大事に育ててくれる。それは何も体や力だけではなくて。思考、立ち振る舞い、遠くを見据える目。あのお方が俺たちに教えてくれるのは生きて帰るための術だった。
「なんだ、旦那らしくない顔してるぜ」
何か思うことでもあるのか?と快活に笑う姿を見て眩いなと思う。慎重に事を進めたかと思えば、生きることに関しての嗅覚が鋭い薬研はここぞという時には大胆に攻め入ることもあって。それは側から見ればあまりにも鮮やかで、気持ちが良いほど清々しい生き方だと感じた。それなのに、薬研は第一部隊隊長ではない。まだまだ未熟だと思う自分が焦がれてやまないあの座を務めるのは、生気を感じられないあの男なのだ。対する薬研は、真っ直ぐに相手を射止める鋭い視線もまた長谷部の美徳の一つだと思っていた。それは己に限ったことではなくこの本丸に顕現した刀たちはもちろんのこと、我等が大将もそう思っているはずだ。そんな彼がどこか煮え切らない表情を浮かべたまま視線を彷徨わせることがあることにも気がついていた。そういう時は決まって、審神者のことで何やら悩みを抱えている様子なのは見ていれば分かることで。直接確かめたわけではないからそれが正しいのかは分からないが、そう大きく外れてはいないだろう。そして、今相対する彼はまさにそのような表情を浮かべていた。別に、何か上の空というわけでもなく返ってくる言葉ははっきりとしているがその表情と視線に思うところがあって。今度は一体、どんな靄を抱えて思い悩んでいるのやら。決してそれを口にするようなことはしないとはいえ、長谷部を見上げる薬研は思案する。色々と頭の中で考えながらふむ、と腕を組んで。まあ、とりあえず。考えているばかりではどうにもならない時もあるというのがこの本丸を統べる大将の信条でもあるわけで。思い悩むことは誰にでもあるのだから、と穏やかに笑う審神者の言葉を借りるとすればこういう時にやることは一つだ。周りのことは如何様にでも納得させれば良いと自分の中だけで話を完結させた薬研は、いつも通りの快活な表情で笑みを深め組んでいた腕を解くのだった。
「なあ、長谷部の旦那」
「うん?」
「今渡した資料だが、あんたはこっちだけ見てくれたら良いぜ」
「…は?こっちは第一部隊の作戦資料だろう。俺は第二部隊だぞ」
「ああ、だからそういうことだって」
「どういう?…お、おい薬研!」
「そんじゃよろしく頼むぜー」
返事はいらないとばかりに右手をひらりと振った薬研は長谷部へすらりとした背を向けた。困惑の表情を浮かべた長谷部とは裏腹に、廊下を進む薬研は口角を上げている。答えの見つからない悩みを抱える時は体を動かすに限る、そう笑って話していた我等が主の部屋へと足を向けていた。
***
「長谷部を第一部隊に?」
「ああ、長谷部の旦那もかなり力をつけてきたからな」
旦那の機動は俺っちだけでなく部隊全体の頼りになるし、ここの所ずっと続いている流れを変えて一気に攻略しちまいたいと思う気持ちは皆が同じだろう。そう話す薬研の言葉にふむと頷きながら手元の資料へ目線を落とす審神者を前にして、長谷部の動悸は上がるばかりだった。
「おい、薬研…」
一体これは、と続く言葉を飲み込んでしまった長谷部は自身の眉がどんどん下がっていくのを感じる。次の作戦はここしばらく本丸一の悩みとなっている阿津賀志山の攻略だった。第一部隊のレベルは十分なものであるのに、敵の本陣には辿り着くことが出来ないでいる。進路は運次第という仕様が実に厄介であった。運も実力のうちという言葉があるが、天に願おうにも九十九神である自分たちが一体何に願えば良いというのか。刀装も失わず、人型を模した体に傷もつかず。完全勝利をおさめそれぞれが桜を纏い資源と経験値を得て元気に帰ってくるのは大変よろしいことだが、目の前に現れた敵の本拠地が次の瞬間には遠退いてしまうことが実に歯痒かった。幾度出陣を重ねても、近くて遠い距離がなかなか縮まらない。活路を求めて薬研が提案したのは、これまでの第一部隊の編成を変え長谷部を投入することだった。続いているどうにもならない流れを変えるために繰り返した習慣を変えてみようということらしい。長谷部はそう早くに顕現したわけではないが、持ち前の機動力もあって誉を取ることも多くその成長スピードは練度の高い第一部隊の刀にも引けを取らないのだ。そのため、普段の長谷部は第二部隊の隊長を担っている。長谷部にとって本丸の中での二番手である第二部隊へ属することに不満がないとは言い切れないが、主の信頼を得て任せられている責務に誇りと喜びを感じているのもまた事実である。とはいえ、いまいち敵の本拠地を叩きあぐねている現状を打開する活路として己の名前が挙がったことは戸惑いながらも素直に嬉しかった。そして、これは願ってもない絶好の機会でもある。不審感を沸々と募らせているあの男を自分たちの本分を発揮する場所で見極めることが出来るのだから。あれこれと思いを巡らせながらも、願うことはただ一つと腹を括った長谷部の視線は力強く己の主へと向けられた。上座に腰を下ろし、背筋をぴんと伸ばした美しいその人の表情を見つめる。絹糸のように繊細でありながら末端までさらりと伸びている長い漆黒の髪が腰を越えた先からは畳の上へ無造作に流れていて。顔に触れる髪が鬱陶しかったのか耳に掛けている。ここで、自分に何か声を発することは許されるのだろうか。差し出がましいとは思いつつも、せっかく訪れた機会を無駄にしたくないと嘆願の言葉を発しようとすればその時まで黙っていた男が声を上げた。
「宜しいのではないでしょうか」
「一期?」
淡々とした声を出す男は、すっと伸びた背筋のまま隣に座っている主の方へと顔を向ける。
「これまで幾度となく彼の地へ赴きましたが、未だ怨敵を叩くことは叶いません」
弟が言う通りこの繰り返されるばかりの悪い流れを変えるため、重ねた習慣を崩すというのもまた一興でありましょう。運を司るものは気紛れなのでしょうから、安定を嫌うのかもしれませぬ。
「長谷部殿なら、第一部隊でその実力を存分に発揮されることでしょう」
そう言葉を紡ぎ、審神者へ向かう一期一振の表情には柔らかな笑みが浮かんでいる。やんわりと目を細めるその穏やかな顔に思わず目を見開いた。その理由は滅多に見掛けない表情の彩りを見たこともあるが、まさかこの男がそんな風に自分のことを話すとは思ってもみなかったというのが大きい。その衝撃は今しがた薬研が己を第一部隊へ推薦した瞬間よりも、戸惑いとなって長谷部の胸中を埋めるのだった。それと同時に、これまでに感じたことのない劣等感が胸の内を巣食い始める。なんと惨めなことか。決して誰かへ口にしたことがないとはいえ、気に入らないなどと勝手に思っていた自分自身をどうしようもないほどに酷く情けないと思ってしまう。どろりとした仄暗い澱みのような感情を持て余しながら、長谷部は無意識のうちに固く奥歯を噛み締めた。
「ええ、そうね」
だが、すぐに聞こえたのは透き通るような声。いつも通りの穏やかな声にはっとして顔を上げる。
「薬研、一期、貴重な意見をありがとう。助けられたわ」
ゆるりと甘やかに笑う主は、次の瞬間には意地悪く口角を上げる。そして、強い意志が煌々と輝く鋭い瞳で長谷部を射抜くのだ。己が心掛けている鋭い瞳は決して自分で辿り着いたものではない。初めて見た時から焦がれ、慕い、目指して会得したもの。長谷部は眩い光を閉じ込めたかのように輝く、主の強い視線が純粋に好きだった。甘やかに何もかもを愛しむような柔い瞳も美しいと思うが、このお方なら己をもっと高みへと誘うのだろうと思わせるそんな燃えるような光が宿った瞳は一等美しく感じる。この瞳で射抜かれてしまうと、自然と背筋が伸びる。心地良い緊張感が体を包み、時には手に汗を握ることもあって。そして何より、己が生きているのだということを感じさせられる。主はその全てをもって自分たちへ生き方を教えてくれていると思った。
「長谷部」
「はい」
ぴりっとした程良い緊張感が長谷部の体を包んでいく。初めて目にした時から強く印象に残ったその双眸にどうしようもないほど焦がれに焦がれ、ようやく体現出来るようになったと思っている生を宿した瞳。自分もあんな風にと何度でも焦がれた力強い目線を主へ向け、長谷部は応えた。
「次の作戦では、あなたを第一部隊所属とします」
そして、その手で敵の本陣を叩いてきなさい。凛とした声が空気を反響し、心地良く響いていた。
「拝命致します。この長谷部、主命とあらば勝利を持ち帰りましょう」
「ええ、宜しくお願い致しますね」
次の瞬間には、甘やかな笑みが浮かぶ。その後の場を仕切るように薬研が進行を務めるのだった。
***
主が言い渡した通り、第一部隊所属となり阿津賀志山の道を進む長谷部に代わって第二部隊の隊長を買って出たのは鶴丸国永だった。鶴丸はこの本丸では顕現が早く、第一部隊に身を置きながら持ち前の視野の広さで審神者を支える心強い一振でもある。出陣の前にわざわざ顔を出しに来た鶴丸は、快活に笑っていた。なあに、こちらのことは気にせず我等が主のために勝利を持ち帰ってくれよな。そうからからと笑って長谷部の肩を叩く。無論そのつもりだったとはいえ、仲間から掛けられる声がこんなにも暖かいものなのかと少しだけ驚いてしまったのも事実だった。
慎重にというのがこの本丸の信条だとは言うものの、各々の練度がかなり高いこともあって相も変わらず完全勝利をおさめ続けた道中は酷く安定したものだった。本丸を出た時には強張っていた体も、敵部隊と遭遇すれば特段意識せずとも自然な力で戦えていることに長谷部は安堵する。とはいえ、順調すぎる道中を進んでいくうちに思っていたよりも早く敵本陣を目にすれば再び体が強張っていくのが分かってしまった。それはきっと緊張だった。己以外の刀たちにとっては幾度となく見た光景だったのだろう。ただ、積み上げてきた習慣を崩して立つこの場所はやはりいつもとは違う光景なのだ。誰も言葉にしないが、不意に変わった空気がそれを知らしめた。だが、後戻りなどしない。見遣る先は皆が同じ。長谷部は一等強い視線をそちらへ向けた。進むべき道は、敵本陣ただ一つのみ。やがて皆の言葉がなくなり、見つめた一点先には正に悲願と成り果てた道が開かれていく。誰も言葉は発しないが、皆が己の胸に溢れた思いに打ち震えていた。ようやく、ようやくだった。幾度も幾度も進んだ先で開かれない道に恨めしさは募るばかり。この道を共にした一振がこの場に居ないことは残念だったが、それでもこの日初めて共に歩いた男のおかげなのかと皆が胸中に溢れる感謝をどんな言葉にすれば良いのか悩むほどだった。変わらずに言葉のない空間で、長谷部はふと熱を感じる。天気が変化したわけでもないのになぜか感じる不思議な温度。その感覚はどんどん大きくなるばかりで長谷部は首を傾げる。これは己だけの感覚なのかと周りを見渡そうとしたその時、無言の空間を切り裂いたのは意外にも穏やかな声だった。
「怨敵は、この奥に。皆様ご準備を」
そもそも、この男の声をあまり聞くことがない長谷部は緩慢な動作で視線を向ける。そして第一部隊隊長を務める一期一振の体から灼熱の炎が勢い良く溢れ出す様を唖然とした顔で見つめた。
「主殿へ、勝利を持ち帰りましょうぞ」
こちらを振り返る男の瞳には一度でも触れようものなら簡単に焼け死んでしまいそうなほどの熱が浮かんでいたのだ。滅多に聞くことがない声には淡々とした冷たい色ではなく、どこか高揚したような熱い色が乗っていて。肌に触れる温度を感じ取る長谷部は、己の手の平を震えるほど強く握った。やはりこの男は気に入らないと固く奥歯を噛み締める。あんな冷たさすら感じる澄ました表情の内側にこんなにも熱く大きな生への執着を隠しているなんて。一度でも触れてしまえば、あまりの高温に己自身が鉄屑へと還されてしまうだろう。それは錯覚などではない。長谷部とて、主命の元に戦い生きる術を学んできたのだ。焦がれに焦がれて、ようやく会得したと思ったのに。今の長谷部ではこの男のように命の炎を瞳に宿すことは出来ないと悟ってしまったことが悔しくて堪らない。負け惜しみすら出来ないのか。そうして、強く奥歯を噛み締めるのだった。
***
「長谷部」
自身の背中が丸まっていることに気づきながらも廊下を歩いていれば。振り返った先に主が居た。
「あなたのお陰で悲願が達成されたわ。本当にありがとう」
「いえ…俺は、まだまだ未熟です…」
「ふふふ、少しお話をしましょうか」
長谷部が声を出す間もなく歩き出した主の背中を追うと廊下をぽてぽてと歩く一匹の子虎が居て。
「あらあら、かくれんぼでもしていたのかしら」
皆とはぐれちゃったのねえと穏やかに笑う審神者は線の細い腕を子虎の胸の辺りに差し入れ、流れるような動作で拾い上げる。そして抱きかかえながら縁側へ座り促されるまま隣へと並んだ。
「第一部隊の皆から、あなたの活躍は十分聞いたわ」
さすがねと目を細める姿が嬉しいのに向けられた顔を見続けることが出来ず視線を下げてしまう。
「ふふ、一期が燃えていたそうね」
その言葉が決して比喩などではないことを知ってしまった今、長谷部が驚くのも無理はなかった。
「主は、ご存知なのですか」
ほんの僅かな間に視線を上げたり下げたりとやたら忙しないのは、この際仕方がないだろう。
「ええ、うちの一期一振は燃えるのよ」
「わ、笑い事ではありません!」
慌てた様子の長谷部を見て、いたずらに目を細める審神者は声を上げて笑っている。
「あはは、やっといつもの長谷部ね」
「主!」
思わず声を上げれば膝の上に乗せた子虎の頭を細い指先で撫でる主はますます大きな笑い声を上げた。こんな風になるともう、主も長谷部もいつも通りになってしまうのだから不思議である。
「あはは、ごめんなさいね。燃える一期に驚いちゃったかしら?」
そうして唐突に投げ掛けられた問いに長谷部は言葉が詰まってしまう。確かに驚くには驚いたが、あの時の自分を思い返してみても決して一期一振から炎が溢れたことに驚いたわけではなかった。
「嫌な言い方だけど、あなたが一期を好く思っていないことに気づいていたわ」
なんとなくだけどね。そう言って華奢な肩を竦めてみせる審神者は眉を下げて笑っている。
「でも、私が何かを言ったところであなたは納得しないでしょう」
例え私が間に入ったとしても解決なんてしないと思ったの。だってあなたは私がそう言えば心から納得出来ていなくても全てにおいて肯定し、従うでしょう。それでは意味がないと思ったのよ。とはいえ見て分かる通り、うちの一期は寡黙で言葉も端的だから余計に拗らせてもいけないし。
「でもねえ、うちの長谷部はとっても素直な子なの」
あなたたちの本分である場所へ赴けば、何かが良い方向へ傾いてくれるのではと思ったのよ。まあ、私も大概よね。もっとマシな方法があったかもしれないのに、もうこれしかない!と思ったらいてもたっても居られなかった。随分と乱暴な方法をしてごめんなさい。でも、でもね。絡み合わせた視線の先で主の瞳は溶けてなくなってしまうのではと思うほど甘やかに細められていた。
「今、あなたの中の一期一振はどんな刀かしら?」
長谷部や他の刀剣男士と比べれば審神者の手は随分と小さく、白くてしなやかだ。そんな主の手に優しく喉を撫でられて、気持ち良さそうな子虎がグルグルと甘えた声を出している。長谷部は笑いながら子虎の頭へと手を伸ばし、もふりとしたたっぷりの毛を確かめるように撫でていった。
「負け惜しみすら許されないほど強い男ですよ。でも、このまま負けるつもりはありません」
あの男を超えるくらい俺は強くなってみせます。そう口にするのは目の前の主と自分へ誓うため。
「ええ。宜しくお願い致しますね、へし切り長谷部」
「お任せください、我等が主」
いつの間にか、長谷部の胸の内を巣食う靄は形を潜めていた。決して思うことが消えたわけではないが、主がこうして笑っているうちは気にすることもあるまいと目を細める。不意に遠くの方から声が聞こえてきて、顔を見合わせる審神者と長谷部はそちらの方へと顔を向けた。聞こえた声は一つだけではない。あるじさーん!あるじさまー!大将ー!という高い声は粟田口の短刀たち。白い子が涙をボロボロと流しながら髪の長い子と黒い短髪の子に引っ張られて駆けてくる。
「あるじさーん!」
「大将!五虎退の子虎を見てねえか!」
それの様子を見て困ったように笑う主の吐息を空気で感じた長谷部は思わず大きな溜息を吐いた。
「子虎は主が見ていてくださったから安心しろ」
「うわーん虎さん!」
果たして長谷部の声を最後まで聞いたのかどうかは分からないが、まるで弾丸のように飛び込んできた五虎退を受け止めた主。そのまま後ろに倒れてしまわないかと咄嗟に背中へ手を添えた。
「さっすがあるじさん!」
「良かったなあ五虎退!」
「うわーんあるじさま!ありがとうございます!」
「あはは、うーん皆可愛い!」
抱き留めた五虎退をぐりぐりと撫でている主に、安堵の表情を浮かべた乱と厚もじゃれついた。きゃあきゃあと上がる声を聞きつけたのか、いつしか他の粟田口兄弟たちを筆頭に次々と刀剣男士たちが集まってくる。審神者と長谷部の周りには楽しげな空気がただ穏やかに流れていたのだ。