飽きもせずお昼過ぎに鳴り始める電話の音。ここ最近の頭痛の種だ。本音を言えば面倒だし取りたくなんてないのだけど、取らなかったら取らなかったで結局面倒なことになる。いい加減電話線を抜くべきなのかもしれないと半ば本気で思いながら今日もしぶしぶ受話器を握った。

「…もしもし」
「あら、なんだか元気ないわね」

電話の主は決まって母だ。

喉までせりあがってきた、「あなたのせいだ」という言葉をなんとか押し戻して適当に相槌をうった。結局こんなのなんて返したって一緒なのだ。本題は別にあるし、母は目下そちらにご執心だから。

「それでねなまえ、子どものことなんだけど」

ほら出た。分かっていたけれど、改めて聞いて改めてげんなりする。子どもっていうのはつまり、わたしとトーシローさんの子どもっていう意味だ。全くもってばかげた話。

「・・・でも、わたしたちまだ結婚してまだ数ヶ月ですよ」
『でもねぇ、あなたたち子供欲しがっていたじゃない。早いに越したことはないのよ』

全く記憶にないけれど、わたしもトーシローさんも積極的に嘘をつこうとはしてなかったはずなので、どうやらわたしたちは随分適当に頷いてその場をやり過ごしたらしかった。

「…そうでしたっけ」
『…なにあなたたち、うまくいってないの?』

上手くいくも、なにも。見当違いの話だ。でもそれを口に出すことは出来ない。なぜなら母は、今まで男の人に興味を示さなかったわたしとトーシローさんが運命的に一目惚れでもして、時間は少ないけれど大恋愛の末結婚したのだと固く信じているから。まぁ、積極的にそう勘違いしてもらえるように振る舞ったのは他でもないわたしたちなのだけれど。あのときは目的のためにはそうするのが一番面倒じゃないと思ったのだ。

わたしたちがお互い必要としていたものは同じだった。トーシローさんは上の人たちから、わたしは家から。過度に干渉されることない自由な生活が欲しかっただけなのに。

『何のために結婚したと思ってるの』

そう言われて、わたしは何も言えなくなってしまう。家と家を結びつけるだけのものでも、子どもをつくるためのものでも無い。彼女の言っていることは全然正しくない。けれど言い返せないのは、わたしたちのだってそれと同じくらい正しくないことも知っているからだ。

それなら、わたしたちが今まで過ごしてきた時間も正しくなかったんだろうか。トーシローさんの少し分かりにくい優しさや、鋭い目が弧を描く瞬間を思い出してひどくせつなくなった。電話の終わりを待ちくたびれて冷めきったお茶は、なんだかよそよそしい味がした。


忌々しい電話のあと、わたしが電話線を引っこ抜こうとしている途中でトーシローさんが帰ってきた。真っ昼間に帰ってくるなんてはじめてのことだったので背後からの声に驚きながら振り返ると、なぜかトーシローさんのほうもわたしと同じ表情をしている。

「おかえりなさい。…えっと、どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。なんで泣いてんだ」
「え?」

言われて目尻に触れてみると、確かに指が雫を掬った。トーシローさんは今度は険しい顔している。わたしはあわてて俯いたけれど、それより一瞬早く顎を掴まれたのでそれは叶わなかった。

「なにがあった」
「なんでもないの」

自分で思っていたよりも、随分刺々しい返事だった。けれどトーシローさんは追及の手を緩めない。

「泣きながら電話線引っこ抜いてるやつがなんでもないわけねーだろ」

全くもってその通りだった。でも、こんなことトーシローさんには言いたくなかった。この人が見掛けより随分誠実でやさしいなんてのはもうちゃんと知っている。これ以上余計な面倒はかけたくなかった。

「……俺には言えねーのか」

この人のこんなに弱々しい声なんてはじめて聞いた。わたしはなぜだかひどく孤独な気分になって、次いで喉の奥が苦しくなる。しばらくの間、何も言葉が見つからないまま立ち尽くしているとトーシローさんは紙の包みをわたしに押し付けて静かに出ていってしまった。トーシローさんがいなくなってから、その包みが今朝ニュースの特集をなんとなしに見ておいしそうだと言ったお団子屋さんのものだと気付いた。まだ温かい。

一緒に暮らすようになって数ヶ月。今日、はじめてトーシローさんと言い合いをした。トーシローさんが悪いんじゃない。でもわたしだってもちろんトーシローさんのことを疎ましく思ったわけでも嫌になったわけでもなくて、それなのにどうしてこうなってしまったんだろう。

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