最近剣を振っていると、ときおりなにか妙な感覚になる。懐かしいような安心するようなけれどもどかしいような、
どこかから声が聞こえるような、
「なーにボサッとしとんねんコラ!鍛錬中やぞ」
「、へっ?!」
ピンッと軽くて高い音がしたと思ったのと同時におでこに激痛が走る。(気休めだとしても)すぐにさすって痛みを少しでも和らげたかったけれど、今は両手に斬舶刀を持ってるのでそれもできない。顔にぎゅっと力をいれてやり過ごしていると目の前の平子隊長はふはっと息を吐き出して笑い出した。
「ば、爆笑じゃないですかあ…」
「変な顔するなまえが悪いねんぞ」
「隊長がデコピンなんかしたからですよ!」
「そん前からボケーッとしとったからそっちが悪いんですぅ。ほんでそんときの顔も結構おもろかったで」
休憩、と言って隊長は刀を納めて大きく伸びをした。わたしもそれに倣って刀を納めて、それから恥ずかしさとじんじんとした痛みに顔を手で覆う。
今日は非番でわたしは今、平子隊長と鯉伏山に来ている。来週はじめて、現世への虚討伐に向かうことになっているのでそのための特訓だ。自分で言うのもなんだけど、丸一日に及ぶ鍛錬のおかげもあって、結構いいかんじなんじゃないかと思っている。戦いに絶対なんてないことぐらいわかっているけれど。
それにしても、さっきの声は誰だったんだろう。聞こえていたはずの声を思い出そうとしても、記憶の中を探ってみてもうまくはいかなかった。
「...隊長は...その...声が聞こえたりしますか?」
「しとるで。今なまえん声が」
「そ、そういうんじゃなくてですね!」
やっぱりわたしの勘違いだったのだろうか。けれど、ため息をついてもういちど顔をあげると、隊長はさっきまでのバカ笑いじゃない、温度の低い笑みを浮かべていた。どこか懐かしんでいるような。
「手、貸してみ。ええから」
大きくて細くて骨ばった、形のいい手に自分のそれを重ねる。分かっていたはずなのに平子隊長の温度を感じた瞬間、顔が燃えているのかというほど熱を持った。けれど次の瞬間、そんなことはすぐに忘れてしまった。
足元に燃えるような夕焼けが広がっている。代わりに、頭上には地面があって、そこから木々が垂れ下がっているみたいに見える。つまり、世界がそっくり上下に反転していた。
「す、すごい...」
「俺こんなん得意やねん」
自然と口からついて出ていた。横の隊長は悪戯が成功した子どもみたいに笑っている。
「...これは、隊長の能力なんですか?」
「まぁ、微妙なところやな。斬魄刀を解放してっちゅーわけでもないからな」
そういうものなのか。斬魄刀の名前を知らないわたしは素直に頷いた。
しばらくすると不可思議な景色に慣れてきたのと、ぎゅっと隊長の手を握り締めていたことを思い出して手を離した。足元はゆっくり濃紺に染まりつつあるのを眺めながらわたしは恐る恐る一歩踏み出す。
「そーいうこっちゃ」
「え?」
「結局上だろうと下だろうと空は空やっちゅうことや。慣れれば不安に思うことあらへん」
なんのことですか、と尋ねてもそれ以上返事はなくて、変な調子の鼻唄が聞こえてくるばかりだ。
平子隊長の見ているこのさかさま世界は、彼にどう映っているのだろう。足元のグラデーションに目を落としながらわたしはほんとうにちょっとだけ、悔しくなる。