風邪を引いた日の話

※5年生のときのはなし

「…やっぱりわたしも、今日は休む」
「サボりはダメだ。ほら、授業がもう始まる」
「……サボりじゃないもん」

セブルスが心配で心配で。布団に顔を押し付けたまま呟くと、セブルスは溜息をつきながら、けれどわたしの頭をやさしく撫でてくれる。ぐずる子供をあやすのと同じ手つきで。ほんとうはわたしのほうが労わらなくちゃいけないのに。

「午後は魔法薬学だろ。板書を写してきてくれないか」
「……そしたら、セブルスはうれしい?」
「ああ」

そう言われたらもう行くしかなかった。わたしは立ち上がってセブルスの首まで布団をかぶせる。いつもは血色の悪い、青白いセブルスの顔はほんのり色づいている。わたしの髪を掬った手も今日はやけに熱かった。完全な風邪っぴき。

「じゃあ、行ってくる」
「実験、頑張れよ」

医務室の扉に手を掛けながら振り返る。わたしもセブルスも、どっちも同じぐらい心配そうな顔をしていた。セブルスが授業を休んだことは入学してから今日まで一度もない。セブルスが隣にいない日なんてはじめてだ。憂鬱な気持ちで重たい教科書を抱えてから歩く。地下牢に行く道はもうとっくに見慣れた景色なのに知らない道みたいによそよそしかった。



「…ピーターも風邪なの?」
「っていうことは、スネイプもかい?最近流行ってるのかな」

そういうわけでペアになったリーマスと喋りながら、わたしは忌々しいコガネムシの目玉のくり抜きに苦心していた。セブルスは薬学のことになると異様に手際がよく、下準備はほとんどわたしにまで回ってこない。だから不慣れなのだ。…決して不器用とかじゃなくて。

「なぁ、今からでも遅くねぇからリーマスと組むの代わってやるよ」
「そうだよリツ、悪いこと言わないからシリウスに代わってもらって僕と組もう」
「ああもう!さっきからシリウスもジェームズもうるさいよ!」

さっきからうるさい後ろの2人のせいで気が散り、手が滑ってコガネムシがシンクに落下する。もう3匹目だ。水気を帯びるとダメな作業なので、やり直しということになる。隠せないほどイライラは募ってるはずなのに、それでもふたりは野次をやめてくれない。

「違うんだよリツ。本当に、僕たちは親切で言ってるんだ」
「それどーいう意味」
「お前はリーマスの恐ろしさを知らねーんだよ!」
「ハァ?さっきからうるさいあんたたちより数倍マシだよ」

隣のリーマスを見やっても、特段恐ろしいことはなかった。わたしより格段に手際よくニガヨモギを刻んでこしているところだ。それにリーマスのセーターで光る監督生バッジ。信頼と安定の象徴だ。

「ほら。どこが恐ろしいのよ」
「じゃあ聞くけど、リツはこの後調合ちゃんとできる自信あるの?」
「…で、できるよ。黒板の通りやればいいんでしょ。楽勝だよ」
「嘘つけ!お前スネイプに頼りきっててやったことねーだろうが!俺がいつ見ても洗い物してるぞ!」
「それは!て、適材適所で…」

シリウスとジェームズがわたしに何かと絡んでくるのはいつもだけど、今日はいつになく必死なので、わたしはちょっぴりたじろいでしまう。いや、でも。

「うるさいよ、ふたりとも。気が散るだろ」

リーマスのひと睨みで、ふたりは蛇に睨まれたカエルみたいに縮こまる。そんなふたりを一瞥して、リーマスはわたしのほうを見て笑った。いつもの、柔和な笑顔で。

「僕も頑張るから、リツも頑張ろうね」

何かとっても、悪い予感がする。けれど頷く以外に、わたしに何ができただろう。



「…あれ、色が変わらない……」

板書をもう一度目を凝らして熟読してみたものの、手元の大鍋は、琥珀色とは程遠い色をしている。周りの大鍋からは甘い匂いが漂っているけれど、それもない。どうやら失敗しかけているらしい。

「リーマス、ごめん…間違えちゃったみたい…」
「どうしたの?」

洗い物をしているリーマスに声を掛けて鍋を見せようと手招きすると、ジェームズとシリウスがびっくりするぐらいの大声をあげた。

「ばかリツ!リーマスを鍋に近寄らせんな!」
「え?」

意味がわからなくてふたりとリーマスを交互に見て右往左往していると、リーマスは流れるような手つきで懐に手を入れた。ジェームズが悲鳴を上げる。

「うーん。よく分からないけど、こうすればいんじゃないかな」

銀紙の中から覗く茶色の――つまり、チョコレートを見た瞬間、今日ばっかりはふたりのほうが全面的に正しいのだと気付いた。そしてわたしは思い出す。リーマスは、チョコレート狂いだった。それもとっても、過激派の。ボチャンと遠慮のない音がして、わたしは反射的に目をぎゅっと瞑った。これからきっとくる、爆発に備えて。


後から聞いた話だけれど、リーマスは昔から魔法薬学の実技だけは苦手、というか壊滅的な成績らしい。ピーターが毎回リーマスをなんとか抑えて、ジェームズとシリウスがふたりを助けていつもやり過ごしていたのだとか。


「……やっぱりサボればよかった」
「なんだか僕も…すまない」
「ううん。セブルスのせいじゃないから」

今度はわたしがベッドで横になっていて、それを隣に座ったセブルスが痛そうな顔をして見下ろしている。昨日とは真逆だ。握ってくれたセブルスの手はいつも通りひんやりしている。ほんとうに風邪は治ったらしい。

「ほらセブルス、もう午後の授業はじまるよ」
「……いいんだ。休むから」
「あーうん……って、え、ええ!サボり!?セブルスが!?」

似合わないことをやっている自覚はあるらしく、セブルスはわたしの視線から逃れるように顔を背けた。

「…お前がいないと、調子が狂って敵わん」

なんだ、同じこと思っていたのか。なんだか妙にホッとして、わたしは思わず声を上げて笑った。セブルスは昨日みたいに頬の血色を良くして、唐突にお説教をはじめた。でも、それが完全な照れ隠しだってわたしはちゃんと知っている。

遠くで授業が始まる鐘の音が響いている。わたしもセブルスもはじめてのサボりだ。それなのに後ろめたさはほとんど無く、それどころか晴れ晴れしい気持ち。やっぱり一緒がいちばんだね。そう呟くとセブルスは小さく頷いてくれた。



-meteo-