世界の果て

隠すつもりは無かった。
打ち明けるつもりも無かったけれど。
側にいられるだけで良いなんて台詞は甘ったる過ぎて胸焼けしそうだ。

この恋の様なものに名前を付ける気も、定義付けをする気もない。
これからも中途半端で、曖昧で、名前を持たないぼやけたものでいい。
そう言えば、赤井さんはフェアリーテイルを信じる子供と変わらないな、と口端を上げて笑った。
私にはきっと妖精は見えない。
空も飛べない。
夢を見る事をとっくにやめてしまったから。

「こんにちは。雪ちゃん」

あの日から数日。
相変わらず仮面を貼り付けた彼はにこにこと人好きのする笑みを浮かべて校門を出てすぐのとこで待ち伏せていた。
ああ。怒ってるな。
少し話をしようか、と言った彼に小さく頷いて、助手席に乗り込む。
私の一挙一動を見逃すまいと観察する目は"吉野雪"を見るものじゃなく、"杜舞白"を探る目だ。
もはや隠す気もないらしい。

「…見れば見るほど信じられませんね」

顔は前を向いたまま、随分冷たい声が沈黙を破った。
何て答えるのがベストか、なんて考えは最初に捨てた。
何を言っても彼はきっと怒るのだから。

「で。何がどうなってその姿に?」

探偵は推理を放棄したらしい。
まぁ、ホームズですら薬で幼児化したなんて答えを導き出せるのか怪しいところだけど。
私は、ジンに撃たれ、毒薬を飲まされた事。
本来は死に至らしめるものだがそれが何故か幼児化を引き起こした事を端的に話す。
毒薬がAPTX4869という事は伏せて。
それは彼の為で、コナン君と哀ちゃんとの契約の為だ。
自分からわざわざ危険を呼び寄せる趣味はない。
私が話す間、彼は黙って聞いていた。
前髪に隠れて表情が見えなくなる。

「ー…僕が、どんな想いで…」

そろそろと伸びた手が背中と、髪を梳く様に後頭部に回され、簡単に彼の腕の中に収まる。
小さな私の体は外からは見えないくらいすっぽり隠れてしまっていることだろう。
少しの身動きすら許さないとばかりにぎゅうぎゅうに抱き締めてくるくせに、何処か恐々と触れる。
まるでガラス細工にでもなった気分だ。
この男が満足するまで大人しくするしかないか。

はぁ、と吐き出された息の熱さに、心臓が痛くなる。

「…泣いてるの?」
「…泣いてない」

私に会いたかった?
…お前黙れ。

言葉が重なる度に"君"が見えるのが嬉しい、だなんて。
私も大概絆されてる。

「会いたかったよ…いつか、仮面を外した君に」

ぴくり、と小さく肩が震えて、漸く体が離れた。
大きく見開かれた昏い空色が、湖畔が陽を反射する様にきらりと揺らめいた。
君はこんな顔もするのか。
本当の君はどんな人なんだろう。
何が好きで、何が嫌いで、どんな顔で笑うのか。
どうか私に触れさせて欲しい。

「…会いたかった」

するりと頬を撫でる指先は酷く冷たい。
手を重ねる様にぎゅっと握ればなかなか複雑そうな顔をされたが、グレーブルーが甘やかに細められる。

「相変わらず、指先は冷たいな」

この男とキスをするのは何度目かになるのに、まるで初めてみたいに心臓の辺りがざわつく。
この感情の名前は曖昧なままでいいと思った。
でも、そんなのは嘘だ。
恋しくて、触れたくて、そこにいるのだと感じていたくて、堪らない。
憎しみじゃ嫌だ。
君に愛されたい。
君を愛していたい。
恋と呼ぶには歪で、でもそれすらも愛おしいと思うくらい、溺れてしまっている。

「ーそれで?名前は教えてくれないの?」
「…知ってるくせに聞くのか」
「君から聞いてない」

嫌々そうに、でも瞳は優しいままで、唇が形を作る。

「…零だ。降谷零」

ああ。やっと、出会えたね。

「ー初めまして。零」

私達はまるで今日初めて出会った様にお互いの温度を指先から全身で感じて、初めて呼ぶ名前を恋しいと音にする。



空の果て、海の果てまで旅してもまだ遠いその先を"永遠"と呼ぶんだ。

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