さよなら

君に、罰して欲しかったんだ。
お前のせいだと、責め立てて欲しかった。
君は憎しみすらも僕に残さずに死んでしまったから。
痛みでも呪いでも構わない。
君の付けた傷が欲しかった。

だけど戻ってきた君は君じゃなかった。
僕の知らない君なら、いっそ消えればいいと思った。
君が消えたら僕の知る君が戻って来るんじゃないか。
そう思った。

「…」

そう思っていたんだ。綴。
僕の知る彼女じゃない君は君じゃない。ただの李土の人形。
それだけだった筈なのに君が余りにも生きる強さに溢れているものだから、願わずにはいられなかった。
何もかも忘れて、君に生きて欲しいと。

僕を迷わせた。

「…は、ぁ…はぁっ…っ」

浅く、荒い息遣い。
雪に映える赤。
まるで手負いの獣の様に睨め付ける瞳は翳っている。
まるであの日だ。

「綴、僕だ…」

綴はふーっ、ふーっと肩を上下させて息を吐き出すだけで何も言わない。

「…お前、達、は…」
「、…」

乱れた髪の間から覗く陰った瞳に、覚えがある。
忘れもしない。
あの日に見た、深い絶望に染まったナイの瞳。
からっぽな空色。

「また…私を、殺す、のか…っ」

どくり、と心臓が音を立てた。

「、っ…」

李土、お前の言ってた事は正しい。
彼女の幸せを願うなら、殺してやるべきだった。
またこんな目に合わせるために、苦しめるために見守っていた訳じゃない。
生きて欲しいと願った訳じゃない。

「…ごめん…、ごめんね…」

酷く情けない声だと思った。
君を苦しめる事しか出来なくて、ごめんね…。
それでも、また君に会いたかった。
生きて欲しいと思ったんだ。
そっと、綴を抱き寄せる。
抵抗する力もない弱った命。
今も昔も、それが君だ。
君だった。

「…ごめん…」
「…クラ…ン…?」

乾いた声が、何もかも攫っていく。
風に乗った、小さな声は確かに耳を掠めた。
指が手が、身体が、上手く動かない。
身体を離して信じられないと彼女を覗き込む。

「…ナイ…?」

空色の中に、僕が映る。

「ちが、う…ね…」
あの人は、遠いところに行ってしまった…。
私じゃ、ダメだった、から。

陰った空色は諦めたように笑う。

『私じゃ、ダメだったね…』

違う。違うよ。
君のせいじゃない。
僕が弱かったんだ。
君は何度も僕を孤独から掬い上げてくれた。
だけど、僕がそばにいるせいで君も化け物にしていくようで、怖かった。
いつか僕だけが時間に取り残されてしまうんじゃないかと怯えていた。

「だから、帰り、を…待って…私は、」

1つ1つ記憶を辿る言葉尻が徐々に曖昧になる。
ぎりっと唇を噛む。
僕が、彼女を孤独にした。
自分の弱さを守る為に。
彼女が自分の吸血衝動に怯えてた事も知っていたのに。
そうして、昏い絶望の底で君を死なせてしまった。

「あ、れ…?ク、ラ…ンは…だれ…?」

君は今も昏い森にいる。

「思い出さなくて良い…」

もう、良いんだ。
綴の中に僅かに残るナイの記憶は、恐らくナイの人格諸共消えかけている。
僕がクランだった事も、そもそもクランが誰なのかももう曖昧なのだろう。
考えてみれば当然の事だ。
本来なら肉体を取り戻す筈もなかった。
李土によって肉体は取り戻せても、忘却という言葉の果てにあるような長い長い時間の中で人格や記憶までも元通りに取り戻せるわけがない。

祈りにも似た願いだった。
全てを忘れ、怯えることもなく眠る事を。

もう認めなければ。
ナイはいないのだと。

「さよなら…ナイ」

愛していたよ…。


よく似てた。
君を失ったあの日の哀しみが…。

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