slowly the rose began to wither.

It's too late to love you and be loved you...


"遅すぎたんだ"


"君を愛するにも、君に愛されるにも…"


"傍にいて欲しかったんだ"


君は、初めての人間(ヒト)だった…。


『ずっとクランと一緒にいるよ』


『約束』


名前を付けてくれたのも、呼んでくれたのも。手を繋いでくれたのも、僕の為に泣いてくれたのも…。
彼女に出会うまでの僕の世界にはそういうものはなかったから、不思議で、でも目を逸らせなくて、大切に、壊してしまわないようにしようと思った。


でも、僕はいつも間違えてしまう…。


他の人間が簡単に出来る事が、僕にはできない。いつも、彼女を怯えさせて、傷つけて、悲しませる…。
一緒にいたら傷つけてしまうと思ったから、側を離れた。僕がいなくなれば、彼女はまた、笑ってくれると思ったから。幸せになれると思ったんだ。


「ナイ…!」


―ねぇ、ナイ。僕は、何処で間違った…?


噎せ返る様な、血の匂い。甘く、誘う様に鼻をつくそれは、今は不安と恐怖で心臓を震えさせるだけだった。渇き始めてどす黒くなった血の中に、彼女はいた。


錆びついた鎖に繋がれて、冷たい床の上に身体を投げ出すように、まるで身体を支える力すらももう残っていないような、弱弱しくて、見ているだけでも、生気なんてものは感じられない…。


「ナイ!」


「…会いに、来て…くれた…?」


「助けに来たんだ…っ」


握った手は、氷みたいに冷たい。そっか、と薄い笑みと共に吐き出される浅い息使いに、喉が熱くなった。


「…ご、めん…」


僕の、せいだ…。僕が一緒にいたから。1人にしたから…。僕が、逃げたから…。


懺悔の言葉は探せば幾らでも出てきて、きりがなくて、でもそうでもしないと自分自身を保てそうになかった。
ずるい、願いだ。こんな事で、許されようなんて。自分から遠ざけたのに、許しを、乞うなんて…。


「あの女の仲間だ!」


「人間が…まだいたのか」


9年前の星の日、初めて願いをかけたんだ。
君が幸せになれますようにって。それから、願わくば、君とずっと一緒にいられますようにって。
誰にも言わなかった。僕だけの秘密だった。言ってしまったら、叶わなくなるって聞いたから。


「その女…お前らに渡す位なら、殺してやるっ!」


「彼女がっ…その血のお陰で、救われたんだろう!?」


「それでも何十人も死んだっ!お前らに化け物にされたっ!」


「この女もお前らの仲間!自業自得だ!」


そんな言葉、彼女に向けるなっ…。


誰よりも、彼女が信じていた人間(ヒト)のお前達が、彼女を否定するな…っ。


頭が、がんがんする。


もう、どうすればいいのかわからない。全てを元に戻そうと思っただけなのに…。
僕はまた1人に戻って、君はまた人間と共に生きて、僕達はお互いに交わらない時間を生きていこうとしただけなのに…。
憎くて、哀しくて、言葉が探せない。


お願いだから、彼女だけは、否定しないで…。


鋭い銃声は、閉鎖された空間の中で何倍も轟いた。撃たれたのは、僕じゃ、ない…。


「っ!?この女、自分で…!」


君は、幸せになる筈だったんだ…。


『ずっとって、いつまで?』


『ずっとはずっと。地の果て、空の果てまで旅してもまだ行けるくらい遠く』


君はずっと、ずっと、幸せであるべきだったんだ…―。


「ナイ…?」


村人を何人殺したとか、何人逃げたとか、そんな事はどうでもよかった。今は風が吹く音も、梟が鳴く声も、何もかもがどうでもよかった。


「…ど…して…?」


―自分を、撃ったの…?


どさり、と崩れ落ちるみたいにナイの横に膝をつく。


「違う、よ…」


「君は、僕とは違うよ…?」


村人が言った事は、違うよ…。君は、僕とは、僕達とは違う。
だって、君は陽の光が好きで、青い空が好きで、人間も好きで、優しくて、温かくて―。


こんなにも、弱い命を持ってるから…。


ナイの頬に、雫がポタリ、ポタリと雨粒みたいに落ちる。目の奥も、頬も、喉の奥も、全部熱い。視界が歪んで、ナイの姿も、歪む。


「死なないで…っ」


「今度はちゃんと、君が幸せになれる場所、探すよ…君の病気の治療法も、探す。無いなら、僕が作るから…っ、大丈夫、だよ…っ」


冷たい、ひんやりとした手が頬に触れて、1度だけ雫を拭う。
覗き込んだ青い瞳は、もう僕を見てはいなくて、僕の向こう側の何処か遠い場所を見てるみたいだった…。


「っ…ナイっ…」


引き留めるみたいに、小さな身体を抱きしめる。お願いだから、遠くに行かないで…。僕を、置いていかないで…。


「…ずっ、と…―」


耳元で、掠れた声がした。その後は口が音なく動いただけで、何ていったのかはわからない。小さく、薄く息を吐く音がして、息のかかった肩が少し暖かくて、顔は見えなかったけれど、笑ったような気がした…。


下唇を噛んで、抱きしめる腕に力を込める。
もう、浅い呼吸さえも聞こえない。心臓が、脈動を止めて、瞳の中の青い空は、もう2度と僕を映さない…。


『貴方の名前は、クラン!』


世界で1番大切な人を、僕が殺した…―。


君のいない世界なんて、想像した事もなかった。
そこには永遠はあるのだと、信じて疑わなかった…。


願ったことがないと言えば、嘘になる。


この牙に穿たれた人間は、僕と同じものにすることができる。
同じ、血を啜る生き物になって、同じ、終わりのない生命を生きるものに。
初めてそれを知った時、僕の胸を過ったのは恐怖や、不安よりも、期待だった。


君と本当にずっと、一緒にいられるかもしれない。
この言いようのない孤独を、君と分かち合えるかもしれない。


言ってみれば、僕にとって世界はとても小さなものだった。
極端に言ってしまえば、君と、僕。それだけ。
君が僕と同じものになって傍にいてくれるなら、僕の世界は文字通り永遠で、それこそ、昔読んだ本の最後のように"2人はいつまでも幸せに暮らしました"で終わる、そんな世界になるのだろうと思った。


どんな血の香りよりも甘くて、魅惑的で、残酷な誘惑だった。


1度は捨てたはずの感情は、彼女と会ってからというもの、離れていた時間がまるで無意味だったと嘲笑うみたいに瞬く間に蘇った。
気になって、落ち着かなくて、大切にしたくて、でも、遠くに行ってほしくて…。
失くしていた心臓があるべき場所に戻されたような、息の詰まる、でも、確かに息づいている感覚。苦しいものでしかない、"心"の感触。
あの頃の、感触だった。


あの頃も、今も、僕は一体何を望んで、いたのだろう…。
陽の下が僕を拒絶する事実は不変であるように、誰かを、彼女を望むことが許されないことも、また不変の筈だ…。
それなのに、そんな事は彼女の元を離れたあの時に嫌というほど思い知ったのに、それでも、僕はまた同じ過ちを繰り返した。


夜空の星を手に取ることができないように、月に触れることができないように、陽が僕を愛する事がないように。


「…」


いたい…イタイ…痛い…。
見えない何かに胸を抉られるように、痛くて、息をするのも、苦しい。


「…ナイ…」


冷たい頬には血は通っていなくて、薄く開いた色を失った口唇はもう声も、息を吐く事もしない。
身体だけは取り残されて、心も、記憶も、思いも、何もここには残ってない。
君を失ってしまうくらいなら、太陽に焦がれて、星に手を伸ばしてもがいたままでよかった。
遠い場所にいる君に、昔の幸せな日々を重ねて白昼夢のような日々を生きていたままでよかった。


「っ…」


濡れた頬は、きっと最後に残された人間の部分の欠片なんだろうと思う。
拭っても拭っても溢れるそれは、意思に反してとめどなく溢れ出る。
どれくらいの時間、そうしているんだろう…。
抱きしめたナイの身体は時間と共に温度を失って、どんなに留めようとしても、そんなことは意味がないと思い知らされる。


温度を失った事を確かめるように輪郭を、頬を、口唇をなぞる指先がかたかたと震える。
最後に、君は何て言ったの…?
僕を、恨んでた…?
僕を、呪った…?


君の心が休まるなら、それでもいい…。
空っぽの君の心が埋まるなら、それでも構わない。


「…」


もう1度、頬をするり、と撫でる。


僕も、君みたいに、なれたら良かったのに…。


君はたくさんの事を教えてくれた。
言葉も、優しさも、寂しさも、やるせなさも、悲しさも。
君と過ごした日々は、暖かくて、寂しくて、でも、それでも僕は確かに生きてると感じた時間だった。
世界の内側で、その営みの中に身を置くことができていたと思う。少なくとも、今よりは。


「…ごめんね…ごめん…、っ」


君と生きたいって願った事が、罪だった。


"青い鳥はもう探さない。"


"求めれば求めるほど、君を傷つけてしまうだけだから…。"

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