ハンターズレッドムーン


ハンターになってから、夜が嫌いになった。
一筋の光の様に輝く月が、うっとうしく思える様になった。


―夜は、“彼等”の世界が始まるから。


人の貌(かたち)をし、血を啜る、闇に愛された生き物―それが、吸血鬼(ヴァンパイア)―。
そして、彼等を狩る宿命を背負う人間が、吸血鬼ハンターと呼ばれる者達。


『―来い』


『お前、名前は何と言うんだ?』


―夜は、嫌いだ。


「っ…うあぁっ…ぐ、ぅっ…!」


ぐじゅり、と肉を裂く生々しい音と共に、右腕に激痛が走る。
まるで体中を電流が流れるように痛みが走り、綴は苦しげに呻く。同時に、まるで反射の様に無事な左手に持った銃の引き金を引く。


ほとんど狙いを定めずに撃った弾は僅かに男の左脇腹を掠っただけだったが、それでも牽制には充分で、僅かにできた隙に距離を取る。


綴の腕に鋭い爪を立てた吸血鬼の男はひひっ、と下卑た笑みを零し、指先にべっとりと付いた赤々とした鮮血をぺろり、と舐める。
暗闇の中で不気味な血色の光を放つ瞳が、すう、と細められ、男が笑みを浮かべたのがわかる。


うっとり、と恍惚の表情で血を口にするその光景にぞくり、と背筋に悪寒が走る。
違う生き物だと頭ではわかっているのに、口に含むその血が人の物であるからなのか、それともその姿が限りなく人に近いものであるからなのか、抱く嫌悪は他のどの生き物に抱くものよりも勝っていた。


「血…血ぃ…!お前の、血…っ!もっと、欲しいぃ!」


はぁ、はぁ、と興奮したように息を荒くした男はぎろり、と血色の目を見開き、綴に手を伸ばし、迫ってくる。
ダンッダンッと続けざまに放たれた銃弾は肩口、腹部、腕、と数か所に鈍い音を立てて撃ち込まれるが、理性を失い、痛覚も鈍っているのか、男はそれでも足を止めず、地面を蹴って最後の距離を縮めると、綴に飛びかかる。


「っか、はっ…っぁ…っ」


首を鷲掴みにされ、壁に身体を押し付けられる。頭と背中が堅いコンクリートに容赦なく叩きつけられ、鈍い痛みが体中に走ると同時に、一瞬息が詰まる。


耳元で聞こえる男の荒い息遣いが気持ち悪くて、首を掴まれているせいで息苦しくて、綴の表情がぐっ、と歪む。


―っ…くそっ…。


ふと、男の肩越しに見える月は赤く輝いていて、嫌な色をしていた。
血を求める時の、彼等の瞳の様だ。ぞくり、と背中に走る悪寒ににたものは、認めたくはないが、彼等に対する畏怖で、けれどそれは拒絶の証でもあった。


「っこのっ…吸血鬼ぁっ…!」


精一杯の力を込めて撃った弾は急所近くに当たったらしく、首を掴んでいた手が離れ、ふらふらと身体がふらつく。自由になった綴は素早く空気を吸い込むと、まだ荒い呼吸を繰り返しながらも、地面に膝をついた男に銃口を向ける。


「ぐぅ、うっ…血ぃ、ぃ…ちが…う…い、やだ…俺、は…」


痛みのせいか、僅かに取り戻しかけている理性に、引き金にかけた指がぴくり、と小さく揺れ、僅かに指の力が緩む。
はっ、とすると同時に、綴の正面、男の背後からドンッ、と鋭い銃声が男の身体を貫き、鮮血が地面を汚す。


「っ…!」


銃弾を受け、一際大きく揺れ、そして倒れた身体はピクリとも動かず、刹那、指先からサラサラ、と塵に変わる。


「ちっ…もう1匹居やがったのか」


コツ、コツ、と小さな足音を立て暗がりから姿を現した青年は、まぁ良いか、と若干気だるげに零すと、カサ…、と既に風に散らされ始めている先程の吸血鬼の残骸を軽く踏みつける。


「…」


柔らかく跳ねた髪が、コートの裾と共に、ゆらゆらと夜風に揺れる。青年は足元の残骸から、綴へと視線を向ける。


「鈍臭い奴」


「海、斗…」


海斗は膝を折り、綴に目線を合わせる様に屈むと、未だ血の流れ出る右腕に視線を落とす。
僅かに寄った眉間の皺に、つられる様に綴の眉間にも更に皺が寄る。親に失敗が見つかった子供の様な気分だ。情けなくて、恥ずかしくて、惨めだ。


「…さっさと止血しろ。臭いで奴等が群がってくる」


さっ、と素早く周囲に目配せする海斗の瞳は鋭く、まさに狩人のそれで、まだ狩りは終わっていないのだと語っている。


綴は懐からハンカチを取り出し、素早くぐるぐると手に巻き付ける。締め付けたせいでより強く走る痛みに、一瞬、眉間の皺を更に深く刻み、堪えるようにきゅっと口唇を引き結ぶ。じわりと涙が浮かぶが、ぐっと堪える。


「くっ…っぅ…」


綴の左の二の腕を掴み、引き上げる様に立ち上がらせた海斗は背を向け、歩き出す。


「行くぞ。一旦宿に戻って、朝には発つ」


綴は無言で頷くと、すたすたと歩く海斗の後をとことこと追いかける様に歩く。


「…海斗」


「あ?」


「…ごめん」


海斗は小さく溜息を吐く。それと同時に2人の影の間の距離がほんの僅かに縮み、海斗が歩く速さを緩めた事に気付く。


「そんなんだからいつまでも俺(子守り)が付いてなきゃなんねーンだろ」


「…ありがとう」


『―僕が誰かは、いずれわかる』

やや古びた宿の扉をキィ、と少し軋ませながら入って来た海斗は、腕の中に包帯とガーゼ、消毒用のアルコールを抱え、後ろ足で軽くドアを蹴り、ガチャン、と扉を閉める。


外見はやや古びた建物だが、ハンター協会と協定を結んでいる宿なだけあって、吸血鬼避けの仕掛けや、隠し武器庫、治療道具などは充分揃っている。


海斗はコツコツ、と靴の音を鳴らしながらベッドの横の備え付けのテーブルにドサッ、と腕から零す様に置く。


「―吸血鬼相手にすぐに油断するからそうやって痛い目みんだよ」


そう言うとテーブルの横の椅子に怪我をした腕を抱えて座る綴を見下ろす。


ぶっきらぼうに言われた言葉にほとんど反射的に反論しようと口を開きかけるが、上手く反論が見つからず、綴はぐっ、と口を噤む。


「っ!いっ、たぁっ…」


腕の傷に押し付けられたアルコール付きのガーゼに、綴はぎゅっ、と顔を歪め、呻く。


「我慢しろ」


気遣う様子もなく、淡々とガーゼを押し当てる海斗は短くそう言うと、ガーゼを置き、今度は手際よく包帯を巻いていく。


「くっ、ぅぅ…っ」


痛みに、じわり、と涙が滲む。


「…綴」


ぎゅっと堅く閉じていた瞳を開く。


「これから先もハンターでありたいなら、奴等への同情や情けは捨てろ」


海斗の鋭い瞳と視線が重なる。
透き通った瞳は、純粋さではなく、研ぎ澄まされた刃の様だと思う。


「そんなもの、俺達には必要ない」


ハンターになると決めてから、刷り込みの様に何度も言われてきた言葉。
これまで何度も吸血鬼と対峙してきてその言葉を実感してきた筈なのに、未だに消えない反感の様なものは、彼に言わせれば弱さでしかないのだろう。


それでも捨ててはいけない何かの様で、手放してはいけない気がして、決して弱さではないのだとどうにか縋りたくて、足掻くように理由を探している自分がいる事も自覚している。


「海斗や師匠はそう言うけど、それじゃただの人殺しと変わらない…」


綴の反論など痛くもかゆくもないとばかりに海斗ははっ、と鼻で嗤う。


「変わらなくて結構。ただし、俺達が殺してるのは人間の姿をした化物だ」


窓の外を見る海斗の視線を追う様に綴も視線を向ける。
濃い藍色の空は明るさを帯び始めていて、夜明けが近い事を示していた。


「―それを忘れるな」


もう1度、海斗の視線と、ぶつかる。静かな瞳なのに、いっそ冷たくも思える刃の様な瞳なのに、その内に潜む憎しみにも殺意にも似た激情が胸を揺さぶる。


その度に思う。自分は怯えているのかもしれない。
何かに強く殺意を抱く事に。血に塗れる事に慣れてしまう事に。


―お前の甘さは、いずれ命取りになるぞ。


綴はぐっ、と下唇を噛む。唇の内側の肉に歯が食い込み、痛みと共にぎりっ、と嫌な音が耳に入る。


決めたのに。


あの日。家族を亡くして、ハンターの道が示された時に。


弱さは捨てるって。強くなるって。


「っ…―」


―躊躇いなくこの引き金を引けるようになれば、それが強さの証明になるのだろうか…―。

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