そして迎えた土曜日の午後。
寝子はこの間、店に来たのと同じくらいの時間に帰ってきて、用意するから、って一旦部屋に戻ってった。
だけど、ぼくの前には客人がひとり。寝子について来た、小動物みたいなチエさんっていう女の子。
ふたりの様子はとても親しそうだったけれど、ぼくが会うのはこれが初めてだった。
「噂には聞いてたけど、なかなかすごいところだね。本当にマスクだらけだ」
写真撮っていい?と聞かれたので、どうぞって答える。
チエさんはあれこれ珍しそうに眺めながら、首から下げた大きなカメラを構えた。薄く鳴らしてた音楽の合間にシャッター音が響いて、ぼくは邪魔しないように隅っこからそれを眺める。
すると、不意打ちのようにレンズを向けられて、一枚撮られてしまった。
「あぁ、ぼくも撮影対象だったの」
「個人的な趣味で、会った人を記録したいだけなんだ。ダメなら消す」
「いや、大丈夫」
メモと写真、媒体は違うけど、寝子と気が合ってるのはそういうところ、かな。
同じようなタイプって仲良くなるか嫌ってしまうか、白か黒かはっきりしてしまいそうな相手だけど、このふたりの場合は前者だったんだろう。
たいして広くもない店だから、チエさんが店内をひととおり撮り終えるのにそう時間はかからなかった。
「あんまり、面白いものじゃなかったでしょ」
「いいや、来れてよかった」
ただのマスク屋だよ、とぼくが言うと、だからだよ、とチエさんが返す。
「ただのマスク屋がちゃんと成り立ってるのって、やっぱり面白い。たぶん、人間にとってはね」
「なるほどね、そういう視点もアリだ」
なんとなく、彼女のとても近いところに喰種が居るような言い方だった。
好奇心が強そうな子だから、興味本位で探っているのか、それとも。
そしてぼくは、どういうポジションで居るのが良いんだろう。
関わり方を思案していたのはチエさんも同じだったようで、お互いに態度を決めかねているような沈黙の最中に、寝子が店に戻ってきた。
「おまたせ、って、どうした?なんかあった?」
なんでもないよ、その返事がふたりでハモってしまって、チエさんとぼくは視線だけを合わせて苦笑する。
「チエさん、楽しい子だね」
「ウタさんも結構興味深い」
「私の予想では、ふたり気が合うはずなんだけどな?」
会ったばっかで、相互理解が足りてないんだよ。寝子は仕方ないなあ、とでも言いたげに呟いた。
「そうだ!今日さ、チエも一緒に呑み行こう」
「んん?」
「や、今日、呑みに行く約束しててさ……ね、ウタ、一緒でもいいよね?」
たぶんチエさんは、ぼくが知らない寝子を知っているだろう。それは仕事のことかもしれないし、プライベートのことかもしれない。
きっと、彼女から聞ける何気ない話は、ぼくの知らない寝子を構成するピースになるはずだ。
とても利己的で打算的な考えを隠して、いいよって答えたぼくを見て、寝子は決まりね、って顔を綻ばせた。
「危険区のマスク屋と情報屋の呑み会なんて、どう考えても面白すぎるね。断る理由がない」
「……また仕事のネタにしようと思ってるでしょ」
「そのセリフ、寝子にだけは言われたくないなあ」
こういうの、ビョーキだね。お互いね。そう言いあうふたりは揃ってぼくのほうを見て、行こっか、と促した。
ぼくの知らない人と、ぼくの少し前を歩いている寝子。
それだけで、なんだか寝子まで知らない人のように見えてしまう。
……そもそもぼくって、こんなちいさな違いを気にするほう、だったかなぁ。
今夜はとても冷え込むかわりに明日から暖かくなるっていう天気予報は、今のところ大当たりだった。
身を切るような夜風はとても冷たくて、コートの上からもどんどん体温を奪っていってしまう。
そしてぼくの中に残された熱を限界まで削って、隠れていた形をはっきりさせてしまう。
欠けたところも、足りないところも、全部。
まるで、寄ってたかって秘密を暴いて、ぼくに考え事をさせたがっているみたいに。
季節は進んだり戻ったり、繰り返してるうちに春が来る。
ぼくの心も進んだり戻ったり、行ったり来たりしてるのかもしれない。
でもね、春が来たわけでもないのに駆け出してしまいそうなのは、何故?