#30



『行ってくる。来るとき一応知らせてくれ』

 春高予選の試合日の朝、孝ちゃんから連絡が来ていた。『了解です。いってらっしゃい』そう返した。トーナメントを順調に勝ち進んでいけば、孝ちゃんと及川くんは戦うことになる。そしてどちらかの高校バレー生活は幕を引く。理解はしているはずなのに、いざ現実が迫ると緊張が高まってどうしようもなくなる。私はコートに立てるわけでもないのに。応援することしか出来ないのに。
 実際、烏野も青城も強豪を相手にトーナメントを勝ち進んだ。トラブルに見舞われる事もあったけれど、それはまるで運命かのように、神が定めた試練のように、烏野と青城は互いを対戦相手とすることとなった。
 ギャラリーから見える二人のセッター。一人はコートに一人は控えに。だけど志と想いは同じで、そこに優劣はない。審判の笛の音。ボールが床に落ちる音。選手の掛け声。応援席からの声援。一人一人の一挙一動が試合を作り出していく。私は、中学最後の試合を思い出した。
 あの時は孝ちゃんだけを見ていた。孝ちゃんに勝ってほしくて、それだけを考えていた、だけど今は違う。どちらにも勝ってほしい。だけどそんな事は無理だ。だからどうか、誇れる試合になれば良い。だって負けることは恥ではない。それを私が理解できているのはきっと、孝ちゃんという存在がいたからだ。そして、及川くんという存在がいたからだ。


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 結果を言うなら、烏野は強豪白鳥沢をも打ち破り、全国へ駒を進めることとなった。県内の予選が終わり、一息ついたであろう頃、私は孝ちゃんと及川くんに連絡をとった。秋もきっとすぐに終わってしまう。そうして冬がやってくる前に私も、私の気持ちに区切りをつけなければならない。

「全国おめでとう!」
「おう、ありがとな!」

 孝ちゃんと会って話すのは久しぶりだった。全国へ行くことが決まったからなのか、その顔つきは前に会ったときよりも生き生きしている気がする。

「試合、ちゃんと全部見たよ」
「ありがとな」
「かっこよかった」
「本当はもっとかっこいいとこ見せられたらよかったんだけど」
「すごくかっこよかった。今までとは違うんだなって、ちょっと寂しいくらいにかっこよかった。私の自慢の幼馴染」

 ありがとな。孝ちゃんは繰り返した。私はそんな彼の顔を見ながら口を開く。なぜか心は落ち着いていた。

「あのね、孝ちゃん」
「どうした、改まって」
「私、孝ちゃんのことずっと好きだったよ。絵本で見る騎士みたいってずっと思ってた。大人になったら結婚するんだって思ってた。そうやって少しずつ大人になって、なんにもない私と、バレーをしている孝ちゃんとの間に溝を感じちゃった。……青城を選んだのは孝ちゃんに置いていかれたくないって気持ちもどこかにあったんだと思う。私は私の世界で生きてやるんだみたいな意地がね。それこそ子供っぽいんだけど」

 上手に伝えられる言葉を口から出せない。だけど真剣に聞いてくれる孝ちゃんは、私の大好きな孝ちゃんのままだった。

「私、孝ちゃんに好きだよって言われたとき驚いたけれど本当に嬉しかった。でも私、たくさん考えて、悩んで気付いたんだ。孝ちゃんへの好きはそれだけじゃないって。好きの中の尊敬とか、憧れとか、そういうのがつまってるって」
「そういう好きは、ダメってこと?」
「違うの。そうじゃないの。……孝ちゃんには、いつまでも私が憧れる孝ちゃんであってほしい。私の先を歩いて、たまに振り返って私を見てほしい。そしたら私は後ろの方から、ここにいるよって頑張ってるよって大きな声で言える。……私、孝ちゃんじゃない人を好きになった」

 これは、終わりではない。幼馴染という関係はこれからも続いていく。しかし、けじめだ。私が孝ちゃんから離れるための、及川くんを好きだと覚悟を決めるためのけじめなのだ。孝ちゃんへの好きと及川くんへの好きは少し色が違う。二人の色が違うように。

「孝ちゃんが幼馴染で本当によかった。孝ちゃんを好きになれて本当によかった。それだけは、絶対に覆らない。胸を張って言える」

 私のことを酷い人間だと思う人はきっと多くいると思う。自分勝手だって、優しくないって。それは自分でもそう思う。よくもまあ、ぬけぬけと……なんて思う。だけどこれが孝ちゃんじゃなかったらきっとこんな選択は出来なかった。産まれてからずっと近くにいて、誰よりも互いを知っていて、心から信じているから。壊れぬ絆をそこに見ることが出来るから。

「そいつを選んで、ちゃんと幸せになれるか? 毎日楽しいって思えるか?」
「うん。思える。あの人なら、思える」
「……よし。なら、そっくりそのまま返してやる。名前が幼馴染で本当に、本当によかったって」

 私の幼馴染。私の好きだった人。私の最大の理解者。ありがとう、さようなら。そしてこれからも変わらずにいる人。孝ちゃんは私にとって、永遠の憧れだ。


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 及川くんにどのように伝えたら良いのか。いざ、覚悟を決めて話をする時間をつくってもらったのはいいものの、彼を目の前にするとどこから切り出して良いのかわからなかった。初めて及川くんと一緒に帰路を共にしていると言うのもあるのかもしれない。

「あ、そうだ。この間は応援ありがとね」
「えっ」
「ほら、予選の。うちの応援したり、烏野の応援したりで名前ちゃん大変だったんじゃない?」
「あ、ううん。そんなこと全然。楽しかったから」

 及川くんはいつもと変わらない及川くんだった。青城が負けちゃったことが幻なんじゃないなかなって思うけれど、月曜日でもないのに一緒に帰れるということは、そういうことなのだ。
 そんな私の思考を読んだのか、及川くんは自ら試合に触れた。腫れ物にさわるような態度をとるつもりはないが、こういう時にどんな態度をとったら良いかわからない。お疲れさま。とか、凄かったよ。とか、そんな労いの言葉はただ見るしか出来なかった私には言える資格がないんじゃないかなって思うのだ。

「名前ちゃんにはかっこいいところだけ見せたかったのにな」

 そのセリフに孝ちゃんが重なる。

「……男の子はみんなそう言うんだね。十分、かっこいいのに」
「男なんて単純な生き物だから、好きな子にはカッコ悪いとこ見せたくないんだよ」

 及川くんが立ち止まる。つられて私の足も止まる。見上げる身長は、相変わらず高い。孝ちゃんの隣に慣れていたから、余計に。

「これで名前ちゃんは好きな人だけを、思いっきり応援出来るね」
「え?」
「だってほら、一応青城生だし、烏野だけを応援ってしにくかったでしょ?」

 私は及川くんの名前を呼んだ。

「……あの、私のこと、まだ、ちゃんと好き?」
「うん。悔しいけど、まだ好き。名前ちゃんが烏野の2番くんを好きでも、まだ諦められそうにないくらいには好きかな」
「私、考えて悩んで、それで結論が……多分結論だと思うものが出たから及川くんに聞いてほしい」

 及川くんはしばし私を真っ直ぐに見つめ「いいよ」と言った。すぐ近くにある公園のベンチに移動して、隣にいる及川くんへ伝える言葉を考える。

「幼馴染のあの人がずっと好きだった。小さいときから何をするにも、その人で、私の人生の半分はあの人で出来てるんだと思う。私は大人になったらあの人と結婚したかったし、するものだと思ってた。彼がいてくれれば私の人生は大丈夫って。……でも、その途中で及川くんと出会った。及川くんが私を好きになってくれて、幼馴染以外の男の子と初めてこんな風に距離を縮めてることが不思議で変な感じしてた。及川くんのこと、私きっとまだ全然知らないけど、知らないことが興味を誘うんだ」
「うん」
「私にとって孝ちゃんは死ぬまで特別なんだと思う。でも今、私の心の中に及川くんの存在がすごく大きい存在としてあるの。本当は孝ちゃんのことを割りきれればいいんだけど、孝ちゃんがバレーを始めたから私は及川くんに会えた。そう思うと、彼を好きだった今までの自分を含めて誇りたいと思うんだよね。つまり、何が言いたいかっていうと――」

 拳を強く握った。

「及川くんのことを好きになりました。まだ及川くんが私を好きだって思ってくれてるなら、わがままだけど、こう考えている私ごと、受け止めてほしい。それで、及川くんのカッコ悪いところも全部、私にみせてほしい」

 及川くんはちょっと驚いて、そして、笑った。

「名前ちゃんは欲張りだなぁ」
「……やっぱり嫌かな?」
「ううん。それでも好きだよ。自分に素直に生きる名前ちゃんが好きだよ」

 及川くんの大きな手が私の頭に乗る。彼は王子さまみたいな人だ。そしてきっと私の隣を歩いてくれる人。

「でも負けっぱなしは悔しいから、俺のことしか考えられないくらいに名前ちゃんのこと大切にするから、覚悟しててね?」

 うん。私は笑みを堪えて答えた。及川くんのこういうところが本当に好きだ。きっと及川くんは優しい。孝ちゃんとは違う優しさを私に伝えてくれる。そうしていつか、私は及川くんの言うように、彼のことばかりを考える日々が来るようになるかもしれない。どうかその日まで、そしてその先の日々もこの人といられますように、と密やかに思っていた。


 卒業を半年後に控えた、高校3年生の秋のことである。

(16.03.10 / 完)