(その後)


 温かい日差しを受けて、ちょうど1年前の事を思い出す。

「名前ちゃん!」
「徹くん」

 到着口から出てきた徹くんは、私を見つけるなり名前を呼んで駆け寄った。アルゼンチンからのフライトは想像を絶するほど長かっただろうに、徹くんからそんな様子は微塵も感じられない。

「会いたかった」
「私も今日楽しみにしてた」

 高校を卒業した徹くんは単身アルゼンチンへ、そして私は東京の大学へ進学を決めた。それから数年。私は大学を卒業しそのまま都内で就職。そして徹くんはアルゼンチンに帰化し、アルゼンチンを代表とするバレーボール選手となったのである。

「徹くん疲れてるでしょ? 一旦休む?」
「ううん。飛行機でしっかり寝てきた」
「ご飯は?」
「ちょっとお腹はすいてるかな」
「じゃあご飯食べてから電車乗ろっか」

 徹くんは私の背に手を回し、エスコートするように歩き出した。海外で生活するとこういうこともスマートに出来るようになるのかなと思ったけれど、徹くんの性格を考えるとそういう素質があったようにも思える。

「俺に会えなくて寂しかった?」
「それ聞くー? まあまあかな」
「まあまあ!?」
「寂しかったり寂しくなかったり」

 会いたいときに会えないのは寂しかった。でも海の向こうで頑張ってるってちゃんと知ってるから寂しくなかった。そして今は日本で無事に会えて最高に幸せ。素直にそう言えば徹くんは「……名前ちゃんはずるいね」とこぼすように言った。頭上で呟かれた言葉を笑いながら拾う。

「狡いなの?」
「俺は眠る前に顔思い出すから」

 温かい気持ちが宿る。時々、どうして私は徹くんとうまくやっていけているんだろうと疑問に思う。国際恋愛は覚悟していたよりずっと辛いし大変だ。細やかな幸せや愛しさが苦しさを下回る事はよくある。
 もうやめてもいいんじゃないかなと思う時もあったのに、その度に引き留めるのも徹くんなのだ。何気ない言葉が、気遣いが、優しさが、苦しさを大幅に上回るから。

「最近、菅原くんとはよく会ってるの?」
「帰省した時は。普段は離れてるし、なかなか」
「ふーん……」
「おや、徹くん、嫉妬ですか?」
「……ちょっと羨ましいなって思っただけ」
「私、徹くんのことしか考えてないよ」

 青い春を思い出す。たくさんの絵の具を混ぜでぐちゃぐちゃになった心情を。過去から続いてきた私が、どうしたってこの人を好きでいたいと叫ぶのだ。

「名前ちゃんからそんな言葉が聞ける日がくるとは思わなかった」

 徹くんの言葉を聞いて微笑む。徹くん。徹くんは自分のほうが私の事を大好きだと思っているだろうけれど、それはきっと違うよ。好きの大きさは測るものではないけれど、多分、私のほうが徹くんのことを大好きになっている。

「ねえ、ご飯の前に展望デッキ行ってもいい?」
「展望デッキ?」

 徹くんの提案に首を傾げる。断る理由もなくて私は首を縦に降った。展望デッキに通じる道を歩いて、外に出ると並んだ飛行機と離陸したばかりの飛行機が目に入る。
 遥か遠い空を道にして徹くんはここまで来た。会った瞬間、別れの日を想像して悲しいなと思ったこときっと徹くんは気が付かないだろう。私はまたこうして徹くんが帰っていくんだなと想像して胸がちょっとだけ傷んだ。

「名前ちゃん」
「うん」
「俺、全然良い彼氏じゃないよね」
「え?」
「彼氏がアルゼンチン人とかびっくりされない?」
「それはされる」

 一周回って話のネタになるくらいに。でもいいんだ。覚悟はゆっくりだけど、ちゃんと決まった。大嫌いになるまで徹くんを大好きでいたいと。

「帰国したら言おうと思ったんだけど」

 でも、その覚悟は私だけのものだから。徹くんがどうかはわからない。
 神妙な面持ちでで私を見つめる徹くんに私は言葉をなくし、ちょっとだけ別れ話を覚悟した。やっぱりこういうの大変だから今回を機に終わりにしよう、とか。

(まあ、言われてもおかしくはない恋愛ではある、か……)

 握り拳にぐっと力を込めて徹くんの言葉を待つ。別れようって言われたら私、頷けるんだろうか。嫌だって泣くほど子供じゃないし、引き留められるほど強くもない。
 
「一緒にアルゼンチンに来てくれない?」
「……え?」
 
 離陸した飛行機と、着陸する飛行機が交差するのを見つめる。徹くんの顔は普段からは考えられないほど緊張していて、何か言わなくてはいけないとわかっているのに私はまだ何も言えないままだった。

「日本での生活もあるってわかってるんだけど、俺がずっと一生、ちゃんと幸せにするから、不自由な思いはさせないから、だから」

 青い空が広がる。世界は広くて、嫌になるくらい広くて、なのに私達は出会って恋した。

「名前ちゃんと結婚したい。それで俺を近くで見てて。近くで応援して」

 高校生の私に言えば到底信じないだろう。自分の結婚相手が徹くんだなんて、夢にも思わない。でも夢にも思わないことが起こるのが人生なのかもしれない。徹くんがアルゼンチンに帰化したことも、私が孝ちゃんへの恋心を過去にしたことも、あの頃は何一つ考えはしなかった。
 手を伸ばす。触れた徹くんの頬は温かい。「語学、勉強しないと」そう言えば徹くんは笑った。高校生の頃と変わらない、整った顔で。


 それから1年後、私は徹くんと共にアルゼンチンで暮らしている。

『孝ちゃん、私は毎日楽しく暮らしてるよ。たくさん幸せを感じてるよ。今もずっと、幼馴染で良かったなって思ってるよ。高校生の時に交わした言葉はちゃんと胸に残ってるから。Hasta la vista』

 無事に日本に届きますようにと願い、大切な幼馴染宛の絵葉書を投函した。

(21.02.01 /60万打企画リクエスト)