(その後)


(ま、間に合わない……! いや、間に合わせる!)

 仕事が終わって、帰路を急ぐ。2021年。夏。東京で開催されるオリンピック。男子バレーボール日本代表の選手には孝ちゃんの後輩がいて、そして男子バレーボールアルゼンチン代表の選手にはあの及川くんがいる。
 お互い仕事がある事に加えてチケット戦線に負けてしまったから直接試合を観に行くことは叶わなかったけれど、今夜の試合はどうしても孝ちゃんと一緒に見たかった。

『名前間に合いそう?』
『猛ダッシュしてる!』

 赤信号で足止めを食らうのすらもどかしい。孝ちゃんからの連絡に返信をして信号が青になった瞬間、私はまた駆け出した。生まれ育った宮城の地。安心と安定と優しさが満ちる、私の故郷。

「孝ちゃん! 間に合った!?」
「お〜。おかえり」

 ずいぶん前にもらった合鍵を使って孝ちゃんの部屋に入ってゆっくりと息を整える。テレビでは有名タレントが試合の見どころを紹介していて孝ちゃんから聞く前に間に合ったことを悟る。

「おつかれ」
「残業放棄してきた。明日の私に期待」
「今日の試合は見逃せないもんな」

 急いで手を洗って孝ちゃんの隣に座った。幼馴染兼恋人。報われた私の恋は今も終わることなく続いている。幼馴染が故に恥ずかしくて困ることもあるけれど、幼馴染だからこそ言葉がなくてもわかりあえる場面もたくさんあって、この距離感は私にとっては案外理想的だったりする。

「影山と日向はもちろんだけど、及川も凄いよな」
「及川くん、アルゼンチンに帰化したんだもんね」
「世界で戦ってるやつらは規模がちげえわ」

 小学校の先生になった孝ちゃんと会社員の私。自分たちが大人になっていく過程をもれることなく共に過ごしてきた。ロマンチックがなくても、世界を相手にしなくても、私にとって孝ちゃんがヒーローなのは変わらないままだ。

「まあ及川くんなら納得するけどね」

 青い春を思い出す。たくさんの絵の具を混ぜでぐちゃぐちゃになった心情を。あの頃はこんな未来がくるなんて夢にも思わなかった。一人暮らしの孝ちゃんの部屋の合鍵を渡されるような存在なれることも、私を好きだと言ってくれた及川くんがアルゼンチン代表になることも。

(昨日のことみたいに思い出せるのにもう何年も前の話なんだよね)

 テレビの中にいる及川くんも隣にいる孝ちゃんも大人の表情を見せている。私が及川くんを選ぶことはなかったけれど、今でも及川くんの言葉は私を勇気付けてくれる。あの日々はなくてはならないものだった。

「こんな凄い人達と過ごしてたんだね、私達」
「だな」
「まあ私はこうして孝ちゃんとオリンピック観戦するのも凄いって思うけどね」
「なんで?」
「孝ちゃんとはずっと幼馴染のままなんだろうなって思ってたから」

 いろいろなことがあったしきっとこれからもいろいろなことがあると思うけれど、過去から続いてきた私が、どうしたってこの人じゃないと駄目だと叫ぶのだ。
 だから私は孝ちゃんと出会うべくして出会ったと思いたいし、幼馴染になるべくしてなったと思っていたい。驚くほどに後悔はなにもない。

「……あのさ」

 第1セット、最初のテクニカルタイムアウトの時、孝ちゃんがテレビから視線を外して私を見つめた。

「うん?」
「結婚しない?」

 突然のことに、試合の行く末を見守るのも忘れて私も孝ちゃんを見た。視線が合って、私を見る孝ちゃんの瞳が揺らいでいる。あ、孝ちゃんが珍しく緊張している。言われた言葉について考えるよりも前にそんなことを思った。

「幼馴染じゃなくて、家族になろう」
「家族……」

 結婚。家族みたいな存在、じゃなくて正真正銘の家族になる。

「これからもあの約束を守らせて」

 テレビに大きく及川くんが映って私はその人を見つめた。高校3年間同じ学び舎に通った人。私を好きと言ってくれて、背中を押してくれた人。長い人生のとても短い時間、私達は交差した。世界はこんなにも広いのに私はとても小さな範囲で恋をした。絶対に手放せられない恋を。私が守れる範囲はきっと、いつだってこの大きさ。

「うん。私も孝ちゃんがいい。私の人生、孝ちゃん以外は考えられない」

 幼馴染って、世間が思うほど特別ではない。将来結婚しようねなんて約束はしてないし、2階の窓から相手の部屋へ侵入もしない。幼馴染だからって毎日登下校を一緒にするわけでもないし、幼馴染だからって相手の事何でも分かるわけでもない。
 それでも、時々奇跡みたいなことも起こる。特別になれて、結婚の約束をして、相手のことを分かるようになる。そんな日がきたりもするのだ。

「あー緊張した……」
「孝ちゃんでも私に対して緊張するんだね」
「そりゃあこういうのはするもんだべ」

 それはこの世界で産声をあげた瞬間から決まってたんじゃないかって思うくらい自然に、私の中で一緒に育ってきた感情。誰にも言えない私だけの秘密はもう秘密ではなくなった。
 私はずっと幼馴染の菅原孝支に恋をしている。そしてきっとそれはこれから愛に形を変えていくんだろう。ゆっくりと時間をかけて。

(21.02.02 /60万打企画リクエスト)
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