#30



『行ってくる。来るとき一応知らせてくれ』

 春高予選の試合日の朝、孝ちゃんから連絡が来ていた。『了解です。いってらっしゃい』そう返した。トーナメントを順調に勝ち進んでいけば、孝ちゃんと及川くんは戦うことになる。そしてどちらかの高校バレー生活は幕を引く。理解はしていたはずなのに、いざ現実が迫ると緊張が高まってどうしようもなくなる。私はコートに立てるわけでもないのに。応援することしか出来ないのに。
 実際、烏野も青城も強豪を相手にトーナメントを勝ち進んだ。トラブルに見舞われる事もあったけれど、それはまるで運命かのように、神が定めた試練のように、烏野と青城は互いを対戦相手とすることとなった。
 ギャラリーから見える二人のセッター。一人はコートに一人は控えに。だけど志と想いは同じで、そこに優劣はない。審判の笛の音。ボールが床に落ちる音。選手の掛け声。応援席からの声援。一人一人の一挙一動が試合を作り出していく。私は、中学最後の試合を思い出した。
 あの時は孝ちゃんだけを見ていた。孝ちゃんに勝ってほしくて、それだけを考えていた、だけど今は違う。どちらにも勝ってほしい。だけどそんな事は無理だ。だからどうか、誇れる試合になれば良い。だって負けることは恥ではない。それを私が理解できているのはきっと、孝ちゃんという存在がいたからだ。そして、及川くんという存在がいたからだ。


△  ▼  △


 結果を言うなら、烏野は強豪白鳥沢をも打ち破り、全国へ駒を進めることとなった。県内の予選が終わり、一息ついたであろう頃、私は孝ちゃんと及川くんに連絡をとった。秋もきっとすぐに終わってしまう。そうして冬がやってくるまえに私も、私の気持ちに区切りをつけなければならない。

「ごめんね、無理言って」
「全然。だって今日は予定もなかったし」

 及川くんに一緒に帰りたいと言った。いつでもいいよ、と言えば及川くんもいつでもいいよ、とおうむ返しのように言うから私は少し笑って、そして高校生活の部活動が終わったのだということを痛感した。

「いざ時間が出来ると、何したら良いかわからなくなるもんだね」
「勉強、とか?」
「はは。一応俺たち受験生だもんねえ」

 及川くんはさほど問題ではないように言う。どこか他人事だ。いや、他人事なのだろうか。例えばスポーツ推薦をもらっていたりしていたら。及川くんなら不思議ではない。でも私は本当のところを知らない。知らないし、聞くこともしようとしなかった。必要以上に及川くんを知ることは、今の私にとって良くないような気がしたのだ。
 他愛もないことは普通に言えるのに、いざ本当に伝えたいことを言おうと思ったとき、及川くんにどのように伝えたら良いのかわからなかった。試合の事とか、触れていいのかな。

「あ、そうだ。この間は応援ありがとね」
「えっ」
「ほら、予選の。うちの応援したり、烏野の応援したりで名前ちゃん大変だったんじゃない?」
「あ、ううん。そんなこと全然。楽しかったから」

 そんな私の思考を読んだのか、及川くんは自ら試合に触れた。腫れ物にさわるような態度をとるつもりはないが、こういう時にどんな態度をとったら良いかわからない。お疲れさま。とか、凄かったよ。とか、そんな労いの言葉はただ見るしか出来なかった私には言える資格がないんじゃないかなって思うのだ。

「名前ちゃんにはかっこいいところだけ見せたかったのにな」
「及川くんは十分かっこいいよ」
「そう?」
「うん」
「たまに思い出したりするかな?」
「え?」
「例えば名前ちゃんが大人になって、どこかでバレーを見たときに俺のこと思い出してくれたりするのかな」

 うん、と答えた。小さく頷いて。うん、きっと思い出す。高校の時、同級生の男の子に凄くバレーの上手な人がいてね、って。その人は努力家で、でもそれを人には見せなくて、いざ腕前の披露となれば周りがおののいてしまうくらいの姿を見せるんだよ、と。私はきっと自慢気に語るだろう。

「夏も終わったもんね」
「うん」
「名前ちゃんの言いたいことはまあ、わかってるから。大丈夫」

 大丈夫。果たして及川くんにとっての大丈夫とはなんだったのだろうか。

「あのさ、私――」

 優しい、というよりは悟った様子の及川くんが私を見ていた。

「私、ずっと、自分に自信がなかった。特別に可愛いわけでも、何かが秀でてるわけでもなくて、自慢できるものとかももってなくて、劣等感とかそういうの、結構感じたりしてたんだ。だから、及川くんが私を好きって言ってくれたときは理解できなくて、信じられなくて。及川くんみたいな、とにかく私とは正反対の人から好かれることが不思議で仕方なかった」
「俺は名前ちゃんが思うよりも全然、普通の男子高校生だよ」
「うん。そうだよね。でも、及川くんに好かれたことは私の自信になった。嬉しくて、でも応えられない自分が苦しかった」

 大きく息を吸う。

「及川くん。こんな私を、今日までずっと好きでいてくれて本当にありがとう」

 及川くんはちょっと悲しそうに笑った。

「本当にずるいよね。ゆっくり名前ちゃんのことなんて嫌いになってやろうって思ったのにさ。そういうこと言ってくるんだもん」 

 及川くん。私は及川くんを思い出すよ。思い出してきっとその度に私はあなたから勇気を貰う。自信をもらう。

「こんな魅力的な男をふるなんてさ、名前ちゃん見る目ないよ」
「そうなのかも」
「だからさ、最後までかっこつけさせてね」
「え?」
「俺のこと選ばなかったんだから、名前ちゃんはちゃんと言うんだよ。俺から貰ったっていう自信を持って、幼馴染くんに、好きだって」
「うん。言う。ちゃんと言える。大丈夫だよ」

 ありがとう、及川くん。言える言葉はもうそれだけしかない。ただただ、ありがとう。孝ちゃんとは違う場所でたくさんのものを与えてくれた、私の特別な人。


△  ▼  △


 その日の夜、私は孝ちゃんの部屋を訪ねた。この時期ともなれば夜はもう寒さを増している。その季節の移り変わりに時の長さと、そして短さをひさひしと感じた。少なくとも3年前はこんな日が訪れるなんて思ってもなかったから。

「全国、おめでとう」
「おう、ありがとな」

 孝ちゃんと会って話すのは久しぶりだった。全国へ行くことが決まったからなのか、その顔つきは前に会ったときよりも生き生きしている気がする。

「試合、ちゃんと全部見たよ。孝ちゃん、かっこよかった」
「本当はもっとかっこいいとこ見せられたらよかったんだけど」
「ううん。すごくかっこよかった。今までとは違うんだなって、ちょっと寂しいくらいにかっこよかった。……孝ちゃんがあんな風に喜んだり、悔しがったり、そういうの私、見たことなかったかも」
「そうだっけか?」
「うん。そうだよ」

 どのように切り出して、どのように伝えたら良いのか全然わからない。でも、あふれでる思いは確かにこの胸を締め付けていた。

「あのね、孝ちゃんは私のヒーローになりたいって言ったけど、私は孝ちゃんがヒーローじゃなくても、悪役でも、それこそ冴えない役回りでもなんでも良いんだよ。孝ちゃんが孝ちゃんでいてくれれば私はそれでいい。孝ちゃんがいい。カッコ悪いとこも、情けないとこも、テンション高いとこだって、私、知りたい。……ずっと抱えていた感情だから上手く伝えられるかどうか分からないけれど、私は孝ちゃんが、孝ちゃんのことが、誰よりも好きなの。幼馴染じゃなくて、特別な人としてそばにいたい。孝ちゃんは好きな人いるって言ったけど、私を選んでほしい。私が絶対、孝ちゃんを幸せにするから」

 吐き出した思いは拙いものなんてレベルじゃない。ただ支離滅裂。孝ちゃんは目を点にして私を見ている。ああ、もう、なんでもう少し上手いこと言えないんだろう、私。そんなことを考えている私をよそに、孝ちゃんは、笑った。なぜか凄く楽しそうに。

「すっげー、いきなりでビックリした」
「ご、ごめん」
「部屋に入ってきた名前の顔、すごく思い詰めてるようだったから心配だったけど、そういうことだったんだな」
「……恥ずかしながら」

 孝ちゃんは「ん〜」とわざとらしく悩む仕草を見せた。

「俺も前に言ったろ? 名前に言いたいことあるって」
「うん」
「俺だってさ、名前が好きだよ。幼馴染じゃなくて、一人の女の子として。名前の言い方が強烈過ぎるからもう何言って良いかわかんないけどさ、今、凄く嬉しいって思ってる」

 当たって砕ける勢いで伝えたから、思いもしなかった孝ちゃんの反応に、今度は私の目が点になる。

「幸せにするとかさ、名前はいつのまにか逞しくなったな。これじゃあ本当に名前のほうがヒーローみたいだよ」

 孝ちゃんからみえる私が逞しいのなら、それはきっと及川くんのお陰だ。私は頷いた。

「うん。それはきっと、青城に進学したからだよ」

 そこで、及川くんが私を好きになってくれたから。

「改めて、よろしくだな」
「……う、うん! ……え、あれ、待って。てかさ、つまりさ、孝ちゃんもずっと私が好きだったの?」
「そう言ったろ」
「えー! なんで言ってくれないの! 私、ものすごーく悩んでたのに!」
「俺もおなじだけ悩んでたんだよ」
「……そーなの?」
「そーなの」

 あ、そうなんだ。そっかそっか知らなかったわー。と客観的に思ってしまうのはまだどこか実感がわかないからだ。それでも、もう私を紹介するときは幼馴染ではないし、例えば手を繋いで道を歩いたりするのだ、と思うと心はただただ弾むばかりだった。いつまでも、孝ちゃんと一緒にいたいと思う。産まれた時から培った私たちのペースの中で、どこまでも。 


 卒業を半年後に控えた、高校3年生の秋のことである。

(16.03.14 / 完)