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 ウィリアム・シェイクスピアは言った。
『まことの恋をするものは、みな一目で恋に落ちる』と。




♂ ♀


 名字名前が赤葦京治を一目見たときに走った衝動は恋であった。絵に描いたような美しい桜並木、桃色の花弁がはらはらと風に落ちる4月。入学式当日。日本は東京。梟谷学園の真新しい制服に身を積んだ新入生たちは、まだ慣れないその服装にほんの少しの違和感を覚えながらも期待と緊張で胸を膨らませていた。
 それはもちろん名前も例外ではない。見慣れない校舎。見慣れない教室。見慣れない景色。これからたくさん楽しいことがあるといいなぁと思いながら訪れた教室。
 
「席、隣? よろしく」

 それは恐らく、名前の人生で1番の衝撃だっただろう。黒板に手書きされた座席表には丁寧な文字で名字と書かれてある。その場所へ腰を下ろした時だった。その声が届いたのは。

「あっ、よろし――」

 隣から届いた声の主へ顔を向けた瞬間、名前の時間は止まった。整った顔立ち。透き通る声色。形の良い唇。その男子生徒を瞳に捉えたと同時に胸の高鳴りが名前を襲う。生まれから十年そこそこ生きてきて、こんな感覚にみまわれたのは初めてのことだった。それでも名前は分かった。直感だった。これは恋だ、と。

「大丈夫⋯⋯?」
「えっ! あっはい! 大丈夫! よ、よろしくおねがいします⋯⋯!」

 瞬きを数回繰り返すと、急に謎の羞恥心が名前を襲う。高校生になったのだから、そういうこともあるだろと淡い期待もあった。中学生の時は片想いで満足も出来たけれど、高校生になったら初めての彼氏を作って原宿や渋谷へデートに行くんだと想像を膨らませていた。だけど、そんな急に突如として現れた恋の衝動は、もはや入学初日の緊張すら忘れさせる。
 名前は一度深呼吸をし黒板に目をやった。男子生徒の名前を確認したかったのだ。赤葦、と同じように丁寧な文字で書かれた名前。

(赤葦くん⋯⋯)

 恋に脳内を侵された女子高生とは怖いもので 先ほどまで緊張で埋め尽くされていた名前の脳内はの緊張はピンク色に染まっていた。髪、変じゃないかな? メイク崩れてないよね? 待って、私の名前伝えないと! もはや謎の使命感が名前を襲う。手櫛で前髪とサイドの髪を整えたあと「⋯⋯あの」と控え目に、けれども確実に届く声で赤葦を呼んだ

「私、名前です。名字名前。これから末永くよろしくお願いします!」

 差し出された手に赤葦は思わず口を開けた。末永く⋯⋯なんと勢いのある子だろうか。それでも差し出された手を拒否するわけにもいかず、応えるように手を握り返した。その瞬間、名前の体温は上昇しただろう。少なくとも彼女にとっては頭が沸騰してしまいそうだった。
 これが、赤葦京治と名字名前の最初の邂逅である。


♂ ♀


「へぇそれが始まりだったんだぁ」
「はい! その一週間後後に告白したんですけど見事にフラれてしまいまして」
「えっ早くない?」
「えへへ。ですよね。それはさすがにふられちゃったんですけどね。でも大丈夫です。その後も何回か告白はしてるし、諦めない宣言してるんで!」
「⋯⋯名前ってば赤葦のこと本当に好きなんだねぇ」

 赤葦がサーブを打つ瞬間を今か今かと待ちわびながら、瞳を輝かせ見つめる名前を微笑ましげに見ながら白福は言った。

「当たり前です。だってあんなにかっこいいんですもん。好きにならないほうがおかしいです」

 出会いから1年。赤葦を追うようにバレー部のマネージャーとなった名前だったが、今ではすっかりその姿も板についてきた。白福と雀田というマネージャーの先輩にも恵まれ、後は赤葦の気持ちがこちらへ来てくれればもう彼女の人生はバラ色に染まる以外ない。とは言え1度目の告白を経てもう3度はしたであろう告白は、未だ赤葦の心にキューピットの矢は刺さらぬままである。

「なに、また名前は赤葦に釘付けなの?」
「あっかおり先輩。いま雪絵先輩に赤葦くんとの馴れ初めと赤葦くんの魅力についてを語っていて」
「でた〜。名前は赤葦のことになると本当に果てがないね」
「私、赤葦くんのためなら死ねます」
「わ〜愛が重いね〜」

 女子高生が3人も集まればそういう話になるのも自然な展開なのである。マネージャーの仕事に支障が出ないようにしながらも、二人は幸せそうに語る名前の話に耳を傾ける。当の本人は、マネージャー達がそんな話をしているとも露知らず、サーブの調子が悪い木兎に的確な一言を言っているのであった。

 これは名字名前が赤葦京治の心を射止めるまでの、彼女の強烈な愛の物語である。

(17.02.28)


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