take


 リリアン・へルマンは言った。
『わたし、おりこうな女になんてなりたくないわ。だって、恋に落ちたんですもの』と。




♂ ♀


「はあ〜、今日も赤葦くんはかっこいいし可愛いね⋯⋯。おかげで私は今日も幸せです。ありがとうごさいます」
「⋯⋯普通それ本人を目の前にして言うことはしないんじゃない?」

 呆れた顔の赤葦を前にして名前は満足そうに笑っている。1つの机に互いに向かい合うことになったのは二人が日直だったからである。滑るように日誌を埋める赤葦の指先を名前は目で追う。大きな手。視線を上と向ければうつむき加減の表情が見える。前髪が短いお陰で隠れるものはない。耳の形も鼻の高さも、全て完璧としか思えない。満足そうに赤葦を見つめる視線に本人も気付いてはいるものの、もう慣れてきたその視線に反応を示すことはない。

「残り全部俺が書いておくから名字は先に部活行ってても良いけど」
「えっやだ行かないよ待つよ。こんな千載一遇のチャンス逃すわけにはいかないもん」
「⋯⋯どこに千載一遇のチャンスがあると思ってんの?」

 学校の教室とはいえ二人きりなんだから、あんなことやそんなことの一つや二つくらいハプニング的な何かがあるかもしれないと名前は期待を込めていた。だがもちろん、そんなドラマの様な展開はあるはずもない。何事もなく日誌を書き上げた赤葦と名前は何事もなく日誌を職員室に届け、何事もなく更衣室へ向かうことになるのである。

「ちぇ、ラッキースケベは無かったか」
「⋯⋯名字はもっとデリカシーと女らしさを携帯して」
「だって! せっかくの共同作業だったのに! 次一緒になれるのいつかも分からないのに⋯⋯!」
「だから言い方」
「⋯⋯赤葦くんは、私と一緒なの嬉しくないの?」

 眉を寄せた名前が赤葦に問いかける。どうせ普通かなとか言ってくるんでしょ。知ってますよ。と思う名前の予想とは反対に赤葦は言った。

「普通かな。⋯⋯けどまあ、他の女子よりは名字が1番一緒にいて楽だとは思う」

 赤葦の言葉を理解するには名前には難しかった。楽だから女として見られないなのか、楽だから一緒にいて心地良いよなのか。とは言え、である。とは言え名前はもはやどちらでもよかった。何故なら今の彼女にとって楽だからなんだということは関係なかったのである。私が1番。そう、私が1番。それはつまり他の女の子とは違うぞと言うこと! そのことしか頭になかったのだ。

「きゃっ、やだ! 照れる! 嬉しすぎて身体浮きそう」

 そう、名前は恐ろしくポジティブだっだ。明朗な声で言う名前とは対照的に、赤葦はただ「ああ、うん⋯⋯」ともはやまともに相手をするのも面倒になってくる。それでも名前にとっては十分なのである。赤葦が自分を他の女の子とは違った視点で見てくれる。並んで歩けている。その事実だけで名前の1日は100点満点で終えることが出来るのだ。

「名字は着替えてる間にちゃんと落ち着いてから部活きて」
「はあーい」

 女子更衣室に向かう名前の背中を見送って赤葦は深いため息を吐く。本当、とんでもない子に好かれたものだと思いながら。

 赤葦よりも先に体育館に顔を出した名前に声をかけてきたのは木兎だった。

「ヘイヘイヘーイ!」
「あっ木兎先輩お疲れさまです。ちょっと遅くなってごめんなさい」
「赤葦と日直だったんだって?」
「そーなんです! 今日は最高の日です」
「名字は本当に赤葦が好きだな」
「もちろんです! この気持ちは誰にも負けません!」

 木兎は名前のこういう素直で分かりやすいところが好きだった。後輩のマネージャーということもあって、つい妹のように可愛がってやりたくなる。幸いにも名前にはそういった愛嬌があったので、赤葦赤葦と連呼していても周りから疎ましく思われることはあまりなかった。

「そうかそうか。けど俺だってかっこいいだろ?」
「そう、ですね。はい。木兎先輩はかっこいいと思います。アタック打ち切ったときなんかは見ている私のテンションも上がります」

 その返事に木兎は得意気な顔をする。近くにいた木葉がそれはかっこいいと言わせたのではないか、と心の中で突っ込んだが木兎のモチベーションが少しでも上がるなら良いだろうと口にすることはなかった。ムードメーカー同士が盛り上がるのなら良いことだろうと。

「でも名前は赤葦が1番かっこいいんだもんねえ〜?」

 そこへ白福が声を挟む。パッと顔を輝かせた名前は間髪入れずに返事をした。

「はい!」
「けど赤葦だってカッコ悪い瞬間もあるだろ? 名字は赤葦のそーゆーとこはどー思ってんの?」
「うーん、赤葦くんはかっこいいし可愛いんです」
「赤葦が⋯⋯可愛い、だと?」

 木兎は衝撃を受けた顔のまま名前の返事を待つ。近くにいたままの木葉もまた興味深いと名前の声に耳を傾けた。

「可愛いですよー。だから格好悪いところは可愛いになっちゃうし、可愛くないは格好良いになっちゃうし、赤葦くんって最強なんですよね⋯⋯いや、格好悪いころも可愛くないところも全然ないんですけど、考えてみたら赤葦くんに死角はないっていうかどの赤葦くんも格好良いもしくは可愛いになってしまうんでもうどうしようもないっていうか⋯⋯」
「赤葦すげーな⋯⋯」

 いや、凄いのは名字の感性だと木葉は思う。俺らは一度たりとも赤葦のことを可愛いなどと思ったことはない。生意気な後輩と思うことはあっても可愛いはない。頼りになるやつだけど、可愛いはない。断じてない。

「そうなんですよ、凄いんですよ赤葦くん⋯⋯」

 深刻そうな顔でおこなわれる会話に、口を挟めるものはもはや誰もいなかった。

「最強には可愛いも必要なのか⋯⋯」
「はい。⋯⋯多分、可愛いは必須です。木兎先輩も可愛いを会得したらきっと女の子のハート鷲掴みです」
「くう! 可愛いは想定外だった! 可愛いの会得は難易度が高いな」
「大丈夫です! 可愛いはつくれます!」

 そんなアホな会話で盛り上がれるのは2人だけだよと誰もが思っている中、やってきた赤葦がようやく二人の会話に触れる。

「⋯⋯なんですか、あれ。すごい盛り上がってますけど2人」
「さあ⋯⋯? 私にもさっぱり。木兎も名前もああいうところ似てるよねえ」
「可愛いがなんとかかんとかって聞こえますけど」
「⋯⋯赤葦も案外大変だねえ。名前の愛は重いでしょ?」

 からかうように言う白福の言葉に赤葦は少し迷ってから答えた。

「もう慣れました」

 ほんの少し、細やかながらに上がった口角に気が付いたのは白福だけである。

(17.05.22)


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