いつか、そういうことは起こるだろうと思っていた。侑と付き合い初めて半年ほど経ったある日、それを提案したのは侑だった。
「なぁ、次の休みここ行かん?」
私の部屋でテレビをつけながら、侑はそう言ってスマホを見せる。その画面を見た瞬間に「あ、ここ行ったことある」と思ったけれど口にはしなかった。
元彼と行ったことがあるからと言って行ってはいけないわけではないし、何より私は今、侑と生きていくことを決めたのだから、それは積極的に口にするようなことではないと判断して、私はいつものように答えた。
「うん、いいね」
「せやったら決まりな」
今でも私の生活の中には時々、元彼が顔を出す。例えば、好きだったアーティストがテレビに出たときとか、好きなお店の前を通ったとき。あと、家の鍵の置き場所は玄関の棚の上と決めたのも彼だった。
そうやって私を形取る中で、癖みたいに存在するものがある。自分自身、それが良いことなのか悪いことなのかはわかってない。前を向いて生きていくことは過去を置き去りにする事ではないとわかっていても、侑の立場になって考えたとき私のそれは重荷になっていないだろうかと一抹の不安が過るのも事実だ。
「なぁ」
「うん?」
「キスして」
「私が侑に?」
「おん」
「突然だね」
「なんや寂しそうな顔しとったから」
「だとすると、普通する側は逆なんじゃないの?」
「ええやん。されたいねん、たまには」
グッと優しく力を込めて、侑が私を引き寄せる。その存在を悲しみの拠り所にはしないと決めているけれど、侑の深い愛情に私はいつも、どうしようもないくらい救われている。
「まぶた閉じて。開けたらダメだよ」
「開けろってフリ?」
「コラ」
顔を寄せ合って笑う。まぶたを閉じても精悍な顔つき。触れる頬は温かい。ありがとうとか大好きとか言葉では伝えきれない感情を、せめてこのキスに乗せられますようにと願って、私は唇を落とした。
* * *
「今日ずっとなんか隠しとったやろ」
出先から一緒に侑の部屋に戻り、ソファに腰を下ろして一息ついた時、侑は私の目を真っ直ぐに見つめながらそう言った。瞬き繰り返して、侑の言葉を噛み締める。隠していたってわけじゃないけれど。そう言い出すのも言い訳がましくて何も言えぬ私に、侑は言葉を続けた。
「怒らんから言うてみ」
「……なんかそれ怒る前提のやつじゃない?」
「あほか。ええから言うてみ」
私の隣に座った侑は私の頬に手を添えて、言葉を促す。声色は優しくてきっと本当に起こる気はさらさらないのだろうとわかった。
言葉に迷ったのは多分、侑に嫌われたら嫌だなと一瞬でも思ってしまったからだ。
「……実は」
「おん」
でも侑はこういう私も全て含めて好きだと言ってくれたんだから、と決意を固めて本当の事を話しはじめる。
「今日のデートの場所……前に彼氏と行ったことがあって。ちょっとね、ちょっとだけその時のことを思い出して、私今侑と一緒なのにこんな風に思い出すなんて侑に失礼だなって考えてた」
しばしの沈黙が部屋を満たした。
我ながらめんどくさい彼女だよな、と思う。深いため息をした侑に、もう少し他の言い方をすれば良かったかなと後悔して「ごめんね」と言うと、弱々しく私の頬を摘んだ侑が瞳をそらさぬまま言葉を返した。
「言うたやろ。俺は全部、今までの全部まるっと含めてお前のこと幸せにしたるって」
揺るがない意思。侑はきっと、私がどれだけ深い海で溺れそうになっても、それが光の届かないような場所であっても、手を伸ばして光の方へと導いてくれるのだろう。
「そもそも、そうやって生きてきた時間含めて今の名前なんやから罪悪感は抱かなくてええねん」
私の中に宿る2つの愛はせめぎ合うこともなく存在する。
「そんで、今日楽しかった?」
「楽しかったよ」
「ほんまに?」
「うん」
頷けば、予告も前触れもなくキスをされた。
壊れ物に触れる時のような、とにかく優しいキスだった。
「楽しかったんならええわ。またこういうことあるかもしれへんし、別に無理に言わんくてもええけど悩むくらいやったら最初に言うてや」
「わかった」
深く、大きい愛に包まれる。私が好きになった人は、広い心で私を受け止めてくれて全力で幸せへと導いてくれる、素敵で格好良いバレーボーラーだ。
(20.12.18 / 60万打企画リクエスト)