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「うん。出来た」
「それは、俺と?」
「うん。俺と。1人でも生きてはいけるけど、侑と一緒なら楽しく生きていけるって思う」
「⋯⋯そーか」

 そして鞄から5年前の手紙を取り出す。

「これ読んで欲しい」
「なんなん、これ」
「いいからいいから、とりあえず、どうぞ」

 渋々と言うようにそれを受け取った侑はさほど長くはない文章に目を通し始める。少しして全てを読み終えた侑はおもむろに手紙を私に戻す。

「この前、この手紙が届いたの。5年前に書かれたやつ。読んで、ちゃんと生きていこうと思った」
「それ聞けて安心したわ」
「うん。でもやっぱりこの手紙だけだったらダメだったと思う。私は侑と出会わなかったら今もずっと同じ場所で後ろだけを向いてた。侑がいたから、そんな風に思えた。⋯⋯私は多分、ちょっとめんどくさいよ。こういう別れを経験しているし、その事にたくさん影響されてる。あの人はあの人で侑は侑で比べることなんて絶対にしないけど、好きだったことを忘れたりはしない。それでもいいの? めんどくさい私でもいいの? それでも良いなら⋯⋯良いなら私は、死ぬときに侑と幸せな人生だったねえって笑いながらたくさんお喋りしたい」

 何かを言いかけようと侑は口を開いたけれど、言葉を発する前にテーブルに置いた侑のスマホが震える。ブラックジャッカルのチームマネジャーからの電話らしく、侑は出るのを躊躇う様子を見せたけど私は電話に出ることを促した。

「すまん、ちょっと席離れる」
「うん」

 侑が何を思っているのか。影の指すこの場所では何も分からない。不安が芽生えはじめて、残ったギムレットを飲み干した。もう私の胸の内は全てさらけ出した。後はただ侑の言葉を待つだけだ。

「お下げしてもよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「何かお作りしますか?」
「連れが戻ってきたらまた注文します」

 侑のグラスの中のキャロルももうなくなっていて、バーテンダーが2人のグラスを下げようとする。あ、そうだ。と思うと同時に声が出る。

「あの」
「はい」
「このカクテルの、キャロルのカクテル言葉を教えて貰ってもいいですか?」

 私の質問に女性のバーテンダーは優しく笑って、柔らかい声で言う。

「"この想いを君に捧げる"ですよ」

 そう私に教えてくれると彼女は軽いお辞儀をしてグラスを下げ、離れた場所でまたカクテルを作り始めた。

「すまん。待たせた」
「ううん」
「まあ、俺は」
「⋯⋯うん」

 戻ってきた侑は溢すように話しはじめる。話のスタート地点とゴール地点を探るように。

「確かに、めんどくさい女は好かんな。うるさい女も好かん」

 そこで1度言葉を区切った侑は少し低い声で「名前」と名前を呼んだ。

「⋯⋯せやけどまあ、めんどくさくてもお前1人分くらいなら背負うくらい余裕や。俺を誰やと思とるん? 全日本代表にも選ばれるセッターやぞ? どんだけ重くたっても俺が支えたるわ」

 いつだって侑はぶれない。
 泣きたくなるのを一生懸命にこらえた。
 喜び。悲しみ。後悔。希望。全部が私の胸を締め付ける。
 だけどそれらは全てどこまでも果てなく永遠に続くわけではないと、私はもう知っていた。

「名前とやったら、幸せになることくらい朝飯前や」

 侑は優しく、そして柔らかく口角を上げた。覗くように私の顔を見て、目尻に溜まった涙をそっと人差し指で拭き取ると、私にだけ届くような小さな声で「すまん」と言った。

「え?」
「また泣かせてもうたな」
「違う、まだ泣いてない。ギリ」
「さよか」

 いつか必ずどちらかが先に死ぬ。それは私かもしれないし、侑かもしれない。誰かを好きになればその分深く傷つく。それでもやっぱり、これもまた仕方がないことなんだろう。
 出会ってしまった。言葉を交わしてしまった。互いを知ってしまった。

「私が死ぬまでそばにいて」

 絶対に好きにならないと言ったのに恋をして、絶対に1人で生きていくと決めたのに誰かと歩もうとする。それが、それこそがきっと生きている人間の特権だ。

「当たり前や。任せろ」

 逢えない貴方を想って過ごす夜とはもうお別れだ。

「今度は世界で一番幸せになる覚悟しとき」

 遠く、あの人を想う。
 出逢えて、好きになれて幸せだった。
 もう2度と戻らない時間だけど、貴方といた日々は私の宝物だ。
 幸せだった。大好きだった。
 ありがとう。私を好きになってくれて。
 いつかまた逢えたら言うね。
 私の人生は最高に幸せだったと。
 きっと世界で1番幸せだったと。


* * *
  

 冬の冷たい風は程よく酔った身体にちょうどよかった。
 バーを出た私たちは最寄りの地下鉄までゆっくりと歩いている。帰る家は違う場所だけど、私はもう大丈夫。

「まだ遅くないけどどうする? 家で飲む?」
「は?」
「いやどうせならもう1杯どうかなって」
「いやあかんやろ。いやてかこれ2回目やん」
「あ、覚えてた?」
「当たり前や」

 深く、冬の空気を吸い込む。少しトゲのある空気が肺に広がって私の身体を冷ます。

「侑」
「ん?」
「これからもよろしくね」
 
 50年でも100年でも。

「おん」
「家飲みは断られちゃったから、今度カフェにでも行こうか」
「めっちゃええ感じの?」
「うん」
「せやな。まずはそこからやな」

 一緒に生きていく時間が優しさで溢れ、幸せへと続くものでありますように。

(20.08.18 / fin)