夜ご飯を食べ終わって「行ってくるね」と言ったガモちゃんが部屋に戻ってきたのはそれからおよそ30分後のことだった。出ていく時と変わらない様子に私はなんて声をかければ良いかと迷ったけれど、先に口を開いたのはガモちゃんだった。
「スッキリした!」
満面の笑みでその言葉には嘘偽りがないのだとすぐに分かる。
「えっと」
「大丈夫だよ。ちゃんとふられてるし、それに誤解も解いてきた」
先程の私のように、ベッドにダイブしたガモちゃんは仰向けに天井を見つめながら続けた。
「もっと傷付いたりするかなって覚悟してたけど、意外とねそういうのもないんだ」
「え?」
「ごめんって佐久早くんに言われて、だよねって思って、悲しい気持ちがやってくるかなって身構えてたらむしろやってきたのはスッキリした気分だった。今度はちゃんと自分の意思で言えたなあって」
「うん」
「⋯⋯わたし、多分どこかでもうちゃんと諦めきれてたんだと思う」
「諦め?」
「考えてみたらさ、わたし佐久早くんじゃないとダメな理由ないんだよね」
佐久早くんじゃないと駄目な理由。ガモちゃんが言った言葉を心の中で繰り返す。それがガモちゃんにはないとして、だったら私はあるんだろうか。佐久早くんじゃないと駄目な理由が。
「言えて良かったー⋯⋯」
それは私に言ったのか、それとも独り言だったのか私には判断がつかなかった。佐久早くんはガモちゃんの言葉を聞いて何を思ったんだろう。私はガモちゃんみたいに言うんだろうか。自分の気持ちを。好きって言えば佐久早くんはどんな反応するかな。私が知っている迷惑そうな、あの顔をするのかな。するんだろうな、多分。だって好意なんて面倒なだけって言っていたし。
決意を固められない私はただ、もしものことを考えるだけだった。
▽ ▲ △ ▼
翌日の朝、私たちはいつもの如くバスに乗り南城市にあるおきなわワールドとガンガラーの谷を目指した。名護から那覇に向かう道のりと比べるとバスに乗る時間は少なくて、うたた寝していればあっという間に目的地に着く。そのあとは平和記念資料館に向かってまた那覇に戻る。配られたスケジュール表を見ながら今日の予定を確認したけれど、それでも明日になればもう東京に戻るという事実に時間の流れの早さを感じずにはいられなかった。
「明日には東京とか信じられないよね」
「私も思った」
「あとでちんすこう買わないと」
「家族のお土産迷うよね」
到着したおきなわワールドは、さすがにその名前を掲げるだけあって沖縄らしさがふんだんに醸し出されていた。古民家とかエイサーとか鍾乳洞とか。ハブの博物館なんかもあったりして佐久早くんは時々「なんなんだこれは」みたいな顔でいたれけど、ガモちゃんとの間に気まずそうな雰囲気はなかった。
普通に話をしていて、言われなければ昨日の夜ガモちゃんが佐久早くんに気持ちを伝えたということは気がつかないだろう。元也は知っているんだろうか。でも佐久早くん、そういうのわざわざ言わないだろうし元也はもしかしたら知らないかもしれないな。
昼食もここで食べると言われていたから、一体ここに何時間いるつもりだと最初は思ったけれど豊富な展示物に集合時間はあっという間にやってきた。
「俺、一生分の沖縄料理食べた気がする」
お皿に盛られたチャンプルーや豚足を見つめながら元也は言う。
「ちょっとわかる。でも少なくとも明日のお昼までは沖縄料理じゃない?」
「美味しいは美味しいんだけどな」
「私ソーキそば結構好き。あとホテルのジューシー!」
「わかる! ホテルのジューシーうまい!」
だいたい私と元也がくだらないことを話して、そこにガモちゃんがのってきてくれて。佐久早くんはあんまり積極的に会話に参加することはないけれど聞いてくれてはいて。教室にいるのと変わらない時間を沖縄でも過ごす。
これが私たちの修学旅行。高校の思い出の一部になるもの。こんなものかと思う反面、積み重なる思い出と去っていく時間に焦燥感に似たなにかを覚える。
「名字」
佐久早くんからそう声をかけられたのはその日の夜、夜ご飯を食べ終わったホテルのロビーだった。たまたま自販機に飲み物を買いに行くと同じように飲み物を買おうとしていた佐久早と出会う。ちょうど、昨日ガモちゃんが佐久早くんと話していた時間帯だと気付けば、佐久早くんはただ一言、私の名前を呼んだ。
「佐久早くんも飲み物買いに来たの?」
「まあ」
何を話したら良いのか。話さなくても良いのか。普段は噛み合っていた歯車も意識を1つ変えるだけで途端に合わなくなってしまう。私は今まで、どんな風に佐久早くんとの距離を縮めていたんだっけ。
私の次に自販機で飲み物を買った佐久早くんは少し迷った様子を見せてから「⋯⋯ちょっと話す?」と広々としたロビーにあるブラウンのソファに視線を向けた。頷いて向かい合わせに座れば、見つめられる黒い瞳に私は吸い込まれそうだと思ってしまった。
じっと私を見つめる瞳。その瞳の中で佐久早くんが何を考えているかなんて私にはこれっぽちもわからない。
「あ、あの」
「なに?」
「あー⋯⋯えっと、佐久早くんは沖縄楽しんでる?」
「まあそれなりに」
「そっか」
私が無駄に意識してしまっているせいだろうか、佐久早くんとの会話が弾まない。対面して改めて佐久早くんを見て、こうやって意識してしまうことや心臓がうるさいことに、自分が佐久早くんに惹かれているということを意識させられる。
好きかもって思ったら多分もう戻る余地はなくて、あとはただ引っ張られていくだけ。そのスピードが速いのか遅いのかわからないけれど、少なくとも今、私の心はまた佐久早くんのほうへ向かおうとしているのは確かだった。
「名字は?」
「え?」
「名字は楽しい?」
「あ、うん。楽しい。凄く」
「そっか」
声色は柔らかかった。
佐久早くんってどんな女の子好きになるんだろ。いつかの日のガモちゃんの言葉を思い出した。なんで今更。元也にだって聞いてみたし解決したはずなんじゃなかったっけ。でも思った。佐久早くんの好きになる女の子はどんな子なのか知りたいって。それはあの頃の興味や好奇心とは違うもの。私が佐久早くんを好きだから生まれてくる疑問。
例えばいつか誰かと食べ物を共有したり、美しい景色を見せたいと思ったり。苦しかったり嫉妬したり優しく出来なかったり綺麗な感情ばかりではないけれど、それでもいいと思ったりする相手は誰なのか。佐久早くんはそんな風に人を好きになるのか。
言葉が交差しない空間で、それでも私はただただ目の前にいる佐久早くんのことだけを考える。
「ジンベイザメのぬいぐるみ」
「うん」
「あれ、どうすんの」
「部屋に置くかな」
「ふうん」
きっとこんな風に意識しているのは私だけなんだろう。
(20.11.04)