甘えたい
そろそろ聖臣くんが帰ってくる頃かな、なんて事を考えているとテーブルに置いていたスマホが震える。
『今から帰る』
『おつかれさま。ちょうど聖臣くん帰ってくる頃かなって考えてた!』
ほらね、予想的中。夜ご飯の準備はばっちりだし、お風呂だってすぐに入浴できる状態。だからこそ余計に早く帰ってこないかなって思う。
最近は聖臣くんが忙しいから家のことは専ら私が行っていて、そのおかげか家事のスキルがどんどん上がっている。なんならそのうち聖臣くんよりも家をピカピカに出来るんじゃないだろうかとすら思う。だけどそんなこと聖臣くんに言ったら鼻で笑われちゃうかもなぁと聖臣くんを待つこと30分。玄関から鍵の開く音がした。
「聖臣くん。おかえ――」
いつものように嬉々として玄関へ向かえば言葉を遮るように抱きしめられる。同時に耳元で「ただいま」と、普段よりも細い声が聞こえた。
ほんのり漂う外の香り。私を抱きしめる力は少しだけ強い。
「おかえり、聖臣くん」
「手、洗ってくる」
「うん」
珍しいな。いつもは真っ先に手洗いとうがいをするのに。
まあでもこんな日もあるかとこの瞬間は気にとめなかったけれど、入浴を終えて夕食も済ませた後、聖臣くんの行動の理由がわかった。
「……寒い、気がする」
「え、本当?」
2人でテレビを見ている最中、聖臣くんが言う。
部屋の温度計は適温を示しているし私も寒さは感じなかったけれど、とりあえず暖房でもつけようかとソファを立ち上がろうとした瞬間、隣に座っていた聖臣くんに腕を掴まれた。
「どこ行く気」
「どこって、エアコンのリモコンをとりにいこうかなと……」
「別に……入れなくていい」
「でも聖臣くん、寒いんだよね?」
なんか歯切れも悪いし、もしかして風邪でも引いてしまったんだろうかと心配が過ぎる中、聖臣くんは私から視線をそらす。
「…………くっつけばいいだろ」
それはテレビの音にかき消されてしまいそうなくらいの小さな声量だった。
「え」
「わざわざ暖房つけなくても、もう少し近づけば暖かく感じる」
体勢はそのまま、私は瞬きを繰り返す。
私と聖臣くんはさっきまでボールひとつ分程の距離を開けてソファに座っていた。聖臣くんが言っているのは、つまり、その距離すらもなくしてしまおうってことで。
ああ、そっか。そういう事か。
聖臣くんの言葉の本当の意味に気付いた私は先程よりも距離をつめて聖臣くんの隣に座る。聖臣くんが時々びっくりするくらい不器用になること忘れてた。
「聖臣くん」
「なに」
「一応聞くけど、風邪とかではないよね?」
「ひいてたら名前に近づかない」
「だよね。そもそも聖臣くんが風邪引くのあんまり想像つかないんだけど。なんか菌とかウイルスのほうから逃げていきそうだもんね」
「人を人間じゃないみたいに言うな」
「あはは。ごめん」
最近はまともな休みもとれていないし、きっと私が想像している以上に疲れているのだろう。
聖臣くんは弱音を吐いたりしないし、やるべき事ややりたいと思う事をきちんとこなせる人だからこそ、私が聖臣くんの弱さや柔さをさらけ出せる相手でありたいと思う。
「名前さんのここ空いてますよ」
「意味がわかんないんだけど」
「膝枕でも肩に頭乗せるのでもなんでも受け入れるよーってこと」
「いや、別に……」
言葉を止めて、聖臣くんは思案する様子を見せる。そして再び口を開くと先程と同じくらい小さな声で言った。
「……やっぱり甘えさせて」
言い終わると同時に肩に重みを感じて、聖臣くんが頭をもたれているのだと分かった。頬に感じる柔らかい髪の毛。お風呂上がりの、私と同じシャンプーの香り。
聖臣くんの指先が私の指先に伸びてきて、決して自由とは言えない体制の中で触れ合おうとする動きが心の奥を刺激してくる。
「なんか、くすぐったい」
「なんでも受け入れるって言ったのは名前だろ」
「そ、そうなんだけど……」
こんな風に過ごす時間は久しぶりだから、余計に。
ずっとこのままでも良い気もするし、聖臣くんの表情を見たい気もする。ギュッと抱きしめたり、キスするのも良い。甘えたいのは、案外私の方なのかもしれない。
「ねぇ」
「なに」
「明日、予定ある?」
「ないけど、なんかあった?」
「何もないよ。何もないから明日はふたりでゆっくり過ごしたいなって」
「今も十分ゆっくり過ごしてるけど」
「じゃあもっとゆっくり過ごすってことで」
夕方の天気予報で明日はお出かけ日和なんて言っていたけれど、どこにも出かけないで家でのんびりするのもありだよね。
美味しいコーヒーと美味しいお菓子を食べながら。
「悪くないかもな」
聖臣くんもそう言ってくれたことだし。
(100万打リクエスト / 24.04.10)
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