プロポーズ



 最適なタイミングが何たるかは分かりかねる。けど、あながち悪いタイミングってわけじゃないと思う。いや、そもそもいずれはそうなるんだから、タイミングもなにも別に。
 けれど直接会える日なんて限られてるし、いつまでも遠距離恋愛なんてやってらんないし、名前との関係においてやらなくちゃいけないことはもう、今はこれしか考えられない。

「珍しいね、聖臣くんがこういう女子! 映え! って感じのお店付き合ってくれるの」
「⋯⋯今日はなんでも、どこでも付き合う」
「そうなの?」

 楽しそうに表情を緩める名前が生クリームたっぷりのケーキを大きな口で頬張る。こういう感情が湧き上がることを今でも時々、不思議に感じる。愛しさが心地よく混ざる感情は、今日も名前を好きだと本能が告げているようで嫌いじゃない。
 見ているだけでこっちも満足して結局コーヒーを飲むだけになってしまったけれど、俺の視線に気が付いた名前は何を勘違いしたのかケーキを食べる手を止めて俺に訊ねた。

「あ、聖臣くんも食べる?」
「いや、いい。それより口の端についてる。生クリーム」
「えっ」

 紙ナプキンで慌てて口を拭いた名前はそれをきれいに折りたたんで手拭きのゴミとまとめる。

「⋯⋯久しぶりにケーキ食べるから欲張って大きな口で食べちゃったのがいけなかった」
「美味そうに食ってんの可愛いからいいと思うけど」
「聖臣くんと会うのに甘いもの断ってて、でも久しぶりに会えたの嬉しすぎてなんかもういろいろ抑えきれなかったのかも」
「なにそれ」

 その言葉が背中を押したと言えば名前は驚くだろうか。恥ずかしそうに言う名前が今度は小さくケーキを口にするようになったのを見るとつい、笑ってしまいそうになった。
 明日になれば名前は新幹線でまた東京に戻ってしまう。その前に言わなくてはならない。明日世界が終わるなら、名前がそばにいてくれないと俺は困る。

「笑っていいよ、聖臣くん。自分でも浮かれて方向性がおかしいってわかってるから」

 笑わない。多分、というか絶対に、俺は名前のそういう部分も好きなのだ。
 恥ずかしそうに笑う名前の顔は出会った頃より大人びて、いつの間にか化粧が似合う大人の女性になったんだなと改めて思った。伸びた背筋。手入れされた爪。除菌シートを欠かさず持つこと。変わらない部分も変わった部分もなんの違和感もなく受け入れられる。そういう相手と出会えることはこれから先、俺の人生においてもう2度とないだろう。

「⋯⋯このあと、行きたいところあんだけど」
「行きたいところ?」
「うん。まあ、名前が嫌じゃないなら」
「私が嫌がる可能性があるところ⋯⋯?」
「いや⋯⋯多分名前は嫌って言わない」
「なにそれ。どこだろう。気になるな」


▽ ▲ △ ▼


 店を出て、人の少ない通りを歩きながら名前はソワソワと周りを見渡した。

「なに、どうした?」
「んー、いっぱい大阪に来てるのに知らない道とか場所ってたくさんあるなって。これからも知らない場所に聖臣くんと一緒に行ったりするのかなって思うとワクワクするなって」

 俺は別に遠出も外出も特別好きじゃない。ポジティブとも言い難い。今でも時々、古森のほうが名前と仲良く話してるんじゃないか? と思うときもある。心が広いとは、多分言えない。
 そういう俺を丸ごと受け入れてくれる人は、名前以外考えられないし、名前じゃなかったらどうでもいい。つまり俺はそれくらい名前のことを大切だと思っていて、だからやはり、俺の持ち合わせる言葉は1つしかない。

「待って」
「聖臣くん?」

 立ち止まって名前を道の端に誘導した。サラリーマンが横を過ぎ去って、周りに人がいなくなったのを確認して言う。最適なタイミングが何たるかは分かりかねるが、多分、場所は良くない。いずれそうなるとはいえ、抑えきれなかった自分の衝動にも驚いた。それでもやはり、言わないという選択肢はなかった。

「これから⋯⋯名前に指輪を贈りたい」
「指輪?」
「左手薬指、あいてるから」

 そこでようやく察したのか、名前は驚いた顔をして自分の左手薬指を見つめた。

「俺は死ぬまで名前と生きていくから、名前も一生、死ぬまでそばにいてほしい」

 いや、やっぱり後で仕切り直す。ちゃんと言う。
 そんなことを俺が考えているなんて知らない名前は、言葉を噛みしめるように深呼吸をして、そして、やっぱり俺の好きな笑顔をみせてくれた。

「聖臣くんなら死んでもそばにいるって言うと思ってた」
「⋯⋯死んでもそばにいる」
「死なないでよ」
「言ったのは名前だろ」
「ごめん、なんか嬉しくて」

 一歩近づいた名前が俺を見上げる。

「手、握ってもいい?」
「⋯⋯だから聞かなくても」
「うん。握るね」

 もうなんの躊躇いもなく、名前は俺の手を握るようになった。嬉しそうに笑うから、脱力さえしてしまう。俺はもう名前にならば何をされてもいい気がした。

「一生そばにいるよ、私。全力で」
「なに、全力って」
「フルパワー」
「おい」

 延びる道を手をつないで歩く。これから長く続く人生の途中、いつまでも終わらなければ良いと思う時間が、ここにある。
 宿る感情は名前だけに向けられる。

(21.01.12 / 60万打企画リクエスト)

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