移籍後


 時差8時間。直線距離9872km。私が飛雄に会いたいと思ってから会えるまでの時間約半日。

「ねえ、これどっちが合うかな?」

 イタリアへ移籍した飛雄と日本で生活している私は簡単には会えない。キスはおろか手を握ることも、同じ時間に同じ月を見ることも時々困難だ。

『⋯⋯どっちも同じじゃないのか』
「全然違うでしょ! よく見て! ちゃんと見て!」

 先日友達と買いに行ったスカート2着を、パソコンに映る飛雄によく見えるようにしっかりとカメラの前で掲げる。

「プリーツの部分とか、あと全体的にこっちのほうが広がりがあるし、色は確かに似てるかもしれないけどでも全然違うよ?」
『全然違う⋯⋯のか⋯⋯そうか⋯⋯』

 画面の向こうで頭を抱える飛雄を見て笑いそうになった。だろうね。わかってた。飛雄にとってはどっちも同じに見えるよね。わかってたのに聞く私は狡いかな。

「週末に会社の飲み会あって、その日どっちの服で行こうかなって」
『飲み会?』
「うん」
『会社の、飲み会』
「心配ですか、飛雄くん」
『⋯⋯別に』

 少しくらい心配してもいいんですよ。なんなら嫉妬してくれてもいいんですよ。そんなこと言わないけど、そんなことを期待して掲げたスカートを本当に見せたい人は画面の向こう、海の向こうの、この人。

「別に、か」

 まあ飛雄はそんなこと思いもしないだろうからそれもまた言うことはないけど。それでも、飛雄が海外にいて気軽に会えなくても、私は服を選ぶとき飛雄のことを一瞬思い出す。靴を履くとき飛雄とのバランスを考える時もある。色で迷ったとき飛雄の好きな色に手を伸ばしそうになる。
 自分の生活を豊かにするために服や靴を買うけれど、どうしたってそこに「飛雄に可愛いと思ってもらえたら良いな」という淡い期待が混ざる。簡単には会えないのに、飛雄はそうやって私の日常に顔をのぞかせる。

「まあ、心配してくれてもしてくれなくても終電までには帰るし。ちゃんとその日のうちに部屋に着くようにするから安心して」
『こっちは⋯⋯16時か』
「あ、でもまだサマータイムだと思うから17時じゃない?」
『どっちにしろ練習してるな。いや、週末なら試合だ』
「そっか。ネットで観られれば良いんだけど日本のリーグしか観られないんだよね⋯⋯」
『今度来たとき直接観に来ればいいだろ』
「そうだねー⋯⋯ふふふ。そうだね、確かにね」

 飛雄との間にあるものを時折無性に果てなく、絶望的なもののように感じてしまう時はある。目に見えない何かに心が折られるような。あっさり手放したほうが良いんじゃないかって思う日も、ある。
 でも私は手放せないし、折れても元に戻る。そうさせてくれるのは多分飛雄が私を信頼してくれているから。私が飛雄を信頼しているから。会えないことは決して悲観的なことではないのだと思わせてくれるから。飛雄が飛雄なりに頑張って彼氏として、私に優しく接してくれようとするのが分かるから。

『一応、帰ったら連絡寄越せ』
「⋯⋯良いけど寄越せって言い方がなんか嫌」
『嫌ってじゃあ何て言えば良いんだ』
「んー⋯⋯可愛い彼女が飲み会で遅く帰ってくるのが心配だから彼氏として安心するために部屋に着いたら連絡してくれ、かな」

 私がからかうようにそう言えば、画面の向こうで飛雄は眉間に皺を寄せて解せないと言いたげな顔で口を開いた。

『か⋯⋯かわ、可愛い、彼女が⋯⋯』

 良いのに無理しなくて。でも一旦は聞いてみよう。相反する気持ちが生まれて、決して笑ってしまわないようにしないと、と思いながら飛雄の言葉を聞く。

『飲み会で遅く帰ってくるのが⋯⋯心配だから⋯⋯連絡をしろ』

 半ば投げやりに言った飛雄の顔は相変わらずで、むしろ口が悪くなっているのに私は結局笑ってしまった。

『笑うな』
「いや笑わずにはいられないよ」
『言えって言ったのは名前だろ』
「歪曲したくせに」
「ワイキョク……?」

 触れられれば良いのに。駆け付けたら会えればいいのに。私達はそれが簡単には叶わないけど願わずにはいられない。
 でも叶わぬ願いは愛しさに溶かすのだ。そうすればきっと大丈夫。時差8時間も、直線距離9872kmも、私が飛雄に会いたいと思ってから会えるまでの時間約半日も、きっといつかは笑い話になる。

「次、会いに行ったら観光付き合ってね。案内してよ。ローマにいくのは初めてだから」
『俺もまだ観光してない』
「しときなよ。せっかくのローマなんだし。ジェラートくらいは食べなよ」
『ジェラート? わかった』

 ピンとこないままの飛雄が可愛いなと思ったことは内緒にしておこう。海を越えて夢を追うこの人を、私は応援している。これからも、どこにいても。

(20.11.18 / 60万打企画リクエスト)