か細く紡がれた私の言葉は、影山とのキスで消えていった。優しく重なった唇は冷たくて、やっぱり泣きそうになってしまう。

「お前はバカだ」

 空気を壊すような発言には、優しさが滲んでいた。お互いに吐き出す息は一瞬で白く舞い上がり消えていく。今年が終わっていく。驚くくらいの速さで。きっと次の春もすぐにやってくるんだろう。

「バカって、なに」
「俺は多分、お前が思ってるよりもお前が好きだ。だから傷付けられても、嫌な思いも辛い思いするのも構わない」
「え?」
「いい。名字だったら別にいい」

 未来が暗いのか明るいのか、優しいのか厳しいのかはわからない。

「⋯⋯そんなに私のこと好きなの」
「あ? 好きじゃなかったら言わねえだろこんなこと」
「⋯⋯今の私、案外めんどくさいとこあるけどそれでもいいの?」
「例えば」
「熱愛報道は怒る」
「名字しか好きじゃねぇのにどうやったら他のやつと報道されるんだ?」
「あと、時差があっても連絡ほしい」
「時差⋯⋯計算しておく」
「たまには可愛いって言って」
「普通に思ってるけど言われたいのか?」
「言われたいよ!」
「わかった」
「あとは⋯⋯」
「あとは?」
「あとは、会いたくなったら飛行機乗って会いに行くから。⋯⋯もう待つだけなんてしないから。だから、せめて空港までは迎えにきて」
「任せろ」
 
 今日に至るまで違う人と付き合うことだってあった。違う恋を覚えることもあった。それでも影山だけは特別だった。何気ない日常の中で私の中にしまいこんだ思い出がそっと顔を出すように影山はいつも私の心にいた。私がずっとそうだったように影山もそうだったんだろうか。心の隅にあった私の影を手放さずにいてくれていたのだろうか。






「ごめん! 遅れた!」
「遅かったな」

 4月。桜前線がゆっくりと北上しながら街は春色に姿を変えようとしている中、シーズンオフ中の影山は海外のチームとシーズン契約をし、リーグ参加に向けて調整を重ねていた。私は国家試験も合格し、新卒として専門職に従事している。
 慣れない新生活や、これから始まる生活に早くもすれ違いは生まれそうな日々ではあるが今のところ問題なく過ごす日々だった。

「影山と会えるの凄い楽しみだったから仕事早く終わらせようと頑張ったんだけど無理だった⋯⋯」
「あんまり無理すんなよ」
「大丈夫。今のところ結構楽しい」

 最近、思うことがある。
 バレーをしている時の影山は真剣で、鋭い感性とか楽しくて仕方ないって表情や感情の昂りなんかを私に向けることはない。けれど反対もあるんだと思うようになった。私にしか見せない表情や感情。それらは確かに存在している。影山が私の名前を呼ぶとき、影山の中は私で満たされる。その瞬間が存在しているという事実。

「昔さ、これくらいの時期に影山に好きですって言ったの覚えてる?」
「⋯⋯そうだったか?」
「そうだったよ。影山はその時、私のこと振ったよね。懐かしいな」
「結果的に今は付き合ってるんだから別にいいだろ」
「そうだけど⋯⋯情緒ってものがあるじゃん」
「そうか?」
「まあ、それも含めて今だよね。あの時間があったから今、影山とこうしていられる。私はきっと、ずっと影山の背中を追ってた」

 昔はダメだった恋も、今だから大丈夫になる。私にとって影山はそういう相手なのかもしれない。

「それは俺のほうだ」
「え?」

 歩調を緩めて影山を見上げる。
 決まりが悪そうな顔で振り返った影山を見て慌てて隣に並んだ。

「お前の影を追ってたのは俺の方だ。多分、ずっと」

 影山の言葉をゆっくりと噛みしめる。

「お前の好きな食べ物とか誕生日とか何が嫌いとか、そういうのじゃなかったらいちいち覚えてないだろ」
「いちいち覚えてたってこと?」
「別に覚えてたわけじゃねぇ。忘れられなかっただけだ」

 あの頃、自分の未来が全然分からなかったように、今だってこれからのことはわからない。辛いことも楽しいことも、今度はちゃんと2人で乗り越えていく。

「なんか、嬉しいかも」

 もう少しすれば影山は海外に飛び立つ。私達の会える時間は少なくて、きっと普通の恋人同士がするようなことは全然出来ない。またイベント事は一緒に過ごせないし、会いたいときに会うことも叶わない。
 どんどん強くなっていく影山を1番近くで応援してあげることも出来ないけれど、でも誰よりも応援してる。頑張れって気持ちは負けない。

「ねえ影山」
「どうした」
「私、影山の事が好きだよ。バレーをする影山が好き。会えなくても、忙しくても、鈍感でも、返事が遅くても。世界のどこにいても好きだよ。だから」

 春の柔らかい風を肺に取り込む。芽吹く季節の優しい匂い。
 
「だから海外リーグで活躍する影山見られるの楽しみにしてる。テレビに影山が映って、この人は私の優しくてかっこよくて強くてすっごい素敵な彼氏なんですって自慢する」

 影山が飛び立つ飛行機を見送って泣いてしまうかもしれない。場所なんて気にしないで抱きついてしまうかもしれない。それでも私は影山と歩める未来を探していきたい。

「お前⋯⋯場所を考えろ」
「ご、ごめん⋯⋯別に他の人聞いてるわけじゃないしいいかなって思って」
「そうじゃねえ」
「そうじゃないの?」
「そう言うこと言われると抱き締めたくなるだろうが」
「⋯⋯あっでもこの後うち来るんだよね? だったらほら! 抱き締め放題だから! ドンとこいだよ!」
「お前、本当に⋯⋯お前のそういうところ⋯⋯クソッ」
「なんで!?」

 季節は巡る。何度も何度も。これまでも、これからも。
 私はずっと恋をしている。

(20.09.25 / fin)