なんだかとても素敵で幸せな夢を見続けていたような気がした。遠くから聞こえてくる小刻みのリズムが心地よくて、浮上するように、ゆっくりと意識を取り戻す。
 カーテンの隙間から漏れる太陽の光。微睡むような空気が部屋を満たして、今日ばかりは目覚ましの音も鳴らない。たまらなく好きだと思える瞬間。
 いつもは隣で眠っている治さんがいないってことは、きっと今頃キッチンで朝ごはんを作ってくれているんだろう。遠くから聞こえてくる音の正体を理解して、思考を巡らせる。パンか、ご飯か。
 でもまだもう少しこの幸せを噛み締めていたいと毛布を被った私の耳に、足音が近づく音が聞こえる。治さんが起こしに来たんだ。瞼を閉じながら待ち構えていると、すぐにドアが開く音がして、ベッドサイドに腰を下ろした治さんは私の身体を軽く揺さぶりながら声をかけた。

「名前、朝やで」

 治さんの声が幸せで満ちる空間に優しさを添えた。この声に抱きしめられてこのまま眠ってしまうのも悪くないと思いながら、呟く。

「……名前は気持ちよく眠っているようだ。起こしますか? 5分間寝かせてあげますか?」
「起きてるやん」

 柔らかく軽快な口調で、笑いながらそう言った治さんは「朝ごはん出来たで」と魔法の言葉を口にする。ずるい。そう言われたら私が選べる選択肢は1つしかない。
 潜り込んでいた布団から顔だけをだして、治さんを見つめた。射し込む光は少なく、部屋はまだうっすらと暗い。私の顔を覗き込む治さんの顔に影が落ちる。

「おはよう、名前」
「まだ寝てようと思ったのに朝ごはん出来たなんて言われたら出ざるをえないです」
「後で食べてもええけど」
「やです。今食べます」
「せやったらキッチンいこか」

 治さんと一緒にいると、時々子供みたいな自分が顔を出す。甘えたいと素直に思わせてくれて、私はそれに逆らうことなく感情をさらけ出すのだ。

「……待ってください。どうやらハグしてくれないと起きられないようです」

 私を見つめて瞬きを繰り返した治さんは「困ったさんやなあ」なんて言いながら声を出して笑った。
 重たい腰を上げるような、ゆっくりとした動作で私に覆いかぶさり、治さんは互いの額を合わせた。目に見えるものが治さんでいっぱいになる。呼吸もこの部屋の雰囲気も全て上書きされた。

「ハグだけでええの?」
「えっと」
「キスもしたるから一緒にキッチンまで行こや」

 言葉が終わると同時に短いキスが降ってきて、その一瞬、太陽の光も微睡みも全てがどうでも良いと思えた。やっぱりこのまま愛しさに抱かれて眠るのも悪くないかもと思ったくらいに今の私を満たすものは間違いなく治さんだった。

「起きた?」
「……起きました」

 満足そうに治さんは言う。起き上がって治さんと同じようにベッドサイドに座れば、もう一度頬にキスをされ「おはよう」と声をかけられる。心地よく届いた声に返事をして立ち上がりサイドボードに置いてあるカーディガンに手を伸ばす私を治さんは後ろから抱きしめた。
 
「昨日名前が買ってきてくれたカンパーニュでサンドイッチ作った」
「おお。朝からおしゃれな響きです」
「せやろ?」

 耳元がくすぐったい。カーディガンだって羽織れないし、キッチンにも行けない。なのに幸せしかないのってやっぱりずるいと思う。お腹にまわされた大きな手に私の手を重ねて、遊ぶように治さんの指をいじる。

「次は私が先に起きて朝ごはん作ります。そして治さんを起こします」
「名前朝弱いやん」
「う……」
「やけど俺も名前の手料理食べたい」

 結局、手と手が結ばれる。名残惜しさを孕ませたまま治さんから離れてカーテンを開ければ、1日の始まりを告げる太陽の光が部屋いっぱいに射し込んだ。眩しさに少しだけ目を細めてカーディガンを羽織る。

「今日でかけるの楽しみです」
「おん。晴れてて良かったわ」
「年に1度の大陶器市ですもんね。気合入れてお気に入りの食器を探しましょう!」

 眠気もすっかり消えて、輪郭のはっきりした空腹が訪れる。サンドイッチを食べてシャワーを浴びて、どの服を来て出かけようかなと思いながら私と治さんは一緒にキッチンへ向かうのだった。

(21.02.26 / 70万打企画)

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