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重たい瞼を上げると、緩やかな朝の日差しが部屋の輪郭を浮かび上がらせていた。すぐさま昨夜のことを思い出して、隣に眠っている衛輔くんのほうへそっと視線を向ける。
2人で眠るには窮屈なのにベッドの中は心地が良い。起き抜けの頭は余計なことを考える余裕もなく、ただ衛輔くんを見つめるのに精一杯だ。
「……ん」
くぐもった声を出して、衛輔くんの瞼が上がる。「名前……」掠れた声で呼ばれる名前に「うん」と返事をした。
まだ早朝の時間かもしれない。朝と昼の間かもしれないし、もしかしたらとっくにお昼を回っているかもしれない。時間の流れなんてどうでも良いと思えるくらい、この部屋の中だけは時間が止まったように、穏やかな空気が満ちていた。
「あー……眠い……」
「あはは。衛輔くん、寝ぐせついてる」
「そういう名前もここ跳ねてんぞ」
「え、うそ」
目線と、かろうじて動かせる指先で仕草を出して心を通わせる。
「おはよ、名前」
「おはよう、衛輔くん」
「身体、痛いとこある?」
「痛いとは違うんだけど……なんかちょっと違和感あるくらい、かな」
「動けねぇ?」
「ううん。それは大丈夫」
滑らせるように衛輔くんの手のひらが頬に添えられる。
「……昨日」
「うん」
「昨日、名前のこと抱けて嬉しかった」
濁りのない瞳。その眼球に私が映っている。私だけが、映っている。こんなに幸せな朝がこの世にはあるんだと、私はどうしてそれまで知らずに過ごせていたんだろう。
「私も嬉しかった」
「そんな顔で言われるとまたシたくなる」
「えっ」
「冗談」
「冗談……良かった」
「さすがにこれ以上名前の身体に負担かけるようなことはしないって。つーかなにあからさまにホッとしてんだよ」
「だってさすがに身体もたないなって」
言葉通り冗談めかして言いながら、グッと身体を伸ばし起き上がった衛輔くんが笑う。
「それより今何時? 俺腹減ってきた」
その言葉に服を着てのそのそとベッドを這い出て、充電が半分を下回ったスマホを確認する。朝9時。思ったよりも長く眠っていたわけでもなかったらしい。
「あ、まだ9時だ。もっと寝てたかなって思ってた」
「この時間ならモーニングやってるだろうし、外行く?」
「行く! シャワー浴びて着替えないと」
「一緒に浴びる?」
「衛輔くんからかってるでしょ」
「ばれたか。まあ半分は本気だけど」
目に入った衛輔くんの上半身からスッと目をそらす。視線をどこに向けて良いかわからなくなって、ちょっとだけ居たたまれない。
昨日、私たちは隙間なく肌を重ねていたんだなと改めて実感させられるその体貌に、持て余す熱を思い出した。
「名前?」
「う、うん。シャワーすぐ戻ってくるようにするね」
衛輔くんと過ごす時間が濃いものになればなるほど、絡まるような深みにはまっていく気がする。また「好き」が芽生えて、何かへと姿を変えようとする。魔法みたいに素敵な何かが心に灯るのだ。
モーニングを食べに行くための最低限の支度を終えると、衛輔くんの大きな荷物は部屋に置いて玄関に向かう。一緒に家を出ることもそうだけど、同じ場所に向かうこと、そしてまたここに戻ってくることが特別じゃない特別を与えてくれているようで嬉しい。
スニーカーに足を入れて、玄関のドアノブに触れた私を衛輔くんは呼び止めた。
「あ、待て待て」
「なに?」
「行ってきますのちゅーしようぜ」
得意げに言われる。厭らしさや浅ましさなんて一切ない物言いに私は一瞬、笑ってしまいそうになる。この典型的な感じが、なんだかすごく良いなと思えた。
心がくすぐったくなるようなキスを交わして、今度こそ外界に繋がる扉を開けるのだった。
外に出ると、世界はちゃんと動いていることを痛感する。昨日と変わらない景色。10月末の冷え込んだ空気が襟足を横切る。昨日と今日の狭間で何かが変わった気がするのに、世界は昨日の延長戦かのように回るのがなんだか不思議だった。
「今朝、冷え込んでんな」
「衛輔くん寒くない?」
「へーき」
衛輔くんを見上げる。小首を傾げて、私が言葉を発するのを待ってくれている。
「どうした? 寒いなら上着取りに戻るか?」
「ううん。朝起きて、隣に衛輔くんがいて、同じシャンプーの香りがして、こうして一緒に朝ごはん食べに行けるのって最高に幸せだなぁって思っただけ」
「俺も幸せ」
衛輔くんの優しく、煌めくような笑み。朝の日差しがそれを後押しするように照る。
「……雪降ってね?」
「あ……本当だ」
はらりと舞うように小さな白い結晶が目の前を過ぎる。都市部では今年初めての雪。
「とうとう今年も降ったか」
「降っちゃったねぇ」
空を見上げる衛輔くんの横顔。
ああ、だめだ。どうしよう。きっともう戻れないな。繋がる関係に名前なんてなくたって良いと思っていたあの頃には。一緒にいたら楽しくて、幸せで、衛輔くんじゃないと嫌だと思う。
私の日常の中に衛輔くんがいる。喜怒哀楽全ての傍らに。幸せで楽しくて毎日笑っていられることが素敵だれど、いつか訪れるかもしれない不幸せなことも衛輔くんとなら嫌じゃない。
衛輔くんのいない未来はいつの間にか想像できなくなっていた。
(21.08.26)