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 11月に入ると衛輔くんのチームも忙しさを増して、試合の為に国内を移動することも多くなった。東西に国土を広げるロシアは国内と言えど端から端を比べると最大10時間の時差がある。
 極東のウラジオストクやハバロフスクなんかは日本との距離のほうが近いし、小さな島国の出身である私からしてみたらそれを国内移動というのも憚られるくらいだ。国内パスポートが必要なのも納得するしかない。
 バレーボールのロシア国内リーグは滞りなく試合を重ね、今日はここエカチェリンブルクで試合が行われる予定だった。チーグルエカチェリンブルクがホームで公式試合をするのは約1年ぶり。

「こっち戻ってきてからモリスケとは会ってるんだっけ?」
「ううん。最近衛輔くん移動多いみたいだし、休めるときはゆっくり休んでほしいなと思って会ってないんだ」
「それなら久しぶりにモリスケの雄姿を見るってことか」
「あはは。そうなるね」

 ソーニャに言ったように、先週ハバロフスクからエカチェリンブルクに戻ってきた衛輔くんとはまだ1度も顔を合わせていない。久しぶりのスポーツ観戦だし、久しぶりに衛輔くんだ。
 電話越しの衛輔くんの声を思い出しながら、去年と同じようにソーニャの横に座って、これから始まる試合へ向けて気分を高揚させる。
 1年前はこんな風に衛輔くんを応援できるとは思ってもいなかった。ただ応援したいという気持ちだけじゃなくて好きな人の格好良いところを見たいという欲が生まれるなんて、あの頃の私が聞いたらきっと顔を真っ赤にするに違いない。

「ナマエがいるし、モリスケの調子は心配しなくて大丈夫そうだね」
「だから私にそんなパワーないって」
「あるでしょ。だって彼女だよ?」
「そ、そうだけど……」

 さも当然のようにソーニャは言う。間違ったことは言われてないはずなのに自分で自覚するよりも他の人に関係性を口にされるほうが恥ずかしさを伴うのはどうしてだろう。

「あ、ほら。言ってるそばからモリスケ入場してきた!」

 世界大会じゃないからか、相変わらず客席の埋まりはまばらだ。だけど選手が入場をはじめると会場には拍手が響き渡る。
 衛輔くんに言ったら怒るかもしれないけれど、日本でも小さな身長の衛輔くんがロシアのチームに混ざるとより一層小さく見える。なのに存在感は周りの誰にも負けていない。
 堂々と得意げに。胸を張って入場する衛輔くんが一瞬だけ、私たちのほうに視線を向けた気がした。もしかしたらそれは私の気のせいだったかもしれないし、そうであってほしいという願望もあったかもしれない。だけど口端を上げて無邪気な笑みを向ける衛輔くんの表情に、こうして近くで応援できることをただただ、嬉しいと、幸せだと思うのだった。


*   *   *


 あれから――衛輔くんが私の部屋に泊まってから、ちゃんと話すのはこれが初めてだ。遠征が終わってすぐにリーグが始まったから、会う機会を設けることが出来なくて電話で話すばかりだった。もちろんそれは当たり前で致し方ないことだけど、前回が前回だけに顔を合わせるのはちょっとだけ気恥ずかしい。
 試合が終わって、夜なら少しの時間会えそうだからと衛輔くんの誘いを私は快く受け入れた。試合後だし休んだほうが良いんじゃない? と言う言葉は衛輔くんの活躍を見てしまった今、言えそうになかった。純粋に会いたいという欲望が私の身体を支配してしまったから。

「名前」
「衛輔くん!」

 すっかり日の落ちたこの時間、街灯があると言ってもアパルトマンの前はしっとりとした暗さをまとっている。寒空の下、衛輔くんの柔らかい声が撫でるように私の名前を紡いだ。

「部屋で待ってろって言ったのに」
「さっき出てきたばっかりだから。それに早く衛輔くんに会いたくて」
「……怒るに怒れねぇ」

 温かそうなブルゾンのポケットから手を出した衛輔くんはそっと私の頬に触れる。ぴたりと隙間なく手のひらと頬が合わさって、カイロを当てられたみたいにそこだけがじんわりと温かい。

「衛輔くんの手温かい」
「名前の頬っぺた触るために温めておいた」
「またそんな風に言う〜」

 それでも会ってしまえばいつもの私達で。久しぶりに会えた嬉しさと、先ほどまでの試合の高揚と、だけど変わらない心地よい空気感に身を委ねる。

「少し歩くか? あ、でもそのままだと名前寒いよな」
「ううん、平気だよ。衛輔くんが手繋いでてくれるなら」

 子供のように得意げに言えば、衛輔くんは一瞬だけ目を大きく開いて手を差し出した。

「当たり前」

 重なる手のひらはやっぱり温かい。

(21.11.26)