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「へぇ。じゃあ2月にふたりでサンクトペテルブルクへ行くのか」
「うん。って言ってもまだどこ見て回るとか決めてないけど。飛行機とホテルはもう予約したからそこは大丈夫なんだけどね。キーラもサンクトペテルブルク行ったことあるでしょ? おすすめの場所からあったら教えてね」

 温かい部屋の中でテーブルを囲み雑談をする。キーラが衛輔くんの部屋に到着してから約1時間。横殴りの雪も多少落ち着いたとは言え、いまだ止む様子は見えない。
 予報ではあと1時間もすれば止むらしいけれど、積もり積もった雪にきっと明日の朝は除雪で大忙しだろう。

「エルミタージュ美術館、聖イサアク大聖堂、血の上の救世主教会とかが有名なんじゃないか? ま、エカチェリンブルクと比べても観光名所はたくさんあるしどこへ行っても楽しめると思うぞ」
「観光名所の名前聞いただけでも楽しみになってきた。雪で飛行機が欠航になるのだけは避けたいなぁ」
「大丈夫だろ。時期的にまだ冬でも今ほど吹雪く日が多いわけじゃない」
「キーラが言うならちょっと期待できる気がする」

 私は衛輔くんが淹れてくれた紅茶を飲みながらキーラがビールを口に運ぶ動作を見つめた。ロシア人はお酒に強いし、キーラに言わせてみれば「ビールなんて水」らしいけれど、ウォッカを飲んだあとにビールを飲めるなんてアルコール分解酵素はいったいどうなっているんだと私はいつも思う。

「ん? ああ、名前もビールのほうが良いのか?」
「ううん。私は紅茶が良いかな。キーラ、たくさんお酒飲んで酔わないのかなぁって思って」
「ハハハ。ビールで酔うわけないだろ」

 またしても豪快にビールを飲む様子に私は感心する。むしろ見ていて気持ち良い。

「つーかもう雪落ち着いただろ。キーラそろそろ帰れよ」

 そんなキーラと私の会話に割り込むように衛輔くんが言う。

「うわ、モリスケ酷い言い方だな。いくらナマエと早くふたりっきりになりたくてももう少し優しく言ってくれよ」
「うるせー。急に来たそっちが悪い」
「気持ちはわからなくもないし、確かに急に押しかけたのは申し訳ないけどさ」

 キーラは笑いながら言う。そしてハンガーにかけていたコートを手にとって「モリスケに邪魔だって言われたし俺は帰るかな」と続けた。

「もうホワイトアウトするほど吹雪いてはいないけど、積もってるだろうし気をつけてね」
「この部屋で優しいのはナマエだけだな」
「キーラを受け入れた時点で俺も十分優しいだろ」
「モリスケ……嫉妬深い男は嫌われるぞ……俺にはエリスがいるから安心してくれ」
「今更キーラ相手に嫉妬しねぇし!」

 玄関先であれやこれやと言いながら、それでもキーラは笑顔のまま衛輔くんの部屋を後にした。
 一瞬部屋に入り込んだ冷たい外気に身震いする。こんな寒空の下、地下鉄の駅まで歩くのを想像するだけでも風邪を引いてしまいそうなくらいなのに、キーラはこれから自宅へ戻るなんてちょっとかわいそうだ。
 衛輔くんがドアの鍵を閉める様子を見つめながら、私は言う。

「追い出すように返さなくても良かったのに」
「いや追い出さないとアイツはあのままここで寝る」
「あはは」
「笑い事じゃねぇって。前も寄るだけって言って結局朝までいたし。俺しかいないときはいいけど名前がいるときは遠慮してもらわないと困る。それに早くふたりになりたかったのはあながち間違ってないしな」

 部屋に戻り、衛輔くんは私を後ろから抱きしめた。

「でも私は久しぶりにキーラとゆっくり話せて良かったな。サンクトペテルブルクの話も出来たし。小さいキャリーケース持ってないからソーニャに借りようって思った」
「名前が楽しかったんならそれはそれでいいけど。でも、ま。こっからは俺達の時間ってことで」

 衛輔くんの手のひらが私の服の中に侵入し、皮膚を優しく撫でる。耳元に唇を落とされ、頭の中で直接響くようなキスの音に一瞬くらりと理性が酔う。
 だけどこのまま流されるのはダメだと私は衛輔くんに抗った。

「ま、待って! お風呂入りたい」
「……一緒に?」
「ひとりで!」

 振り向き見上げた先にある衛輔くんの表現はどこか不服な様子だった。子供みたいでちょっと可愛いかも、と思った自分に叱咤する。いけない、絆されかけた。

「ひとまず今はおとなしく待つけど、がっつりは実行させてもらうからな」
「それ本気だったんだ!?」
「当たり前」

 衛輔くんは愉快そうに言う。
 何をどう覚悟したら良いのかもわからないまま、私は逃げるようにバスルームへ向かうのだった。夜はゆっくりとその顔をのぞかせる。二人きりの部屋で。優しく、優しく。

(22.04.02)


※次は裏描写になります。高校生含む18歳未満の方は閲覧をお控えください。また、そういった描写が苦手な方はご注意ください。58話を飛ばしてそのまま59話を読んでも繋がる内容となっています。