Joyeux noël

 どこからか流れてくるクリスマスの音楽。路地裏を吹き抜けるパリの冷たい風。表通りに並ぶ木々には電球が巻き付けられており、雪で濡れた石畳の地面が光を反射してきらきらと輝いている。
 パリで天童さんと暮らすようになって初めてのクリスマス。この街は今日もロマンティックで満たされていた。

「覚くん、スポンジ焼けたよ」

 オーブンから鉄板を取り出して生地の焼け具合を確認する。部屋に満たされる甘い香り。チョコレートクリームの準備をしていた覚くんが背後から私の手元を覗き込んだ。

「うんうん、イイ感じ」
「巻く前に冷ますんだよね?」
「乾燥しないようにラップ被せてね」
「はーい」

 クリスマスはほとんどのお店が休みになる。もちろん覚くんのお店であるLIONCEAUも。クリスマスはどう過ごすかと話している時に今まで一度もブッシュ・ド・ノエルを作ったことがないとこぼしたところ、覚くんから「じゃあせっかくだし一緒に作ろーよ」と言われてこうして覚くんの部屋で共にケーキを作ることになった。
 事前に必要なものを用意して、しっかりレシピを読み込んで、とにかく気合が入ったケーキ作り。ショコラティエである覚くんの手前、恥は出来るだけ少なくしたい。

「冷めたら名前ちゃんが巻く?」
「えっいや、私絶対失敗しちゃうと思う……」

 恐る恐る言う私を覚くんは笑う。馬鹿にしている笑い方ではなく、そんな取るに足らないことを心配しているのかと言うような顔で。

「失敗してもいいのに。売り物じゃないんだし」
「でもせっかくなら綺麗なブッシュ・ド・ノエルにしたい。私が巻いたらバッキバキの丸太になっちゃうよ」
「あはは! バッキバキいいねえ。名前ちゃんの豪快なところ好きだから大歓迎だよ」

 褒められているはずなのに繊細さを欠いていると思われているようでちょっと恥ずかしい。普段細やかな作業をしている覚くんと比べたら大雑把なところはあるかもしれないけれど、自分で自分を豪快だと思ったことはないから覚くんから見える私がどんなものなのか心配になる。

「褒めてる……よね?」
「チョー褒めてる」
「じゃあいいか」
「切り替え早ッ!」

 そうしてまた覚くんが笑うから私も同じように笑ってしまうのだ。ショコラと覚くんがいるこのパリの街こそが、私にとって最高に居心地が良い場所。
 生地が冷めると覚くんが用意したチョコレートクリームを塗った。表面用にクリームを残し、生地に割れ目が入らないよう丁寧に優しく巻く。

「バッキバキにならなかった! むしろ綺麗だし私、もしかして秘めたる才能あったりするんじゃない……?」
「ウンウン、エライエライ」
「覚くん、相槌も褒め方も適当すぎるよ!」

 そんな風に一緒に笑い合って、リビングで流しているホーム・アローンに時々気を取られながら覚くんに見守られて残りの工程もこなしていった。
 表面に塗ったチョコレートクリームにココアを振り掛けて後はデコレーションをするだけ。ここからは完全にセンスが問われるやつだから覚くんにバトンタッチしようと隣を見上げれば言われる。

「あ。名前ちゃん、ほっぺたにクリームついてる」
「え、うそ。どこ?」
「ここ」

 覚くんは自分の頬を指差す。それを頼りに頬についたクリームを拭おうと試みる。

「とれた?」
「んーん。とれてない。ちょっと動かないでね」

 そう言った覚くんは腰を屈めて視線を私に合わせた。眼前にある覚くんの瞳。普段は見上げる事が多いから、時々あるこういう瞬間はどうしてもドキドキしてしまう。それをわかっているのか、覚くんはやっぱり楽しそうに笑った。伸びる腕。頬に触れた指先。チョコレートを扱うときのような優しい手付きで頬が拭われる。

「……すごいベタなことしちゃってる感じがする」
「まあクリスマスだしねぇ。ベタついでにこのままキスでもしとく?」

 クリスマス、関係あるかな。
 でもしんしんとや雪が降る12月25日にホーム・アローンを見ながら好きな人と一緒にブッシュ・ド・ノエルを作ってるんだから、キスの一つ二つしておかないとダメな気がする。なんて言い訳めいているだろうか。

「……しとく」

 小さくこぼせば覚くんは満足そうに口角を上げた。触れる唇は甘い匂いを残して、そっと離れてゆく。

「じゃー最後にデコレーションして完成させちゃお」

 シンク台の上には今日のために覚くんが特別に作ってくれたキノコの形のチョコレートがある。私が密かに一番に楽しみにしているもの。どんな風に配置しようかなと相談し合いながら、私達は共に最後の工程を行うのだった。

(22.12.20)