前日譚 壱
「七海さん、好きです」「そうですか」
花が敷き詰められたテーブルを挟んで優雅にコーヒーを飲む七海さんに私の気持ちを伝えてみたけれど、多分半分も伝わっていないんじゃないかな。
「聞いてますか、七海さん? 好きなんですよ?」
「聞こえています。周りの迷惑になりますから少しだけ声を抑えましょうか、名字さん」
七海さんと出会ってから今日に至るまで何度も何度も同じ言葉を投げかけてきたけれど七海さんはいつも上手にその言葉をかわす。否定するわけでも肯定するわけでもなく、明け渡した言葉を手のひらからこぼすように落としてはコーヒーカップを口に運ぶのだ。
私の中に微かに残る子供じみた面が顔を見せたのは、多分七海さんが私よりも大人だから。
「七海さん。好きなんです。世界で1番。いいえ、宇宙で1番!」
食い下がって強くそう言うと七海さんは私を一瞥した。
もう何度も言った言葉だけど緊張しないわけじゃないんですよ、七海さん。それなりに期待して今回も駄目だったかって落ち込んで、でも七海さんが呆れたように笑ってくれるから次会ったときも言ってやろうと思っちゃうんです。
「ありがとうございます」
七海さんの声は穏やかだった。ほら、七海さんちょっとだけ、ほんのちょっとだけ口角が上がってます。
「ですが」
だけど次に発した言葉は180度真逆の声色だったから、私はまた今回も駄目だということを瞬時に悟った。
「お気持ちに応えることは出来ません」
「……ケチ」
「ケチ、ケチじゃないの話ではありません」
知ってます。七海さんが呪術師やってる間は誰かとどうこうなる気はないって事くらい。知ってるけど、でもやっぱりどうしたって好きなんです。七海さんを好きじゃない私に戻るなんてもう無理なんです。
「時間です。行きましょう」
「……七海さん」
席を立ち私に背を向ける七海さんの名を小さく呼ぶ。幾多の死闘を繰り広げたであろう七海さんの背中に私はまだ手を伸ばすことが出来る。
七海さん。私達はいつまで生きていけるんですかね。どんな風に死んじゃうんですかね。聡明な七海さんでもその答えはきっと持ち合わせていない。
今日、明日、それとも明後日か。いつ死ぬともわからない日々ならばせめて生きている間は幸せになっても良いじゃないですか。
「なんですか」
「次に会った時も好きって言うので覚悟しておいてください」
今際の際、私はきっと七海さんのことを思い出します。それがきっと私の今生の最後の幸せです。
「……貴女も懲りない人ですね」
微かに残る夕映えに目を細め、見上げた空は夜の色が斑に塗られていた。
七海さんの声は優しくて、その声をいつまでも忘れたくないと私は願うだけだった。
(21.03.20)