前日譚 弐

「ひとつ、お聞きしてよろしいですか」

 七海さんからそう言われたのは初めての事で私は姿勢を正した。良いです。何でも聞いてください。何でも答えます。前のめりになりながらそう言うと七海さんは少し間を開けて、珍しく視線を反らしながら私に尋ねた。

「私の何をそんなに気に入っているのです」

 瞬きを繰り返す。

「え……顔?」
「……聞いた私が愚かでした」
「違います! いえ違わないんですけど! 今かっこいいな思ったら咄嗟に出てきてしまって! 七海さんの好きなところは顔だけじゃないんです!」

 多分今までで1番呆れた顔だった。話にならないと言いたげな雰囲気に私は慌てて言葉を被せる。だってそんなの全部羅列するなら時間がいくらあっても足りない。

「七海さんの優しいところも聡明なところも最後まで手を抜かないところも切り替えが上手いところも思慮深いところも忖度がないところも笑った顔も困った顔も鼻筋も唇の形も体格も手のひらも全部好きです! あと日常の幸せをちゃんと気付けるところも好きです! 他にもたくさんありますけど全部挙げますか?」

 ため息を吐き出すように一言で全てを述べる。七海さん、引いていないと良いけれど。私の心配をよそに七海さんは複雑そうな顔をするだけだった。
 私は七海さんのこときっと全然わかっていないし、知っていることなんてごく一部なんだろうけれど、それでも出会ってから今日に至るまで七海さんと時間を重ねてちゃんと知ってきたつもりです。わかってきたつもりです。私なりに。

「幸せよりも絶望に気が付くことのほうが多いです」
「絶望に目を背けないところも追加します」
「……貴女が思う程私は出来た人間ではありませんよ」
「いいですよ。七海さんがヤンキーでもクズでも泣き虫でも。私、七海さんの全てが好きなので」

 七海さんはもう何も言わなかった。
 呪いを祓いに行く私達の心中は多分全然重ならない。いつか独りで死ぬのなら他人とどれくらいの距離を保てば良しとされるだろう。今、触れられることの出来る距離にいても明日の私達はまた他人だ。愛が呪いと言うのなら恋のままでも良い。ただ欲を言うなら七海さんを想い続けられる明日がほしい。

「名字さん」
「なんですか?」
「今日は満月なのをご存知でしたか」
「知りませんでした」

 空を見上げるよりも先にレンズに映る月を目に入れる。少し歪んだ月を見てから上へ視線を向けると綺麗な満月が夜に浮かんでいた。

「月がとても綺麗だと思いませんか」
「はい、すごく綺麗です」

 殺伐とした時間の前に過ごすには少し穏やか過ぎたかもしれない。でも私達は呪いを祓う。目に見えぬ何かを犠牲にして。しっとりとした夜の空気がまとう中、私達は夜の住人となるのだ。

(21.03.21)
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