同期の黒尾の話


「この間の件、やっぱりなかったことにしたくねーんだけど」

 真剣な面持ち。返すべき言葉が何一つ見つからなくてその瞳に囚われる。
 あれから必死に今まで通りを意識してきたけれどやっぱり不自然なところがあったんだろうか。変に気にかけてもらわないように、無駄に気を使ってもらうことがないようにと頑張っていたのに。
 今になってその件について触れられるとは想定していなかったから、上手に誤魔化すことができない気がして視線が泳ぐ。

「……なんで、急に、そんな……」
「好きだから」

 間を置くことなく言われる。
 今、好きだからって言った? 黒尾が、私を、好き? 友情とかそういう類のものじゃなくて、恋愛としての好きを口にした?

「す、好きって……」

 黒尾と付き合ったら、という想像をしたことはある。彼氏だったら楽しいだろうなとも思う。でも本当に黒尾が私のことを好きだなんて考えたことはなかった。
 唯一の同期で気が合うからこういう距離感で落ち着いてるのだと思っていた。キスだって、一瞬の気の迷いだったのかなって。

「出張先で大量に土産買うのも、給料日に焼肉食いに行くのも、酔っぱらったら介抱すんのも、美味そうな飯屋見つけたら誘いたくなんのも、終電逃したからって泊めんのも、衝動に身を任せてキスしたくなんのも、ぜんぶお前だからだよ」

 耳障りの良い低音が鼓膜に甘く触れる。
 ああ、もう。なにこれ。全然いつもの調子が出ない。ドキドキして心が痛い。どうして急にそんなことを言うかなぁ。だって私、ずっと頑張っていたのに。どうやったら今まで通りに戻れるかなって。黒尾を困らせないかなって。黒尾は私の事をただの同期としてしか思っていないから、なかったことにするのが1番だって答えを出したのに。

「名字が思ってるよりずっと下心にまみれてて幻滅した?」

 黒尾は緩く笑う。
 私は首を横に振る。
 幻滅しないけど困る。だってそんな風に言われたら見ないようにしていた気持ちがちゃんとした形をもってしまう。理解して、自覚してしまう。

「返事、急かすつもりはないから。今はただ知ってくれただけで十分っつーか、まあ、困らせるのは本意じゃないからあんま考え込んでほしくもないんだけど……」

 もう逃げることが出来なくなってしまう。

「ま、待って。……今、答えたい」

 いや、もしかすると逃げる場所なんてなかったのかもしれない。上手に誤魔化せる術なんて最初から持ち合わせていなかったのかもしれない。きっとそれらは全部、あの夜に忘れてきた。
 少しだけ残っていたドリンクを口に含んで喉を潤し、覚悟を決める。なにをどう伝えたら良いんだろう。でも上手に言葉に出来なくても黒尾はちゃんと聞いてくれるはずだ。

「私、黒尾のことはずっと仲の良い同期だと思ってて」
「うん」
「同期っていうか、烏滸がましいかもしれないけど親友とすら思えるくらいに気が合うなって感じてて。周りから付き合ってるのかって聞かれることも多かったからそういうことを意識したことないって言ったら嘘になるんだけど、でも変に意識してそれまでの関係が崩れるのが嫌だし、黒尾とはそういう……恋愛関係のことは出来るだけ考えないようにしてた」
「まあ、そうだよな」
「ただ正直に言うと黒尾の動作とか言葉にドキッとしたことは何回もあるし、黒尾が他の人と仲良くなったら嫌だなって気持ちもあった」

 私自身もどこに着地するかわからない話。だけど黒尾が相槌を打ってちゃんと私の話を聞いてくれている。たどたどしくも言葉を紡ぎながらテーブルの下でギュッと拳を握る。
 ああ、緊張するな。言葉にするってこんなに難しいことなんだな。

「でも黒尾への気持ちをはっきりさせないままでいるのは楽な部分もあって、あんまり深いことは考えないようにして流れに身を任せてた。そんな時に黒尾の家に泊まることになって、夜にいろいろあって……あの、誤解されたくないから先に言うんだけど、嫌じゃなかったから」
「……まじ?」
「……っていうかあの状況でなにもされなかったらそれはそれでなんか悔しい」

 黒尾は少し脱力するように笑った。

「女心複雑すぎんだろ」
「さすがに流れに身を任せすぎたとは思うけど嫌だったらそもそも泊まらないし、冗談でも一緒に寝ようなんて言わない。でも黒尾が悩んでるってコヅケンさんから聞いたからそれで嫌だったのかなって困らせたのかなって思って……」
「で、なかったことにしたいって言った?」

 頷く。

「なかったことにしたいわけじゃないけど、それがベストだと思った。だって黒尾が私のことそんな風に思ってたなんて知らなかったし、今まで通りに接するのが1番かなって。……私は頭パンクしちゃうくらい考えてたのに黒尾は動揺する素振り見せないし、なんなら普段通りだし、少しくらい動揺してくれてもいいのにってモヤモヤもしてたんですけど」
「実際はすげぇ考えてたからそう見えてたんなら良かったわ」
「全然良くない! す、好きって気持ちだって分かりづらいし、なんかもう色々と急だし!」

 黒尾に恋してるって思ったことはない。気がついたらこんなに親しくなっていて、気がついたらなくてはならない存在になっていたから。きっと好きとか恋とかそういう言葉で収めるにはちょっと膨らみすぎてしまった気もする。でもそれくらい私は黒尾が大切なんだと思う。

「黒尾にこんなにドキドキするなんて入社時は想定してなかったし、今も黒尾の方が余裕あるの納得いかないけど! ……けど、黒尾と付き合ったら楽しそうだなって思うし、これからも給料日に一緒に焼肉行きたいし、黒尾の一番近くにいる異性は私が良い、です」

 全て言いきったと、今度は私が真っ直ぐに黒尾を見つめる。恥ずかしけどそらさない。逃げないって決めたから。

「あー……正直、困らせるかもって思いながら言ったから今すげぇ安心してる」

 肩の荷が降りたのか、黒尾は身体の力を抜いた。そうして深呼吸をしたかと思うと再び姿勢を正して私の名前を呼んだ。つられるように私の背筋も伸びる。

「名字」
「は、はい」
「俺は名字とただの同期で終わらせたくないと思ってる。今以上に大切にするし、もっとたくさん笑わせるから俺の彼女になって」

 今だって充分大切にしてもらえているのに、たくさん笑わせてもらっているのにこれ以上を与えられたらいったいどうなってしまうのか。
 久しぶりの恋愛。初めての社内恋愛。これから訪れる変化は、だけど怖いものではない。だから私の答えはひとつ。
 きっと頷いた瞬間から世界が一変することはなくとも、ゆっくりとそれらしくなるのだろう。甘かったり酸っぱかったり、時には苦い時間も訪れるかもしれない。そしてそういう時間を黒尾とならシェアしてゆきたいと思えるから。
 
「私も黒尾と同期以上になってみたい」

 優しい面持ちを携えて黒尾が笑った。

(24.12.10)
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