15
「次、どこ行きますか」
満足するまで撮影を続け、持ってもらっていたリュックを受け取ると飛雄くんが言う。
行きたいところはある。でも今日はずっと私の行きたい場所に付き合ってもらっているし、これ以上私ばかりが意見を言うのも忍びない。まだ太陽は姿を見せているけれど、今日はもう十分楽しい時間を過ごせたからと口を開いた。
「実は、工房で革製品のオーダーメイドを頼みたいなって思ってたんです。気になっていたお店が夕方には閉まっちゃうみたいなのでその前に行きたいなって考えていたんですけど、飛雄くんに付き合ってもらうのも悪いのでここで解散でも大丈夫です。夜からミーティングって言ってたし、あんまり遅くまで連れまわしちゃうと迷惑になるので」
だけど私のその言葉を受けて飛雄くんが言ったのは、またしても私を甘やかすような台詞だった。
「俺なら平気なんで名前さんの行きたいところ付き合います」
「……飛雄くん、楽しいですか?」
念の為、聞く。私の質問の意図を理解していないのか、飛雄くんは首を傾げるだけだった。
「楽しい、すけど」
「でも私の行きたいところばかりだから嫌にならないかなって」
「嫌じゃないです」
はっきりと躊躇いもなく答えてくれる飛雄くんに調子を崩されて、次第に面白さを覚える。
「美羽さんに頼まれたから、です?」
いたずらに、ちょっとからかうように言う。「はい」って、飛雄くんならきっとそう返事をするって思ったから。むしろその答えを聞くために訊ねたと言っても過言ではない。
だけど飛雄くんは私の予想する言葉を言うことはなかった。
「いえ」
私の瞳を真っ直ぐに見つめながら飛雄くんは続ける。
「俺が名前さんと一緒にいたいと思ったからです」
一瞬、心臓が強く脈打った。身体中に駆け巡る血液の流れを感じる。その言葉の真意を私は捉えることが出来ない。
「名前さんの言ってるその店ってどこらへんなんすか」
「……え、えっと、サンタ・マリア・ノヴェッラ協会の近くです。なので中心部にはなるんです、けど……」
多分、その言葉に深い意味はないのだと思う。飛雄くんとちゃんと話すようになって日は浅いけれど、人を振り回すために言葉を紡ぐような人でないことはわかる。
だから、平然と言った言葉を私も出来るだけ平然と受け止めるように努めた。
「フィレンツェは革製品で有名だから、キーケースか名刺入れが欲しいなって思ってたんです」
言葉と共に広場を後にし、高台から見ていた街へと戻る。
来た道を行きながら、肩を並べる飛雄くんをちらりと見た。いつも飛雄くんは私の歩調に合わせて歩いてくれる。ローマの街中にある遺跡の前を通る時も、フィレンツェのアルノ川の川辺を歩く時も。
きっとこれから先も飛雄くんはそうやって私の隣を歩いてくれるのだろう。私がここにいる限りは。飛雄くんがここにいる限りは。
「涼しいですね、風」
「はい」
「飛雄くん、このカメラで写真撮ってみますか?」
どうして今そんな提案をしたのか自分でもよくわからなかった。突然の提案に飛雄くんも目を見張っている。
「いや、でも……壊すわけにはいかないんで」
「大丈夫ですよ。ストラップ首から下げて、ちゃんと握っていれば壊れないです」
「それに名前さんみたいにうまくは撮れないです」
「確かに写真にも上手いとか下手ってあるけど、でも1番大切なのって撮ってて楽しいかどうかなのかなって思います」
「楽しいか、どうか」
「飛雄くんがカメラに興味を持ってもらえて、実際に触れて、それを楽しいなって思ってもらえたら嬉しいなって」
いや、わかっている。多分、見たかった。同じ世界でも私と飛雄くんの見る世界は違う。だからこの人の見える世界はどんな風に彩られているのか知りたかった。言葉ではなく、カメラを通して。それが私の独りよがりだったとしても。
少しの躊躇いを見せて、飛雄くんの腕が伸びてくる。恭しく、まるでメダルを授与するときのようにカメラのストラップを飛雄くんの首にかけた。
「両手で持って、脇をしめて構えたらオーケーです」
「こう、すか?」
「そうです。すっごく様になってます」
「ここ押せばいいんすか?」
「はい。好きなだけ押して大丈夫です。ファインダー覗いて、撮りたいなって思ったり、綺麗だなって思ったものを撮れば」
飛雄くんの撮影の邪魔にならないように斜め後ろに立つ。凛と伸びた背筋。カメラを持つ大きな手。飛雄くんの目に映るフィレンツェの街は、どれほど美しいのだろうか。
私もリュックからミラーレス一眼を取り出した。飛雄くんが私のカメラで写真を撮っている傍ら、ゆっくりと川辺を歩きながらSNS用の写真を撮る。
そしてしばらくした頃、飛雄くんは改めるように私の名前を呼んだ。
「名前さん」
「あ、はい」
「結構、撮れたと思います」
「じゃあ、データ整理したら送りますね。飛雄くんの撮った写真確認するの楽しみです」
「……普通だと思う、すけど、でも間違ってたらすんません」
「大丈夫。写真に正解はないから」
緩く微笑む。例え私と飛雄くんを繋ぐ糸がか細いものだったとしても、繋がった事実は消えない。
だからきっと、私も同じように思ったのだろう。フィレンツェの街を飛雄くんと一緒に歩きたいと。
(22.06.08)