16

 隙間なく続く落ち着いた色合いの外壁を横目に、フォッシ通りを歩く。このまま真っ直ぐ行けばサンタ・マリア・ノヴェッラ広場へ行けるけれど、その途中で横道に曲がると見えるのが私の目的のお店だ。

「同じイタリアでも都市によって雰囲気違いますよね」
「そっすね」
「日本だって場所によってそうなんだから当たり前なのに、海外にいるとそういうのちょっと忘れそうになります。どの場所も馴染みがない景色だから、最初は全部凄いって感想になっちゃんですよね」
「名前さんはどこに行っても楽しめそうです。そんで、どこ行っても真っ先にカメラ構えそうっす」
「ははは。確かにそうかも」

 ローマと比べると決して広くはない都市。街中はコンパクトにまとめられている。観光名所が近いというだけあって周りにはホテルや飲食店が多く並ぶ。時折鼻に届くピザの良い香りに心を奪われながらも迷うことなく足を進め、目的の店の前に立った。

「ここですね」

 飛雄くんと共に入店し、オーダーメイドで注文したい旨を伝える。イタリア人なまりの英語で商品についての説明を受け、聞き取れなかった部分は飛雄くんにイタリア語の通訳を頼む。
 品揃えも豊富。デザイン可愛い。職人さんの人柄も良さそう。やっぱりここでオーダーメイド品を頼みたい。そう思う私に、通訳をしてくれる飛雄くんが言った。

「『ただし配送はしていないから出来上がったら取りに来てもらう必要がある』そうです」
「えっ、配送していなの!?」

 思わず日本語で飛雄くんに聞き返す。同じイタリアだし配送可能だと思い込んでいた。だけど不可能となると話は変わってくる。

「そっかー……どうしようかな……」

 再びフィレンツェに来るにも交通費がかかるし、既製品の中で気に入ったものを選ぶか、もしくは配送をしてくれるお店を探すか。でも明日は朝から夜まで撮影があってそんな時間がないのも事実だった。
 迷って答えが出せない私に飛雄くんが言う。

「俺、その日もまだフィレンツェにいるんで預かりますか」
「えっ! いやそんな悪いです。面倒だと思うし、既製品にします」
「取りに来るだけっすよね? 別に面倒じゃないんで。自分が本当に欲しいもの買った方がいいと思います」

 飛雄くんの言葉はやはり、私の鼓膜を甘く撫で上げる。
 黒色の、曇りなき眼。その瞳に見つめられると悩む事は許されないような錯覚に陥る。だけどそれは決して責めているわけでもなく、ただこちら側の深層心理を的確についてくるような柔らかい鋭さを持っていて、私の気持ちは簡単に揺らぐ。

「……本当に迷惑じゃないですか?」
「はい」
「じゃあ……お願いします。色々調べてこのお店のデザインが一番可愛いって思ったのですごくすごく助かります。本当にありがとうございます!」

 眉尻が下げながらも、だけど出来るだけ笑って言うと、飛雄くんが薄く微笑んだ気がした。それはほんの一瞬だったから私の思い込みかもしれないけれど。

「出来上がったら取りに来て、ローマで名前さんに渡しに行けばいいんすよね」
「はい。ローマでは私が飛雄くんのところまで取りに行くので、飛雄くんは私の代わりに商品を受け取ってくれるまでで全然大丈夫です!」

 さすがにわざわざ部屋まで来てもらうなんてことは出来ない。私が飛雄くんに対して出来ることは少ないとわかっているからこそ甘えすぎてはいけない。迷惑をかけてはいけない。頼りすぎてはいけない。

「俺のことはそんな気にしないでいいんで。嫌なときははっきり言います」
「あ! 飛雄くんも注文しますか? 私、支払いますよ。フィレンツェでは……というか飛雄くんには本当にお世話にしかなっていないんでお礼と言ったらこれくらいしか思いつかなくて」

 飛雄くんは迷う様子を見せる。もちろん無理にじゃないし、贈って困る贈り物ならお礼にはならないから気にしないで断ってほしいとも思う。

「……じゃあ、お願いします」
「わかりました、任せてくださ……いや、作るのは職人さんだし、受け取るのは飛雄くんだし、私は支払いしかしないですけど、でも、うん。しっかり支払いますので!」

 だけど、私の提案を受け入れてくれた飛雄くんに私は心が明るくなった。

「好きなの選んでください」

 ちょっと得意げに言う。後輩を居酒屋に連れて行った時のような気分で。
 商品サンプルを見つめる飛雄くんの横顔。長いまつげの影が頬に落ちている。頬に差す茜色の光で、夕刻が迫っていることに気付いた。ああ、そうか。もうそろそろこの時間も終わりか。
 飛雄くんに気付かれないよう、今日の日を思い返した。一日早く電車に乗って良かった。フィレンツェの街を飛雄くんと歩けて本当に良かった。

「名前さん」
「あ、はい。なんですか?」
「これ。この色どう思いますか」

 飛雄くんが指さした革へ視線を向ける。
 あと少し。あと少しだけ。
 夕日が姿を隠すまでは、飛雄くんの隣で私は笑うのだろう。

(22.06.08)