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 ごめん、彼氏が出来たからルームシェア解消したい。そうルームメイトに言われたときはつくづく女という生き物は⋯⋯と頭を抱えた。申し訳ないと眉を下げる彼女は「違約金は私が払うね」と言ったけど、そこじゃねーよ。いや確かにあなたが払うのが当然でしょうけど、今はまだそこじゃねーよ。私は突然のことに怒りたい気持ちを何とか押さえて彼女に言った。

「それって今月中にルームシェア解消ってこと?」
「⋯⋯詰まるとこはそうなるかな」

 まじか。今月あと5日しかないんだけど。いやちょっと待ってあと1ヶ月延長しませんか? とこっちが下手に出てお願いしようとしたところ、ルームメイトの言葉が続く。

「実は管理会社にはもう連絡してるの。月末に確認作業あるからそれまでに荷物まとめてもらっていいかな?」

 首を傾げ、私にそうお願いする彼女に苛立ちを感じながら、私は了解するしかなかった。だってもう管理会社に連絡されてるんだもん。この女策士だ。絶対前々から管理会社に電話してた。と断定したところで、私はしばらく女を信じないことを決めた。

「わかった」

 手短にそう言うと私は自室に閉じこもった。ルームメイトの顔なんて見たくもない。幸い、この物件には引っ越してきて3ヶ月しか経ってないから自分の荷物も少ないし、大物家電は備え付けだ。荷物の整理と言ってもそれほどかからないだろう。しかし問題は、次の住居だ。5日で引っ越し先を見つけることが出来るだろうか? 本当になんてことをいきなり言い出してきやがったんだあの女は。私は部屋を見渡しながら、明日は仕事が終わったら不動産会社に行こうと脱力しながら考えた。


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 結論から言おう。私は3日続けて不動産会社に駆け寄ったが、今の私の求める条件に合う物件はなかった。つまり、絶体絶命の状況だ。ルームメイトはもう少しで彼氏と同棲出来ることにウキウキしているのか頭の中がお花畑だし、それが余計腹立つ。ベッドに転がりながら私は携帯の連絡先をスクロールする。"及川徹"画面に表示されたその文字をじっと見つめ続ける。昔、長いこと向き合っていた男。背に腹は変えられない。私は及川徹の電話番号へ発信した。
 短い通信音の後、呼び出し音が始まる。しばらくコールがなり続け、これはもう出ないかなと諦めかけたとき携帯の向こうから徹の声が聞こえた。

『もしもし、名前?』
「はい、名前です」
『なにそれ。てか電話どうしちゃったの、珍しいってゆーか別れてから初めてじゃない?』

 徹の少し笑った声が聞こえる。別れてから連絡とることはあっても直接電話で話すことはなかったから懐かしいなぁなんて浸ってしまう。いかん、今はそれどころじゃないのだ。と急いで頭を切り換えて「実は⋯⋯」と話を切り出す。

「何から話したらいいか分からないんだけど、実は明後日にはすむ家がなくなりそうで」
『待って。なにその職失った、みたいな状況』
「いやあ、職は失ってないんだけど、ルームシェアしてた子と色々あって明後日には今すんでる部屋解約することになっちゃったんだよね」
『は?』
「で、ほら、徹、今彼女も好きな子もいないらしいじゃん」
『なんで知ってんの』
「マッキーが教えてくれた。だからね、次の部屋決まるまで徹の部屋にすこーしの間だけお世話になりたくて」

 すこーし、の部分を強調して私は言った。何も返ってこない様子に電話の向こうで驚いているであろう徹の顔が思い浮かぶ。

「徹のとこ私の仕事場から通いやすいし、私そんな荷物ないし、1週間か10日あれば部屋決めるから! お願い!」

 神様仏様及川様である。藁にもすがる思いで私は徹に願った。

『なんで俺なの?女友達いるでしょ』
「今、女は信じないと決めている。それに気を使う女友達より、気の使わない元カレのほうがいい」

 きっぱり言いきった私に、電話口からため息が聞こえる。考えているのか、沈黙が走る。これは、いけるか?後一押しだと確信した私は再び口を開く。

「徹に迷惑はかけない。出来るだけ早く出ていくようにもする。徹が嫌じゃなければ家事も手伝う。だからお願い!頼れるの徹しかいないんだよ」

 再び電話の向こうでため息。どうか、どうかと願う私の耳に徹の声が届く。

「わかった。明後日なら俺も休みだからいいよ。名前のことしばらく泊めてあげる」

 よっしゃあ! とベッドの上でガッツポーズする私はさぞかし滑稽だっただろう。

「ああああありがとう!! ほんっとにありがとう!! 詳しくはまた連絡するね!!」
『はいはい、わかったよ』

 呆れてるようなだけど笑ってる徹の声が聞こえてほっとする。おやすみと電話を切ると、じわりと安堵が広がる。これでホテル生活もしなくていいのだ。後は片付けをして明後日にはこの部屋とさようならできるようにすればいいだけだ。もう一度心の中で彼にお礼を言い、私は片付けにとりかかる準備を始めた。

 これが、私が元カレである及川徹の部屋に少しだけお世話になることに至った経緯である。

(15.07.29)