The day before the wedding

「いよいよ明日だね」

 明日の確認も終わって、お肌の為に早めにベッドに潜り込んだ私に徹はそう声をかけた。眠気は全然やって来なくて、むしろ遠足前日の子供みたいに高揚した気分。

「うん。あっという間だった」
「全部大丈夫そう?」
「徹と確認した時に漏れがなければ大丈夫」
「じゃああとは明日を待つだけだ」

 穏やかな声色。そっとベッドの中に入ってきた徹は私と同じように仰向けになって天井を見つめた。その横顔を見つめる。サイドテーブルに置かれた照明が徹の顔に影を落として、心が落ち着く。

「無事に終わるといいな」
「大丈夫。たくさん準備したし」
「あと楽しんでもらえるといいな」
「めちゃくちゃプランナーさんと話し合ったし」
「徹は泣くかな?」
「泣くかも」
「あはは。宣言したね」
「名前も泣くかもよ」
「泣くかなぁ。徹が泣いてたら泣かないかも」
「なんでさ」
「なんか、温かい気持ちになるから」

 入籍は1ヶ月前に済ませてあった。ふたりで決めた日に役所に出しに行って、私の名字が変わって、及川名前になって、免許証や職場の手続きをして。プロポーズされた日から今日に至るまで、怒涛の日々だったと思う。凝縮された濃厚な時間は思い返すだけで色めき立つ。

「名前がもし泣いても拭ってあげるから安心してて」
「私は拭わない」
「えっ!? そこは私もって反応じゃないの!?」
「手袋してるし汚れるかもなって」
「急にリアリティ出してくるね⋯⋯」

 実感は後から伴うもの。それを痛感した。結婚したからと言って私も徹も、本質が変わるわけではない。それでもゆっくりと、ひとりからふたりの人生になる意識のようなものは日々変化していっている気がする。
 寝返りをうって徹の方に体を向け、今度はじっと、しっかりとその横顔を観察する。

「岩泉の友人代表スピーチ楽しみだな」
「楽しみだね」
「あとマッキーたちの余興も」
「うん」
「でもドレス踏んで転んだりしないか心配」
「支えるって」
「誓いのキスの時にくしゃみしたくなったらどうしよう」
「我慢して」
「途中、グーってお腹なりそう」
「周りの音も騒がしいよきっと」
「あとは」
「名前」

 落ち着いた声で私の名前を呼んだ。緊張で眠れないのも、心配で考え過ぎちゃうのも、きっと全部徹はわかっているんだろうな。
 私のほうに体を向けて、優しく頭を撫でる。子供じゃないんだからと思ったのにあまりにも優しい手付きに、穏やかな感情がやってくる。

「名前」
「⋯⋯うん」
「大丈夫だから」
「うん」
「隣には俺がいるし」
「そうだね」
「ちゃんと準備もしてきたし。友達もたくさんいるし」
「うん」
「大丈夫。心配しなくても」
「そっか」

 時計の秒針の音。自分の呼吸音。ここに存在していることを実感する。

「あのさ」
「うん」
「今更だし、もう籍は入れてるけど、俺と家族になってくれてありがとう」
「⋯⋯なに、急に」
「急っていうか、入籍したときからわりとずっと思ってた」
「今言うんだ」
「まあ、今かなって」

 髪の毛を撫でていた徹の手が私の頬に触れる。見つめ合って数秒。夜が深い呼吸をしたみたいに、全て飲み込まれる感覚がした。

「明日、名前は世界で1番綺麗だよ」
「今日は?」
「今日は可愛い」
「なにそれ」

 なんでこのタイミングで泣きそうになるかな。なんでそれを我慢できないかな。その優しい瞳に映る私は、もう世界で1番幸せなことを、徹はわかっているかな。

「ごめん、泣かせちゃったね」
「絶対にわざと」
「そんなわけないじゃん!」
「明日目が腫れたら徹のせい。徹の目も腫れさせる」
「腫れさせるって何⋯⋯?」

 徹が涙を拭って瞼にキスを落とす。
 結婚式の前夜、守られるように抱きしめられて私は眠るのだ。明日を想いながら。明日からの日々を想いながら。

(20.12.21)