冬の日

 白く舞い上がる息を見つめて、歩くスピードを少しだけ速めた。うん、この感じなら間に合う。首に巻きつけたマフラーが揺れて頬を擽るのも気にせずに改札に繋がる階段を軽快に駆け登りホームに着くと、同時にアナウンスが流れた。

――まもなく電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください。

 冷たい風を携えてやってくる電車。京治くんがいるのは5号車、真ん中のドア。扉よ、早く開け。待ちきれないのは毎朝の事だった。
 降りる人は今日もほとんどいなくて、ドアが開けばすぐに中へ乗り込んだ。温かい空気をあびて寒暖差にくしゃみをしてしまうのを頑張って堪える。

「京治くん、おはよ」
「うん、おはよう」

 付き合いはじめて半年。変わったことと言えば名前の呼び方と、私が駆け込み乗車をしなくなったことだろうか。今日も空いている京治くんの隣の席に腰をおろせば、私を見つめる京治くんとしっかり目が合う。

「今日、寒いね。名前のマフラー暖かそう」
「朝起きるの辛かったよ。京治くんいなかったら1本乗り遅れてたかもしれない」
「俺がいたから間に合った?」
「そうだよ」

 恥じることもなくそう言う。京治くんは少しだけ口角を上げた気がした。こういう時、時間が止まっちゃえば良いのにって思う。電車が遅延するとか停止するとかじゃなくて、本当に世界の時間がきれいに止まって、私と京治くんだけが切り取られるみたいになれば面白いのになって。
 空想的過ぎて京治くんには言えないけれど。

「俺がいないことはないから名前はもう駆け込み乗車しないってことか」
「う……勿論って言いたいけど言い切れない……。年に3回まで許してほしい……」
「ごめん。俺も同じ電車に乗れるの嬉しいからちょっと意地悪な感じで言った」

 柔らかく優しい声色で笑う京治くんを今日も好きだなぁと思う。
 ひと呼吸おいて京治くんがふと、何か違うことをぼんやり考えているような顔付きをした。

「京治くん、どうかした?」
「え?」
「もしかしたら考え事してるかなって。違ったらごめんね」
「ああ。いや、そのマフラーどこかで見たことある気がして」
「あ、これ光太郎くんとお揃いなんだ」
「え」
「この前のクリスマスにおばさん……えっと光太郎くんのお母さんが私と光太郎くんにプレゼントしてくれて。色違いで……京治くん?」
「木兎さんとお揃い……」

 独り言のように京治くんはそう繰り返した。いや、実際独り言だったんだと思う。

「可愛いなと思ったんだけど」
「うん」
「……木兎さん、羨ましいなって思った」

 素直にそこまで言ってくれるの珍しいなって思いながらも私は笑ってしまいそうになるのをどうにか堪えた。

「光太郎くんが、羨ましいの?」
「よくよく考えたら、木兎さんは俺の知らない名前をたくさん知っているんだなって思って」
「いますぐ忘れてって思うようなこともたくさんあるけどね」
「例えば?」
「うーん。小さい頃、光太郎くんの家に泊まりに行っておねしょしちゃったこととか? あ、本当に小さい時だよ!? 小学生になる前、幼稚園児あたりの」

 慌てる様子に京治くんは少し笑った。

「俺たち学校が違うから授業中の様子とか、友達とどんな風に仲が良いのかとか、全然分からないじゃん」
「うん」
「名前のクラスの男子も羨ましいと思う。俺も授業中の名前見たいし、お昼ごはん一緒に食べたりするの楽しそうだなって」

 京治くんの言うそれは、どうしても叶わない事だけど私だってそう言う事を思わなかったわけではない。京治くんが同じ学校だったら、同じクラスだったら。そのもしもを私も何度も考えてきた。同じ制服を着て、同じ校舎ですれ違う。魅力的だよ、凄く。

「わかるなぁ。絶対私、ちらちら京治くんのこと見ちゃうな」
「……俺もかも」
「あはは。一緒だ」

――まもなく△△。まもなく△△。

 もうすぐ駅につく。ああ今日もあっという間だったな。名残惜しいな。

「一緒の学校だったら絶対楽しいけど、違う学校でもこんなに楽しいなって思えるんだから凄いよね。京治くんと恋人同士になれて私の毎日は幸せばっかりだよ」

 面食らった顔をした京治くんはすぐに笑顔を見せて、はにかむように目を細めた。電車が止まって立ち上がる寸前、私の名前を呼んだ京治くんが言う。

「照れるけど、すごく嬉しい。ありがとう、名前」

 京治くんが嬉しいなら私も嬉しい。そう思いながら開かれた扉から一緒に電車を降りる。
 今日が始まる。幸せに満ち満ちた、冬の1日が。

(21.01.02 /60万打企画リクエスト)