「えー!なまえの彼ってフリーターなの!?」
「やめときなって!そりゃあんたも三十超えて焦るのは分かるけどさぁ〜」
平日の昼下がり。
私は今、某有名イタリアンのお店のテラス席というなんとも不釣り合いな場所で、針の筵状態で頭を抱えていた。
数ヶ月に一回くらいの頻度で行われる大学の同級生達との女子会…といっても、普段はやれ新薬が出るだの、治療のガイドラインが変わっただのという至極可愛げのないものなのだが、今日は私がこの中の一人の“彼氏候補を紹介してあげる”という話を断る為に透さんの話を出してしまったことが原因で、女子会と言う名目ににふさわしい恋バナに花を咲かせているのだった。
根掘り葉掘り聞いてやる!と意気込んでいた彼女らから出たのは当然、“何をしている人なのか”という質問で、私は“喫茶店で働いている”としか答えようがなく、今とても肩身の狭い思いをしている。
研修医、外資系製薬会社MR、厚生労働省職員…と私は彼女達の顔を見ながら、彼女達の彼氏もしくは旦那の職業を思い出していく。ダメだ、どんな言い訳をしても逃れられそうにない。
本当は透さん…もとい零は国家公務員なのだから堂々としていればいいのだが、いざフリーターと言ってしまうと本当に肩身が狭くなったような気がして私は苦笑した。
「その男、あんたの金目当てだって。やめときな」
「今度、旦那の同僚紹介してもらえるよう頼んどこうか?」
友人達は本気で心配してくれているらしく、製薬会社のMRと二年前に結婚した彼女に至っては、スマホ片手に今にも旦那さんに連絡しかねない勢いである。
「まだ付き合い始めたばかりだし…別にお金を渡してるわけでもないし…その、」
この話を終わらせたい一心で、しどろもどろになりながら言い訳を探していると、私の背後に陰がひょっこり現れる。
「あれ?なまえさんじゃないですか」
現れたのは渦中の彼、透さんだった。
今日は大学時代の同級生とランチに出掛けると言っていたので、自分の話になるかもしれないと心配して来てくれたのかなと察しはつく。実際、昨日私の後ろからグループラインのやり取りを見ていた彼は、“なまえにいい話があるよ!”と言った友人が私に彼氏候補の男性を紹介するつもりであろうことを既に言い当てていた。
「透さん…」
先程まで透さんのことをボロカスに言っていた彼女達は、思わぬイケメンの登場に顔を赤らめ、口をパクパクさせている。
「夕食の買い出しに行くところだったんですよ…初めまして、なまえさんとお付き合いさせて頂いている安室と言います。皆さんにはご心配をお掛けしてすみません…でも僕、なまえさんのこと本気なので離してあげられそうになくて…」
さらさらと流れるようにそう言った透さんは私の肩に手を置いた。大丈夫、後は何とかするからと言ってもらえたようで、私は必死で考えていた言い訳を一旦忘れる事にした。
「確かに、僕は探偵見習いのアルバイター…経済的にはまだまだなまえさんには敵いませんが…お許し頂けませんかね?」
「わ、私達はなまえが幸せならそれでいいのよ!ね?」
ポカンとしていた三人のうち、一人が焦ったように口を開き、残りの二人もうんうんと頷いた。
「なまえさん、今日の晩御飯は何が食べたいですか?」
私の顔を覗き込んだ透さんは、してやったりという表情で私にだけわかるようにウインクをした。
「え?私はなんでもいいけど…」
「お昼はパスタですか…なら、さっぱりした和食にしましょう。栄養が偏るといけませんし」
僕が作っておきますから、貴女はゆっくりしてきてください。そう付け足して、透さんはすっかり大人しくなった彼女達に向き直った。
「これからもなまえさんのこと、よろしくお願いしますね」
キラースマイルを炸裂させた透さんは、彼女達が頷いたのを確認して、また後でと私に言い残して去って行った。
「あのスパダリ感でただの喫茶店のアルバイト?」
「なんなの!?あの爽やかイケメン!」
「ちょっとあんなにハイスペックなら先に言いなさいよ!」
口々に攻められて、私は何も言えなくなる。
「ごめん、まだ仕事しか聞かれてなかったから…」
「帰ったら晩御飯があるわけ?羨ましい!」
「心配して損したわ」
「でも、あんたはいいわけ?いつも忘れられない幼馴染がいるって断ってたじゃない」
そういえば、昔そんなこともあったなと苦笑する。
「ん、彼は…もういいの」
「そ?吹っ切れたんならもういいんだけど」
その幼馴染が彼だよと言えたらいいのだが、そうもいかないので今は黙っている事にする。いつか、透さんの仕事が全て片付いて、“降谷零”として彼女達に紹介できるようになったらその時に…と私は思いを巡らせていた。
「ちょっと聞いてよこないだうちの病院さぁ!」
いつの間にか話題は普段通りの可愛げのない方へ転がっていて、私はホッと胸をなでおろしたのだった。
僕はなまえの友人に別れを告げた後、少し離れた場所に停めたRX-7のエンジンを始動させ、スーパーへと向かった。
様子を見に行って正解だった。なまえのことだから
昨日、僕の胸に凭れながら今日のグループラインを見返していた彼女に、“明日、男性を紹介してあげるって言われるぞ”とは伝えていたが、ここまで的中すると自分ばかりが彼女を好きなようでちょっぴり癪である。
今日は少し手の込んだものにしようかと色々買い込んで帰宅すると、夕食を作り始めてから程なくしてインターホンが鳴った。
「あれ?なまえ…」
ドアを開けた先には、先程ゆっくりしておいでと言ったはずのなまえが立っていた。
「ただいま!零が恋しくなって早めに帰って来ちゃった…はいこれ」
玄関先で、有名洋菓子店のケーキの箱と、これまた有名醸造元の日本酒を手渡される。
「おかえり。ケーキ…に酒?」
「うん。零、明日お誕生日でしょう?お祝いしよ、前夜祭」
玄関に、僕よりワンテンポ遅れてお出迎えに来たハロが、アン!と返事をするように鳴いた。なまえに僕から誕生日を言った覚えはなかったが、恐らく保険証に書いてあったのを覚えていたのだろう。まったく、申し分のない恋人である。
きゅうっと胸が苦しくなって、僕は空いた手でなまえを抱き寄せた。太陽の香りと、彼女の香水の匂いが鼻腔を擽る。
「零?どうしたの?」
「やっぱり、僕ばっかり君が好きみたいだ」
「零って意外と鈍感よね…さっきは来てくれてありがとう。すごく嬉しかった」
なまえが僕を抱き返してくれて、また胸が苦しくなる。今日は彼女はヒールを履いているから、玄関先で抱き合う僕達の顔の距離は自ずと近い。
「あの、さ…」
「ん?」
「零の迷惑になるかなと思って言わなかったけど、私も零のことで他の女の子に嫉妬したり…色々あるんだから」
「…」
そんなになまえを不安にさせるようなことをしたかと僕が必死で思い返していれば、彼女は困ったように笑った。
「それから…明日の透さんとしてのお仕事ですが…ポアロのマスターに私からお願いしたのでありません!なので、私とお出かけしてください。ハイ以外は認めません」
なまえはちょっぴり意地悪な顔で、ヒールで嵩増しされた身長をいいことに僕の唇を掠め取った。
確かに明日は自分の誕生日だということなんてすっかり忘れてポアロのシフトを入れていたが、彼女はいつの間にマスターにお願いしたのだろうか。それに、彼女が僕の誕生日に有給休暇を取ったなんて聞いてない。
「零くん、お返事は?」
「…ハイ」
喜びで感情がぐちゃぐちゃになる。僕の中のなまえの可愛いゲージがオーバーフローして、顔に熱が集中するのがわかった。
「はいはい、お利口さんお利口さん」
真っ赤になって固まった僕の頭をポンポンと撫で、なまえはサンダルを脱ぎ始める。
「狡いぞ、こんな時だけ年下扱いして」
「れーい、晩御飯一緒に作ろ?」
サンダルを脱いで身長が元通りになったなまえが僕に手を差し出した。
たまには、こうやって甘やかされるのも悪くないかもしれない。
僕は差し出された華奢な手に自分の手を重ね、彼女に誘われるがままキッチンに向かったのだった。