番外編FLIE.2



バカップルも悪くない


朝、目覚ましよりも随分早く目が覚めた。
まるで遠足に行く日の幼稚園児のようで、自分でも幼いなと苦笑する。

私の身体の上には、冷えるといけないからと零が掛けてくれたタオルケットの上から、彼の細いながらも逞しい腕がしっかりと乗っている。少しでも身じろぎすれば彼を起こしてしまうことがわかっているので、私は目覚ましが鳴るまで目の前の綺麗な顔を堪能することにした。

いつもはあんなに余裕綽々な零も、寝顔は少し幼い。昔もそうだった。いつだったか、怪我をした彼を負ぶって宮野医院に連れて行った時、彼は暴れ疲れたのか私の背中でいつの間にか眠ってしまっていた。可愛い寝顔だったなぁなんて思い返してニヤニヤしていたら、ボソリと声が聞こえた。

「まったく…君は男の寝顔なんて見て何が面白いんだ?」

「!」

閉じていた双眸が開いて、大好きな灰青色の瞳が現れる。ぐいと引き寄せられて、零の匂いに包まれた。
この匂いには、まだ慣れない。心臓がばくばくと煩い。

「おはよ、なまえ」

少し掠れた声が、鼓膜を擽った。

「おはよ、零…もー起きてるなら言ってよ…」

「僕も、なまえが起きるまで見てたからな」

「!…零こそモノ好き」

こんな三十路女のすっぴん見て何が楽しいんだか。
私が呆れ顔で零の顔を見上げると、彼はニコリと笑って私の頭を撫でた。

「目覚ましまであと一時間はある。少し寝よう」

こんなにもドキドキしているのに眠れるわけがない。
そう思っていたのに、私は零の体温に包まれているうちに安心して眠りに落ちていったのだった。


朝九時。
二人して、アラームが鳴るまでぐっすり眠っていた。僕に関しては、アラームが鳴ってから目覚めるのは久しぶりかも知れなかった。

軽めの朝食を摂り、シャワーを浴びてからなまえが用意してくれたプレゼントの服を着る。
落ち着いたピンクのTシャツに、淡いブルーのデニム。
脱衣所に用意されていたそれは、すべて水通しもされており、僕は赤ちゃんじゃないぞと突っ込みたくなったが、シンプルながらも良い素材のそれらは、僕の身体にしっくり馴染んだ。

「なまえ」

僕よりも先にシャワーを浴びて出掛ける準備をしていたなまえを後ろから抱き締めた。

「ん?」

「これも誕生日プレゼントか?昨日も貰ったけど」

僕は昨晩零時を越えてすぐに なまえからネクタイと腕時計をもらっていた。ネクタイは上品で鮮やかなブルーの僕好みなデザインで、腕時計も金属ベルトと革ベルトの付け替えが可能な“安室透”の時も使えそうなものだった。

「それは透さんのよ。ネクタイは零の時しか使えないでしょう?」

「まぁ…それはそうだが…」

「似合ってるよ、カッコいい」

僕の腕の中で体勢を変えたなまえは、僕の服装を上から下まで眺めて言った。

「ちょっと待っててくれ」

僕はなまえを一旦解放し、ウォークインクローゼットに仕舞っていた彼女用の洋服のうち、二着を取り出した。奇しくもそれは彼女が僕に用意したTシャツと似たピンク色のカットソーと、デニムのスカートだった。

「今日はこれを着てくれないか」

ハンガーにかかった状態のそれをなまえに見せると、彼女はどうしてそんなものが置いてあるのかという不思議そうな顔をした。

「もしなまえがここから職場に行く事があってもいいように、何着か用意しておいたんだ。まぁ、僕が着て欲しいというのが一番だけど」

「零…これは…」

「たまには恋人らしいことしたいんだよ…悪いかよ」

なまえが言わんとしていることが分かってしまった僕は、急に照れくさくなってモゴモゴとらしくない言い訳をする。“リンクコーデ”なんて僕の柄じゃないと思っていたが、彼女とならしてもいいかなと思ってしまったのだ。
彼女は僕の様子を見て目をぱちくりと瞬かせた後、破顔した。

「ありがとう!着替えてくるね」

なまえは僕の頬にチュッとキスをすると、寝室に入って扉をパタンと閉める。僕はその背中を見届けながらしばらく赤い顔のまま口付けられた頬をさすっていたが、出かける予定の時刻が迫ってきたことに気付き、彼女が着替え終わったであろう時間を見計らって寝室のドアをノックした。

「なまえ?着替えたか?」

「あ、うん…着替えた…けど…」

歯切れの悪いなまえの言葉に首を傾げながら、僕は寝室のドアを開ける。そこには姿見と険しい顔でにらめっこする彼女がいた。

「気に入らないか?」

「いや、服のデザインとか色は好きなんだけど…三十の女が着るには可愛すぎない?」

なんだそんなことを気にしていたのか、と僕は小さく吹き出した。予期せず鼻で笑われる形になったなまえは、さらに眉間の皺を濃くした。

「違うよ、あまりにも可愛い悩みだったからつい…すごく似合ってる、僕好み」

僕好み、というところは殊更主張しておいた。そうすれば今日が僕の誕生日であることを第一優先に考えているなまえなら、僕の希望を叶えてくれるであろうことは容易に予想出来たからであり、自分の狡さを改めて自覚する。

「…じゃあ、そういうことにしとく」

なまえは姿見でのにらめっこを諦め、鞄を持つ。

「零はもう準備できてる?」

「いつでも、お姫様」

そう言ってポケットから取り出した車の鍵を見せると、なまえは僕の手に自分のそれを絡め、行こっかと微笑んだ。

彼女の目当ては杯戸町のショッピングモールだという。
着いてまず彼女が向かった先は、ルームウェアで有名なブランドの店であった。

「なまえさんはこれなんか似合いそうですね」

“安室透”のスイッチを入れた僕は、可愛らしいボーダーのモコモコしたルームウェアを指したが、彼女はこっちだと僕の手を逆方向に引いた。

「だぁめ。今日は透さんのを見に来たのよ」

なまえは僕に何着かのルームウェアをあてた後、これかなぁと僕に尋ねる。
それは白地に淡い水色のボーダーが入ったパイル地のもので、確かに着心地は良さそうだった。

「あの、気持ちは嬉しいのですが昨日から充分すぎるほど頂いているので…」

「いいからいいから」

その店で僕のルームウェア二着を購入したなまえは、次はここと雑貨屋で揃いのスリッパを購入する。

その後何軒か店を回って日用雑貨を買い込んでから、歩き疲れた僕らは休憩を挟むべくカフェに入る。それはコーヒーが美味しいと有名なカフェで、後学のためにいずれは訪れるつもりだったのだが、昨晩デートプランにここを入れて欲しいと彼女に頼めば、二つ返事で了承してくれたのだった。

「実はね…今日はうちに置いておく透さんの生活用品を買いに来たの」

なまえはアイスコーヒー二つを注文し終えた僕に微笑んだ。突然過ぎて一瞬理解が出来なかったが、それは僕がなまえの家に泊まりに行ってもいいということなのだろうか。

「いいんですか?僕が行っても」

程なくして、僕たちのテーブルにアイスコーヒーが二つ置かれた。なまえはポアロでするように、ミルクもガムシロップも入れないくせにストローでくるくるとそれを混ぜた。

「まぁ…相変わらず女子力の低い殺風景な部屋だし散らかってるかもしれないけど…いつでもどうぞ」

なまえは鞄ををゴソゴソとした後、僕の手の上に鍵を置いた。僕の愛車であるRX-7のミニカーのキーホルダーが付けられたそれは彼女のアパートの鍵で、僕は掌を凝視して暫し固まった。

「…ごめん、こういうの初めてで…どうしたらいいか分からなかったんだけど…透さんの部屋よりは、私の部屋の方が…見られて困るものもないし…あの…重たかった、かな」

僕が固まったせいでなまえは居心地悪そうに俯く。

今まで、付き合った女性と合鍵の話になったことがないといえば嘘になる。しかし僕は毎度の事ながらその話を煩わしく思い、有耶無耶にした挙句に彼女らと距離を置き、自然消滅させていた。
それは僕が冷たいからだと自己分析していたがどうやらそれは違ったようで、帰宅してなまえが家にいる生活なんてどれほど幸せな事だろうか…否、僕が夕食を作って待っているのもいいなと僕は妄想をフル稼働させた。

「なまえさん…ありがとうございます…女性の家の鍵を貰ったのは初めてなのでどう言ったらいいか分からないのですが…すごく、嬉しいです」

「うん」

「いつか…僕の家が安全になったら、合鍵を貴女に渡しますから…」

僕はテーブルの上のなまえの手をしっかり握ると、彼女はホッとしたように頷く。

「よかった、迷惑だって言われるかと思って」

「返せって言われても返しませんよ」

「言わないよ」

なまえがクスリと笑って、僕は彼女を抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。

「なまえさん、これを飲み終えたら最初の店に戻りたいのですが…構いませんか?」

「ん?ルームウェアのお店?」

「はい。僕の家にもなまえさんの部屋着、置いておきましょう…まぁ、僕のTシャツを着てる貴女も唆りますけど」

「そういうこと言わないで」

そんな睦言を言いながら、僕らはコーヒーを飲み干してから先程の店に戻り、僕と色違いのなまえのルームウェアを、今度は僕が二着購入した。

「一揃いずつ、お互いの家に置いておきましょうか」

「いいの?」

「当然でしょう?貴女の着替えや化粧品も置いて帰って構いませんよ?」

僕のアパートには組織の人間が侵入する可能性もゼロではないため、なまえを守るためにも鍵を渡してやれないのが歯痒いところだが、僕がいる時ならたとえ毎日だって来てくれて構わないのだ。

「透さんのお誕生日なのに、私がプレゼントもらっちゃったみたい」

「何を言ってるんですか…貴女の合鍵に勝るプレゼントはありませんよ」

僕達は手を絡めて恋人繋ぎにしながら、買い物を再開するべく歩き出した。

「そういえば先程のコーヒー、どうでした?」

「んー、さっぱりしてて美味しかったけど…私は透さん特製の愛情たっぷりコーヒーの方が好きかな」

「!」

なまえがあまりにも可愛い顔で僕に微笑むから、僕は我慢ができなくなって人混みに隠れて彼女の唇を掠め取った。彼女は顔を真っ赤にして怒っていたが、僕にはそれさえ幸せで。

次は、今日留守番をさせてしまったハロも連れてこようとなまえと約束して、僕は人生最高の誕生日を過ごしたのだった。