
大丈夫、と言うには程遠い状態だった。
夕方にひっそり私の家を訪れてきたジェイムズさんもキャメルさんも私に秀一の死を告げた後、悲痛な面持ちで下を向いてしまい、ジョディさんはシュウ!シュウ!と泣き崩れていた。
私の脳は考える事を放棄し、私はただ呆然と立ち尽くしていた。
二日前の夜、会いにきたのが最後だったと言うのか。
あの彼が妙に甘えると思ったら、死ぬ覚悟で私にお別れの挨拶をしに来たというのか。
秀一…あなた本当に、死んだの?
その日の夜は、コナンくんが心配して様子を見にきてくれた。
「なまえお姉さん」
コナンくんが心配そうに私に声を掛けるが、そんな言葉は全く耳に入ってこない。
徐々に、夢じゃないし茶番でもないのだと脳味噌が分かり始めていた。
全て、だ。
私は全てを失ったのだ。
『お前はいつでも俺を見限ればいい』
あの男はそんな狡いことを言ってあっと言う間にいなくなってしまった。
忘れられるわけ、ないじゃないの…
私の手にはコナンくんが秀一から預かってきたというシボレーC-1500のスペアキーが握り締められていた。
「あのね…赤井さんが…捨ててもいいからって言ってたよ」
恋人より大事なんじゃないかって思うほど、秀一が大切にしていた車のスペアキー。
デートと言われてついて行ったのに、目的地が洗車場だった時は流石に拗ねたっけ。結局、二人で泡だらけになってシボレーを洗車した後、私のアパートで一緒にお風呂に入る羽目になったなぁと、ふと思い出してまた胸が苦しくなる。
「コナンくん、ごめんね…お姉さん今、余裕がなくて…」
私はコナンくんを抱きしめた。
自分に何かあったら私にこの鍵を渡すようにとコナンくんに言ったあの男が恨めしい。
「でも…捨てないよ」
「!!」
「重たい女って思われたくないから秀一には言わなかったけど、決めてたの…もしあの人に何かあったら…ひとりで生きていくって」
私は、秀一でないとダメなのだ。
そんなこと自分が一番よく分かっていた。
「赤井さんは、そんなこと…」
「どこにでも行けばいいって言ってた…私が他の誰を愛しても、秀一は私を愛してるからって言ってたけど…そんなこと、できないよ…私の方が愛してたの」
コナンくんは黙って私を抱きしめ返してくれた。
涙で溺れるくらい泣いたけど、溺れ死ぬことはできなくて。
ひとしきり泣いてコナンくんにごめんね、と言えば、コナンくんは沈痛な面持ちでこちらを見て、言った。
「お姉さん…死んじゃダメだよ…」
「大丈夫、分かってるよ…すぐに逝ったら秀一に怒られるし…」
私が強がりを言って無理に笑えば、コナンくんは心配だからまた来るね、と帰って行った。

それから、私は心労から仕事を一週間も休んだ。婚約者が交通事故で死んだといえば、上司はそれ以上何も聞くことはなく、戻ってくるまで待つから好きなだけ休みなさいと言ってくれた。
私はヒールの靴を一足残して全て捨てた。
これらはもともと、背の低い私が秀一にキスする為に買った靴たちだったのだ。もう今の私には必要ない。
ただ…秀一からのプレゼントだったクリスチャン・ルブタンのヒールだけは捨てられなかった。
勿体ないからと外出時に履くことはなかった。
この先、一生履くことはないだろうが…
死んだら、棺桶に入れてもらおうかな。
私は碌でもないことを考えながら、燃えないゴミと書かれたゴミ袋をヒールで満たし、ゴミ捨てに出る。
夜九時以降なら捨てていいと管理人さんが言っていた筈だ。
マンションを出ると、小さな赤い車が見える。
秀一が、小柄な私に似合いそうだと言ったスバル360だった。
新宿88す2080、か…
ナンバーをチェックして覚える癖は、当分直りそうにない。
私は溢れ出そうな彼の思い出を必死で押し込め、ゴミを捨てて部屋に戻る。
長い夜はまだまだ明けそうになかった。