14話 エンナカムイでご挨拶


 夕暮れ前に野営跡地で天幕を張り今後どう動くかオシュトルと方針を話し合った。
 このまま街道沿いを順調に行けば十日で帝都には着くが、遺跡を使えば三日という最短距離で目的地には到達する。
 迷う理由はなかったが、どうにも彼は私の体調が気になるようで、また傷の治りが悪くなっているだの咳が出始めただのと体調を気に掛ける言葉をかけてきた。見知らぬ道具を使って体調が悪化しないか心配しているらしい。
 大丈夫だと返事をして、聖廟で定期的に治療すれば元に戻るからと説明すれば、それで其方は聖上に肩入れしておられるのかと何やら得心する。逆に聞きたい、良くしてくれる同族の恩人に徒成す不義理は私も嫌だと帰せば道理だなとまた頷く。とりあえず遺跡の施設を使っても体調悪化しないと理解はしてくれたようで、善は急げと彼は帰投を薦めたるが手を止めて言葉を遮る。最後に寄り道がしたいと地図を指さした。それを見たオシュトルは珍しく渋い顔をする。
 エンナカムイ、切り立った崖に周囲を囲まれた天然の要塞に都を置く國だ。オシュトルとネコネの故郷で、後に隠密衆に加わるキウル皇子の祖父が治める國でもある。
「お母様にご挨拶をしてない」
 どうせ何年も帰ってないでしょうしこれを気に顔合わせしたいとダメ元で催促すれば、気を遣ってくれたんだろう、体調が心配だから早く帰るならと渋々首を縦に振ってくれた。


 急いだというのもあり、三日後に私たちはエンナカムイに到着した。ビルより遙かに高い断崖は集落を囲むように広がり想像以上大きくて圧倒される。本来なら原作終盤で訪れるこの地にこんな早く来るなんて思いもしなかったなと、通行手形をウコンが門衛に見せる姿に万感の思いがよぎった。
 オシュトルが語っていたが故郷でその名は超有名らしく、現皇イワラジ様に大層目を掛けられた恩もありオシュトルとして訪れればお目通りやお付き合いやらで忙しくなるため身分を隠して行くのがいい……ということでウコンとその連れ、という感じで私達はエンナカムイを訪れた。

 のどかな都だ。片田舎と言っていいほど建物は少ないし見えるのは農地ばかりで目印になるのなんて崖をバックにそびえ立つ城ぐらい。田舎でつまらぬだろうとウコンがうそぶくが私は普通にいいところだと思う。
 門を抜けて大通り(それもどちらかというと農道だが)を行くと思えば逸れた先、町の外れに民家があった。玄関に掛けられた目印、暖簾にはオシュトルの家紋の柄が描かれている。
 緊張で知らず息を呑む。事前に、通りを行く村人の誰かにウコンが某(なにがし)か認めた文を渡した際に先触れをやったのだと語っていたのは、急に尋ねてびっくりさせて心の臓を悪くさせてはいけないという気遣いだ。ただの顔合わせにすぎないとわかっていても推しキャラのお母さんと対面は緊張する。
 ここに来るまで対面はオシュトルのみで私は待つと何度も提案したが却下された。顔合わせはどうしたのだと聞かれて、まさか顔合わせは忙しくて故郷に戻れないオシュトルを母親に会わせたい単なる口実とも言えない。実は体調が悪くてと嘘をつけば顔合わせはまた後日にと急いで戻ろうとするから気のせいだから大丈夫と取り成し、結局私も同席する羽目になってしまった。会えるのは嬉しい。ただ禄にめかし込んでないのと母子二人水入らずの時間に突如嫁襲来ってどうなのと二の足を踏んでるだけだ。
「案ずるな、其方はそのままで十分に美しい」
 裾を払い髪を撫でつける私に気休めでも嬉しい言葉をオシュトルは掛けてくれる。オシュトルのためにも頑張らねばと礼を言い深呼吸で気を落ち着けた。心臓はまだバクバクだがなるようになるしかないだろう。

 家の近くまで行くとオシュトルが乱れた髪を撫で付けて整える。付け髭を取りわざと緩ませていた襟元をただした。
「先に某が挨拶を致す。少し待たれよ」
 水色の外套を顔から被る私も失礼がないよう肩に羽織ったところですっかり忘れていた事実を思い出した。化粧ぐらい用意するべきだった。爛れてるやん、後の祭り。
 でもしょうがない、腹をくくってその時を待つ。

 ややあって色めく声がしたと思えば玄関からオシュトルが顔を除かせナナコ殿と呼びかける。怖々敷居をまたげば妙齢な女性が座して嬉しげにこちらを見つめていた。トリコリさんだ。
「母上、ナナコ殿です。某の嫁御として先日迎え入れました。ナナコ殿、某の母だ。
 ネコネと某、どちらが似ている?」
 知らんがな!どっちも超似た美形さんとしかわからんわ。
 どちらも似ていますとだけ返事をして声を私は原作通り優しそうな推しの母上様に挨拶をした。
「は、初めまして。私はナナコと申します。お会いできて嬉しく思います」
 ガッデム!声が裏返ってる。
「まあナナコさん会えて嬉しいわ。折角だから上がって頂戴、この子ったら急に連絡よこすものだから何もお迎えできるものがなくて申し訳ないわね。粗茶ぐらいなら出せますよ。さあどうぞ上がって頂戴」
 や、やさし〜。てかそれ私のせいで申し訳ない。
「し、失礼致します」
 余計なことを言わないよう頭を下げて靴を脱ぎ広間に赴く。広くて物が少なく整頓された室内は田舎の実家を思わせて懐かしい感慨が胸をよぎった。外の廊下からお客さんだとはしゃぐ小さな子供でも飛び出してきそうな風情に自然と綻んでしまう。ここでオシュトルやネコネは育ったんだ。

 座布団を勧められ腰を下ろすとトリコリさんは嬉しげに茶を入れるから待っててねと大張り切りだ。
「母上、茶なら某が入れましょう。どうぞお楽に」
「いいのよ、折角息子が何年かぶりに帰ってきたんだもの、労わせて頂戴。それもこんな可愛いお嫁様まで連れてくるなんて夢にも思わなかったものだから、すごく舞い上がっちゃって、嫌だわ年甲斐もなく」
 幾らでも張り切れると台所に向かう背にオシュトルが呼びかける。
「母上、倒れる前に落ち着くべきかと」
「もう心配性ね、誰に似たのかしらまったく」
「母上以外に見当が付きませぬ。ですが母上、長く逗留はできませぬ。お構いなくゆるりとして頂きたい」
「まあ何故?」
「密命の途中です。顔を見せずに去るのも不義理ではと妻に言われこうして何年かぶりに帰投がかないました」
「薄情な息子ですこと。ナナコさんに感謝しなくてはね、おかげで息子の顔を忘れる前に会えたのだから」
 心配から手伝おうと腰を上げるオシュトルに母らしいことをさせて頂戴と制するトリコリさんは台所であくせく動いているのかぱたぱたと忙しない音が廊下の向こうから聞こえてきた。視力が衰え病弱と向かう途中オシュトルから聞いていたが、よほど張り切っているのだろう。
 待つ傍ら心配げに視線を廊下にやるオシュトルにそっと話しかける。
「手伝ったほうがいい?」
「いや、嫁いでくれた身とはいえ其方は客人。気を焼かずともよい。逆に気を遣わせる」
「そっか……優しそうなお母様だね」
 心配げな面持ちが気が抜けたのか、ふっと笑みを零した。
「あれで身内には厳しくてな。悪さをしてはよく叱られた」
 ……意外。びっくりして目を見張ると想像がつかぬだろうと水を向けられる。
「オシュトルでも悪戯して手を焼かせてたの?信じられない」
 今と同じくそ真面目との予想を正さねばと思うが、そうではないのだと苦笑された。
「悪戯というかな……言い訳になるが昔から母は病弱で長男というのもあり気負っていたのだ。手伝おうとしては物を裂き皿を割り掃除をしては傷を付け塵を散らかす始末。今でこそそつなくこなせるようになったが、ここに来るまで相当の物を壊しては親父殿に拳骨をくらっていたよ」
 あ、そういうこと。そういう流れなら想像が付くわ。くすくす笑えば某は手伝いのつもりだったのに酷い親だと当時は思ったものだ、今思えば小突く程度だから痛くはないのに痛かったと嘆息する。
 当時の名残は室内にまだあるのだろうか。見回しても彼が壊した名残はない。
「何もないだろう、其方の目を楽しませるものもないのだ。田舎過ぎてすまぬ」
 何を勘違いしたのか、卑下するような物言いに私は慌て間違いを正そうと素っ頓狂な声をあげた。
「何を言うの。とても良いところじゃない。私こういう落ち着いた所って昔から大好きだよ。気に入った、すごく落ち着くよ。だって私の家もこんな感じだったし、ここほど広くはないけれど懐かしくていいなあって思ってたの」
「そう言って貰えるならばよかった」
 微笑まれほっとする。

 お喋りをしてる間に用意が出来たのだろう。盆に急須と湯飲みを携えたトリコリさんが現れてそれぞれの前に置いてくれた。茶菓子が三つお茶も同じく。私の傍に一組置いたのが気になるが、顔を近くで見るために置いたのかもと思うと突っ込むのも野暮だから見ない振りをした。
 頂きますと頭を下げて手にした湯飲みを傾ける。乳の入ったお茶はほんのり甘く飲むのに適温で飲みやすい。
 美味しいですと言い半分ほど飲んだところで茶托に戻すと向かいの席でに笑顔のトリコリさんが、それで、と話しかけてきた。 
「祝言はいつしたの?それともこれから?告白はどちらからなのか聞いても良いかしら」
 呻き吹きそうになるのを前屈みになり寸でで堪える。なにがしか質問があるのは予想してたけど想像以上にぐいぐい来られ私は答えに窮した。めっちゃ息子の恋愛事情に興味津々ですねご母堂!良い笑顔ですわ。
 私が戸惑う間に涼しい顔でオシュトルがすらすらよどみなく答えてくれる。
「某からです。告白を受け身分差に身を引くところを言い募り求婚致しました。祝言は、某の敵が多い故いつになるか断言できないのが申し訳なく、母上にも是非参列して頂きたいと願っているのですが」
「引き留めておいて待たせるなんて、甲斐性がなくてごめんなさいねナナコさん。それなりに用立ててあげないと可哀相よ」
 戸惑う間に外堀が埋められていく。いや告白は私からで逆に迷惑ばっかかけてたのにそこは隠すとは配慮の利いた男だな、さすがオシュトルと、脳内で問答する間にオシュトルに部が悪い流れになってしまった。慌てて私は仲裁に入る。
「お、オシュトル様は頑張ってくれてます。可哀相どころか私毎日幸せです」
「ナナコ殿……」
「オシュトル……」
「今日は随分殊勝だな。こんなに緊張する其方を見るのは久しぶりだ」
 なんでそこで要らんこと言うかな!空気を読んで見つめ合ったままで終わらせて欲しかった!脳内の文句は聞こえてないはずなのに、オシュトル母はまったくだと頬を膨らませた。
「もうこの子は。要らないことを言ってお嫁様を怒らせてどうするの、実家に帰られて泣きを見るのは貴方の方なんだから。からかうのが楽しいのでしょうけれど、言っていい時とそう出ないときぐらい弁(わきま)えなさいな。
 ……ごめんなさいねナナコさん、代わりに謝るわ。この子は小さいときからお役目しか頭になくて人の機微に疎いのよ。大変だったでしょう?仕事一辺倒で苦労してるんじゃないかしら?」
「苦労だなんて、よくしてくれてます。私の方が助けられています」
「良く出来た子だわ。息子の嫁なのが勿体ないぐらい。孫が見えるのもそう遠くなさそうね。楽しみだわ!」
 はああ!息子の嫁が勿体ないぐらい良く出来た子って褒められた。いいお姑さんだわと照れマックスで舞い上がる私だけどオシュトルは全く逆の感想を思ったようで、むっと口を挽き結び態度を改めて頂きたいと眉根を寄せる。
「母上、要らぬことを言うのは辞めて下さい。夫婦の問題です。上から目線で口を出さぬようお願い致す」
「まあ一端の口を利いて!口答えする甲斐性もないくせによく言えた物だわ」
 う、売り言葉に買い言葉や。どうどうと私は向かい合う二人に冷静になってと呼びかける。
「と、トリコリさん、オシュトル様も喧嘩は良くないですよ」
 だというのにさすが親子似たもの通し。
「オシュトルでよい、様は普段付けぬだろう」
「気を遣っていることぐらい読み取りなさいな。だから貴方は人の心がわからないのよ」
 きっと二眉の目で射すくめられては一溜まりもなくひっと萎縮して身を縮こまらせた。返す刃でついでとばかりにオシュトルに何故か牽制するトリコリさんの言葉がキレ過ぎで正直怖い。
「何故母上は嫁御の前で某を貶めるのか……」
「苦言を指摘できるのなんて身内ぐらいよ。お嫁さんの前なんだから聞き流す度量ぐらい見せなさいな。
 ……ナナコさん、初めが肝心なのよ。嫌なものは嫌と言わないとわからないのが男という者よ。
 ちゃんと、したいことしたくないことは言っておきなさい。夫婦といえど遠慮は無用よ、少しでも身を引けばどこまでもつけあがるのが男って生き物なの。覚えておきなさいね」
「母上……某は人の優しさに付けあがる性分ではございませぬ。これ以上ないほど配慮し遇しているつもりです。誠意には誠意を。ナナコ殿も嫌ならば口にするはず、今までこの者から一度として否定の言葉を聞き及んでおりませぬ」
 う、嘘ばっかり――――っ!指摘するの耐えた私偉いぞ!
「どうだか?身分差から言えないのをそう勘違いしているだけかも知れないじゃない?
 女なんて男の一腕で御せるもの、なまじ貴方は強く民からの評価も上々そうだし。反抗しようなんて思えない程高い位も頂いていますものね。対等でありたいなら相応な態度で挑まねば人は応えないわ」
「無論そのつもりです。妻が臆(おく)せず暮らせるよう丁重に扱っておりますとも」
「それで敵を御せず祝言もあげられず、こうしてこそこそ尋ねてきて丁重に扱っているとのたまうなんて片腹痛いわよ」
「……」
 うわ〜、うわ〜!なんだこの険悪な雰囲気。原作で里帰りできないまま死に別れたからせめて近くに寄ったときぐらい親と顔合わせさせててあげたいな、あわよくば嫁と認識してもらって目指せエンナカムイで一族揃って隠居生活!なんて夢見てたけど、とても口を挟める雰囲気じゃない。
 なんとか、オシュトル様は本当に良くしてくれてましたよ、無体を強いられたことも一度もないですよと訴えてみるけれど、ここに来るまで嫌といって受け入れてもらったことあったっけ?と思い返せば我が事ながら説得力に掛ける方便だ。トリコリさんも、でもそれは関係ないからねと流されてはこうして居たたまれない雰囲気に甘んじているわけでして。
 御母堂の追撃は容赦なく続く。
「敵がどうのと喚いているけれど抜け道があることぐらい貴方なら承知でしょう?式も挙げないくせに連れ添ってくれる人なんて早々いないのだから大事にしなさいと言いつけるのは当然じゃないの。私に口答えするのはいいけれどもっと強く言わないとわからない人もいるのだから、姑が出しゃばるなときちんと言いきらないと守れないわよ」
 ひええ〜、ひええ〜!なんで親子二人で私の扱いで喧嘩してんの。誰か止めて〜。
「もう言っておりまする。対策も取りました。損なわれることがないようさる名家にご協力頂き、養女にして後ろ盾を得てから娶りましたとも」
「あらそうなの、そこはちゃんと考えていたのね。ならいいわ、でもそれなら私はナナコさんじゃなくてナナコ様とお呼びした方がいいのかしら?だって名家のお嬢様でしょう?格で言えば当家の方が下だものね」
 やっと落ち着いてきた話の流れに私は飛び上がって食いついた。
「ナナコで結構です!下だなんてとんでもない!格で言えば私の方が下(げ)の下、市井の者ですし連れ合うのも本来はご無理と言うに無理を言って連れ添ってもらった身なのです。オシュトル様は何も悪くは」
「日陰のみでいさせる気だったの!?酷い息子だこと、ご両親が知れば悲しまれるでしょうによくもそんな真似が出来たわね。よもや御身内ともこれきりなんて考えていたら、母は承知しませんよ」
 口が滑った〜〜!!揚げ足取られてごめんオシュトル〜!脳内で謝る私だが、オシュトルも色々うんざりしてきたんだろう、額に手を当て降ろすと話を聞いてくれと口を挟む。
「ですから、養女にしてから娶ったのではありませんか。近しい者と関係を絶たせる無体も考えておりませぬ。元より日陰でいさせる気も皆無です……なので、話を聞いて下さい母上。舞い上がるのは結構ですが、ちゃんと我らの話を聞いてから応えて下され」
「あらそうだったの。ごめんなさいねのぼせ上がっちゃって。だって妹さんをお連れしてるのに私を立てるようなことばかり言うのですもの」
 え……?矛を収めほっとするも何の気無しな零された言葉に場がしんと静まりかえる。
「……妹?」
 オシュトルが私を見るが当然そんなものはいない。懐に隠し持つ筒に手をやっても冷たい感触に触れるだけだ。言葉を告げられない私達に何でもないようにトリコリさんがほらと指で指し示す。
「ナナコさんの後ろ、隠れるようにぎゅっとしているでしょう。お姉ちゃんこなのね、一生懸命袖を引いてくっついてるわ。ネコネの小さい時を思い出すわね、ふふっ照れちゃって可愛い。
 オシュトル、妹さんをお連れするならちゃんと言ってくれないと。茶菓子も出さない姑と誹(そし)られるのは私なのよ。今度は事前に……ナナコさん、どうしたの?」
 指さした箇所には誰も居なかった。たまらず袖で顔を覆い俯く私にトリコリさんが首を傾げる。彼女は病気で視力を失いつつあるから代わりに培った能力hsあるのかもしれない。
「……母上、少し話が。ナナコ殿」
 席を立ち母に手を差し伸べるがトリコリさんは私が気になるのか、でもと席を外すのを躊躇っていた。
「いいの、大丈夫。私は大丈夫だから。トリコリさん」
「なあに?」
「ありがとう」
 はからずも妹の様子を教えてもらうのは二度目だ。双子には今も見えているのだろうか。私達が同席しては驚かれるからと辞した二人は家の外で今も待ってくれている。
 涙声で声を掛けてしまったが気を遣ってくれたんだろう。どういたしましてと微笑みオシュトルに促されトリコリさんは別室へと移った。襖が閉められたのを見て膝を崩し、懐に抱える妹を抱き込み零れる嗚咽を堪えようと目を閉じた。見えなくても感じ取れなくてもいつもそこにある。今はそれでいい。

 しばらくして二人は戻ってきた。何らかの話をしたのだろう、柔和な微笑みを浮かべ席を外した非礼を詫びてトリコリさんが先ほどと同じ場所に腰を下ろす。
「ごめんなさいね、妙なことを言って」
 多少落ち着いたのもあり、私もいえと言葉を濁す。
「ありがとうねナナコさん、この堅物と夫婦になってくれて」
 礼を言うのはこちらの方だ。とんでもないですと頭を下げたところで今後どうするかを聞かれた。
 嫁いだならどこを住まいとするのか、里か夫に同伴するのか、敵が多いと聞くが守る自信があるのか。よどみなくオシュトルは応えていく。このまま邸に連れ帰り共に共に住む、政敵からも守れるよう最善を尽くすと結び母上は此度の縁組みに何か異論があるのなら今言って欲しい、女性でないとわからないことも多いでしょうしと話を振る。振られたトリコリさんは苦笑して堅物過ぎて窮屈なのが心配なだけよと微笑んでくれた。
「ナナコさん、私のことを急に母と呼ぶのは抵抗があるでしょう?気が向いた時にでいいから呼んでくれると嬉しいわ。どうぞよろしく、頭が固くて意固地で融通が利かない息子だけど、どうか見捨てず連れ添って頂戴ね。今後とも良き縁を結べるようお頼み致します」
 手をつき頭を下げられて、私も慌てて彼女に習い手を着いた。
「とんでもないです!誠実で男前でむしろ私の方が釣り合わないのに、許してくれて嬉しいです。こちらこそ良き縁を結ばせて頂き感無量、本当に本当にありがとうございます!私、色々と急で驚いてますけどトリコリさんをお母様と呼べて嬉しく思ってますから」
「あら、もう呼んでくれるの?」
 おおう、早計だったか!?
「ふふ、娘がもう一人できたみたいで嬉しいわね。よろしくナナコさん、何かあったらすぐに文でも何でも連絡を頂戴。しばき倒し、には行けないけど愚痴なら幾らでも聞くし、なんなら駆け込む実家代わりに使ってもらっても構いませんからね」
「お、お母様……」
 それは、さすがにどうかと。ほらオシュトルさん額に手あてて項垂れてるよ。
「某を庇っては下さりませぬか」
「こういう時弱いのは女なのよ。姑の元に逃げ出すほど辛い目に遭わせたとまずは反省すべきじゃないかしら」
 母は強し。これ以上文句を言っても通じないと判断したのか、オシュトルはだんまりを決め込んだ。トリコリさんは大張り切りで出会いはどこか尋ね当たり障りのない解答でお茶を濁すと、子供の頃のオシュトルはこうだったと自慢や失敗談を喜々として語ってくれた。

 しばらく話し込み頃合いと踏んだのだろう、問題なければ無口に徹していたオシュ
トルだったがそろそろお暇致したくと席を立つ。泊まっていけばいいのにと不満げなトリコリさんだが、妻は病弱で都の主治医に動ける状態の間にお見せしたいのですと話したところすぐに了承してくれた。嘘をついてごめんなさい。
 少し待っていてとトリコリさんが席を立っち、しばらくして手に色とりどりの綺麗な装飾品をつめた小箱、着物まで携えて戻ってきた。
「私が若い頃使っていた物なの。もう使わないからしまい込んでいたけれど貴方にあげるわ」
「こんな高価な物、私には……」
 値段どうこうの問題じゃない。トリコリさんが手にした品は彼女の大事な思い出が山と積もっている。大切な品を挨拶に来ただけの女が頂いて良いはずがない。順番から数えると適任はネコネちゃんだろうに。
「必要なければ捨てても良いわ。せめてもの形見分けにもらって頂戴。
 ……あら、なあにそんな驚いた顔をして。馬鹿ねえ、すぐに死ぬわけないでしょう。悪化だってしてないわ。オシュトルはどうせお役目で忙しいでしょうしナナコさん一人こちらによこすわけにも行かないでしょう?会えるときに渡しておきたかった、それだけよ」
 戸惑う私に貰ってやってくれとしんみりオシュトルが囁く。
 ネコネが成人になるのはまだ先だ、もしもを考えたのだろう。要らなければ見えないところで捨ててくれても構わないとまで言われたら、貰わない方が不義理だ。
 ならば有り難く頂きますと受け取り、渡された着物の白地にはっとしてトリコリさんを見ればこの着物を着て輿入れしたのだと懐かしそうに微笑んでいた。貰うだけ貰いさようなら、というのも失礼だ。調子に乗っていると思わないでもないけれど、なんとも言えない表情でこちらを見ていたオシュトルに貰った小箱を預かって貰い白無垢に袖を通す。
 裾が地面に付かぬよう気をつけながら襟元をただし胸を張ると二人は目を細め、綺麗ね懐かしいわとはトリコリさんの弁、オシュトルも本当に綺麗だと瞳を滲ませてなんだか苦しげだ。
 いずれその日が来たら使わせて頂きますと頭を下げてもう一度礼を言い、私達はオシュトルの生家を出た。

 元気でねナナコさん。見送るトリコリさんに手を振り、途中合流した双子を背に道を行く。
 白無垢は着たままだ。目立つだろうにエンナカムイを出るまででいいからそのままで、とオシュトルに言い含められ花嫁衣装を着付けたまま私は手を引かれ往来を歩いている。馬は村の入り口の門衛に預けているので私は目的を遂げるまで羞恥に耐えるしかなかった。
 恥ずかしい、恥ずかしいがオシュトルの頼みなら断れないから我慢してしずしず彼に手を引かれ歩いている。
 オシュトルはトリコリさんが見えなくなると髪を掻きむしり髭を付けたので、方や風来坊そして花嫁、後ろには足先まで外套を被った二対の従者というトンちきりんな一行に農作業に従事している人々は気になるのかちらちら視線をよこしていた。
 花嫁さん?と追ってきた子供達が無邪気に聞く。
 駆け落ちでもしてるの?の言葉にこれから俺んちまで案内するんだとはウコンの弁。おめでとう!とはしゃぐ子供の声に、方々でおめでとうなお姉さん、大事にしろよ、と様子をうかがっていた大人達が囃(はや)し立てた。ウコンはそれに勿論だと拳を上げて応じるものだから、観衆が祝儀だと嬉しげに農作物を持ってくる。礼を言い冷やかされ肩をウコンは叩かれる。誰もこの人がオシュトルだと気づく素振りはない。
 群衆にからかわれながら、彼は原作通り聖上にお仕えする気持ち一本で生きてきた人なんだなと思い返した。
 故郷にいても親しく声を掛ける友もなく偽る彼に気づく者もいない。寂しさは感じる。でも哀れむ理由にはならない、オシュトルに失礼だ。
 支えねばと、嬢ちゃんと嬉しげに肩を抱く姿に強く思った。

 気のいい観衆が離れた折に尋ねる。
「ごめんウコン、もう一度寄り道していい?」
「嬢ちゃんは本当に寄り道が好きだな、どこに行く気だ」
「お父様が眠られているところ」
「……そう気を遣わずともよいのだぞ?」
 オシュトル出ちゃってるよ〜。引っ込めて引っ込めて!
「私がご挨拶したいだけ。これ以上はやっぱ不味い?」
 あ〜っと髪を掻きむしり何かを思案したのだろう。だが吹っ切るようにウコンは微笑み良いぜと手を引いてくれた。
「こっちだ、父も嫁御の訪問を喜ばれるだろう」
 良かった。脇道にそれる彼に続く。

 引かれるまま辿り着いたのは崖沿いの村外れだ。閑散とした墓地があった。立派な物は少なく簡素だが墓地自体相応に手入れされているのか荒れてはいない。あちこちに食料や花が供えられている。 
 こっちだと案内されて前にしたのは他と同じような小さな墓だ。仲の良い家庭だったんだろう、目が不自由ながらも奥さんのトリコリさんは手入れを怠っていないようで整えられた墓所だった。
 父上戻りました、今日は嫁御も一緒ですと手を合わせる彼に習い私も手を合わせる。急に思いたった物だから碌な言葉は浮かばなかったけど、とりあえず挨拶はできた、と思いたい。
「親父殿は立派な方だった。民のため帝のため駆けずり回って、定められた勤めを果たしてからも民に寄り添い苦楽を共にする立派な方だった。俺もそうありたいと思っている」
 ぽつりと呟く言葉に私は頷く。
「貴方もそうあれているよ」
「そうだといいんだがな……」
 納得のいかない風情の彼に寄り添う。私は彼らみたいに理想に生きる気概はないけれど支えたいという気持ちはある。そう言葉にすればありがてえなとオシュトルは呟きしばらく無言で墓の前に立っていた。
 ふいに歌っちゃくれねえかとウコンが呟く。私の歌を父君にも聞かせたいらしい。下手くそやぞ。相応しくない曲しか歌えないよと怖々確認すれば嬢ちゃんの歌を俺が聞きたくなったんだ俺のために歌ってくれ、とまで言われれば歌うしかなく、知ってる曲の中で場違いでないものを選び歌った。
 だんまりで聞き入っていたウコンだが終わると感想を淡々と語ってくれる。
「寂しい歌は苦手だが嬢ちゃんの歌はいいな、心に染みるわ」
 心に染み入りたい気分だったのか。お役に立てたなら何よりだわ。もう脱いでいい?と聞けばせめて墓地から出てなと苦笑された。花嫁衣装をせっかくだから親父さんにも見せたかったらしい。満足してもらえて何よりです。

 結局花嫁衣装はエンナカムイを出ても来ていた。夕刻になり見つけた野営地で天幕を張ったところでようやくお許しが出て重い着物を袖から降ろす。とたんに背にのし掛かる不埒な男に着物が汚れると文句を付けるが、脱いだから良いだろと抱き込まれた。双子は外だ。妙に勘が良いから今日もきっと空気を読んでそっとしてくれるに違いない。
 

「今日は色々ありがとな」
 ウコンの腕を枕にうつらうつらしているとお礼が振ってきた。暗い室内、まだ夜は明けてない。毛皮で塞いだ入り口からは見張りを買ってくれる双子が灯した薪の色がうっすらと覗いている。
 寝ぼけ眼で声の主を見れば優しげな眼差しとかち合い、何年も仕事を理由に帰れていなかったのだと秘め事のように教えてくれた。いつか帰ろうと先延ばしするうちに一年が経ち二年が経ち、都に上って帰れたのは今日が初めてだったという。
「あんな嬉しそうなお袋を見たのは久々だ、親父殿の墓参りも出来て夢みたいだ、ナナコが会いたいと行ってくれなきゃいつも通り素通りだった。あんがとな」
 首を振り彼の胸元に顔を埋めた。オシュトルが了承しなければ紡(つむ)げない縁だった、礼を言うのはこちらの方だ。
 オシュトルは言う、いつか嬢ちゃんの故郷にも行こうなと。
 ……返事はしなかった。トゥスクルに赴(赴)きながらも故郷を尋ねなかったのはもうすでに潰(つい)えていると知っていたから。私は思う。今が大事だ、この人達と生きる今が私の至上なんだ。懐かしい過去に興味はない、いやあるにはあるが、懐かしさにかまけ今を失うのは二度とごめんだ。ハク、オシュトル全うさせてみせるとも。ああでもソレをなくしたら私はどうなるのだろう。
 いっそ気でも狂えと呟き何がだとウコンに尋ねられる。決まってる、無くしたらもう生きていたくなんかない。死ぬなオシュトル、死ぬなハク。身内を失うのはもうごめん。妹のような人生は。いいや違うな、死なせないさ何があろうとも。貴方たちは人の生を全うするんだ。誰にも邪魔されずハク、オシュトル、生きてくれ、何もない穏やかで平凡な生を全うするためさあ檻に……私は相当狂っている。

 眠気からとっちらかる思考に何を呟いたかわからない。嬢ちゃん泣くな、拭(ぬぐ)われる頬に手をやり触れる手を握る。触れられると辛いの避けられるともっと辛くなる。
「あなたは生きてるよね?私もちゃんと生きてるか確かめたい。ね、ギュッてして?」
 心配げな面持ちの瞳の奥が燃えた気がした。杞憂を晴らそうとしたのだろう、裸で覆い被さる男の首に手をやり侵入する楔に甘えて一時の夢に縋った。



前へ うたわれ夢小説 次へ




- 14 -

#prev_前##next_次#



風と行く