13話 養子と縁組
馬を使い街道を行く。常春のトゥスクルと違いクジュウリは中々の豪雪地帯で思ったよりも進みが遅い。
体調が徐々に悪くなる私を心配して休みつつの旅程をウコンは提案したが私は急かした。ゆっくりするほど聖廟への帰還が遅れるしオシュトルの仕事が溜まるから。戻らない限り私の体調は悪化するばかりだと急かしたためかウコンは折れて急いでくれたので予定通りの日程で目的地へと到達した。
取り立ててみる所がない田舎ですがと以前ルルティエが語った姿を思い出す。謙(へりくだ)る割に自慢の故郷なのか、風光明媚で落ち着いた所ですよと照れながら語る様は憶測通り謙遜だったようで、丘から見下ろした景色は牧歌的ながら荘厳だ。雪に覆われた景色が太陽に照らされる様はとても美しかった。
へばる私を見かねて背負ってくれたり馬に乗せたりと甲斐甲斐しく世話をしてくれたウコンには頭が下がるばかりだ。彼の頑張りに報いるためにも出来るだけ迷惑を掛けないよう粛々従わねばと、右近衛大将の特使だと告げていつのまにか認めた書を門番に渡し内容を検められ城門を潜ったときも確かにそう思っていたんだ。
「清濁併せのむも必定、オーゼン殿はルルティエ様を帝都に送る際事情を明かしているからこの姿でも不興は買わぬ、心配せずとも良い」と、控えの間で付け髭を取り髪を整えて仮面を被った男が微笑むから確かに大丈夫なんだろうと頷いたけど、私は着の身着のままで化粧もしてない。
せめて身形を整えてくれば良かったと深く考えず後悔する私に、見かねたのか、控える女官の方々から「宜しければ皇に拝謁するのに相応しい衣装をお見立てしましょうか」と声がかけられた。
私か身に着ける着物はオシュトルが用意してくれたもので、けして見劣りする品じゃない。むっとする気持ちが表情に出たのか女官は急いで、着物が見劣りしているから申したのではありませんと頭を下げた。どうするかオシュトルの意見を聞こうと視線をやるも当人がそれは重畳と歓迎する姿勢を見せる。苛立つ気持ちに喝をして自分に言い聞かせた。着物が薄汚れているとの指摘じゃない、多分華やかにしてあげよう的な好意だろうと解釈して、それなら御言葉に甘えさせていただきますと私は頭を下げて女官さん達の方に向かった。
白い衣装を着せられた。何故だ。
苦しい重いと訴える言葉は、ずれてはなりませぬので着つけが終わるまで口をお閉じ下さいと言い捨てられ彼女たちが納得し離れたところで溜息とともに転び出る。
もしやこれ白無垢ではと着せられる意図が分からない衣装に青ざめるが、身の潔白をあらわす衣装にございますと懇々説明されれば客人という手前他のがいいとは口にできない。
某も相応しい衣装に着替えようと衝立の向こうに行ったオシュトルはバッチリ右近衛大将の衣装を身に着け姿を現した。髭とるだけじゃダメなのか、徹底してるなぁ、でもルルティエちゃん迎えに行ったときこの姿で送り迎えしてたよね? 謁見の間で顔合わせたときも一々着替えてたの? 大変だなあと考え込む私を見てオシュトルは目を細める。
かち合う視線に仮面付けてない素顔のオシュトルは珍しいなあ格好いいなあと見ほれていると、オシュトルはいい笑顔で「このような席で花嫁衣裳を貸し付ける者はおらぬよ」と窘めてきた。反論する材料もないのでそうなんだと私は退く。退くのだが何故かオシュトルはじっとこっちを見てニコニコ顔だ。
視線に照れを覚え、どうしたの? と聞けば嬉しいのだと返されて何がと尋ねると、まあ小っ恥ずかしい答えが返ってきた。
「ナナコも望んでくれていたとは、正直思わなんだ」
……内々でいいって言いまくってたから、もしかして諦めさせちゃいましたかね? 結婚式望んでないと思われたかな?遠慮させてたなら申し訳ないと内省し私は意見を訂正するために口を開く。
「そりゃ望みはするでしょ。しない方がいいと分かっても私でも夢ぐらい見ますって」
「婚礼の儀はいずれ執り行おう。其方に似合う衣装をたんと見繕い盛大な式を上げようではないか」
「いいからっ、派手で目立つの嫌いだから控えめで十分だし」
控えめでいいと言うのにオシュトルの耳にはあまり届いていないようだ。
「それまで今しばらく我慢させるが申し訳なく」
「だからしなくていいって言ってるのに。いいよ、待てるから謝らなくていいって」
謝罪の言葉に私は慌てて、女官さん達の前だし内々の話は後にしよう、今はぴしっとすべきじゃないですか? と注意すると、某は常に真剣であると言葉が返る。真剣過ぎて困るんだって。そういう所が好きなんだけどさ。
「気負わずともよい、ただ話をするだけだ。其方はそのままでよい、すぐに終わる」
宥める言葉に緊張する自分を自覚する。狼狽えるのも失礼だと私は思い直し、後は待機する部屋で椅子に腰かけ静かに呼ばれるのを待っていた。ウコンからオシュトルに正したこの人が言うのだから大丈夫だ、そう確信していたのだけれど……
「それでは新たな一族の門出を祝し固めの杯を取り交わしましょうぞ」
何が、どうしてこうなった。
玉座に通され挨拶もそこそこに、めちゃデカい貫禄あるお爺さんにこの者がですかと狼狽える私を見て、ではと案内されたのは執務室。そこにいたご長男も簡単な挨拶と口上を述べ、そちら様が?と尋ねるのでナナコです、オシュトル様のお供ですとだけ返し促された席に着く。女官が入室し遅めの昼食?と首を傾げ置かれたのはどう見ても祝い膳だ。
そしてこの顛末である。誰だ一族、どうして私たちが、そしてオシュトルは何故涼しい顔で杯を掲げている。
「ナナコ殿なぜ杯を掲げぬのだ?今日は祝いの席だ、失礼のないよう其方も一献傾けねば」
説明。誰か説明を!双子は違う席に案内されて不在だし、てか断れよな。鎖の巫女をオンヴィタイカヤンから離して良いの?……いいよな、だって私身分明かしてない一般人だし下賜された主様でもないんだもん。あ〜あ〜、どうしよう。
狼狽える私を何か勘違いなさったのか、気に病まれずとも良いと斜め向かいに座すクジュウリ皇オーゼン様がいかめしい顔をほころばせてとうとうと語ってくれた。
「身分不相応だと思うなら気にする必要はありませんぞ、オシュトル殿にはヤマトの安寧から端々までルルティエ共々世話になっている身。オシュトル様たっての望みでそちら様を養女に迎え嫁がせる話を断る謂われはありませぬ。ご迷惑をかけると遠慮されるならそれも無用、今ここで嫁ぐ故に我ら一族に後顧の憂いはありませぬよ」
わ〜初耳、びっくりしすぎて声も出な〜い……嫁がせるって嫁がせるってアンタ、いつその案考案して実行に移そうと、今か。
「ご協力、かたじけなく」
とんでもない状況に混乱する私を置き去りに平静と隣で皇と相対するオシュトルが頭を下げた。尻尾引っ張ってやろうかな、見えないからしないし見てもしないけど。
「ご謙遜なされる必要はありませぬ。こちらとしても誉れ高きオシュトル殿と遠戚を結べるのは望外の喜び。これを機に名ばかりとは言わず是非固い付き合いを致したい所存です」
「お気持ち、有り難く」
ですが某は若輩のみ故お付き合いは相応しき男となって後にお願い致すと、まあ堅物を絵に描いた返答をされては誇示するのも遠慮があるのかご長男ヤシュマ様は残念そうに引き下がられた。
「では、我らの行く末が幸多きものであることを願って」
乾杯の拍子が三度。掲げて打ちはしたものの飲み干すには遠慮があった。
何か気になることでも?とオシュトルが視線で問いかける。先を憂うなら確かに彼らと手を組むのは悪手ではない、オーゼン殿は長く皇位に付き荒れ地を開墾した功績から八柱の位を授かった方だ、帝の信頼も厚く宮中にも顔が利く、だから手を組んだのだろうと私は脳内で推測を立てる。
だが利にもならないんじゃないか?クジュウリはヤマトから片道だけで馬を飛ばしどんなに急いでも十日以上かかる遠方の地だ。エンナカムイより遠くヤマトの有事にすぐ駆けつけられる方ではない。だから、逆に手を組んだのかもと憶測を立て、胸に生じる苦い思いから器を握る手に力がこもった。
横で微笑む男は安易に人を頼る奴じゃない。半年にも満たない付き合いだが常に見ているとなんとなく分かってくる物がある。私の訓練に付き合いはしても、基本彼は一人でこなすのを好む人だ。雑事の手伝いはしてもこうなる状況をおくびにも出さなかった。ハクを頼ったのは例外も例外だろう。
オシュトルとウコンの二重生活はそれなりに負担が多いだろうに、原作では公私ともに仕事漬けのワーカホリックが彼だ。おそらくこれからも、いよいよ切羽詰まらない限りウコンを止める気などないだろうし生活を検めようとも思わない、何事でも我が毎として抱え込む理解しがたい人物だ。
その彼が誰かに頼った。ハクのような後ろ盾もない身元不明の誰かではなく、オシュトルとして公式の要請を身分ある方に頼った。それは、相当に危ない橋だと思うし彼もわかっているだろうに何故。
揺れる酒に不安げな顔が写る。沈黙は逆に失礼だ。だからどうしてと私は尋ねる。
「私は、聞いてないんだよ」
戸惑うのをわかっていただろうに涼しげにオシュトルは微笑むだけだ。
「言わずにいたからな」
「こ、こんな、こんなんが養女とかオーゼン様達は本当によろしいのですか」
「儂の子は山とおるから構わん構わん。だがナナコ殿、こんなんと自分を卑下するものではないぞ。もうお主は儂の娘も同然、儂の様にど〜んと構えてだな」
「止めて下さい父上!ナナコ殿はお体が弱いと聞いたばかりではありませんか。どんと構えて風邪に倒れられれば迎えた我らの待遇が悪かったからだとどこで誹られるやら」
「お、おおそうか。そうだった。ルルティエからも随分体の弱い方がおられるとヤマトに向かう道中の文から伺っていたんだった。当時はよもやその方がオシュトル殿の奥方になられる方だとは思いも……ん?」
「ナナコ殿、如何した?どこか痛むところでも、薬師を誰ぞ」
「大丈夫、大丈夫ですからっ!どうぞお構いなく」
気に掛けて覚えて貰えたことが嬉しくて仕方ない、そして身分に始まり内情も明かせないのが申し訳なかった。自分が恥ずかしい。不安にさせてはいけないと、あたふた立ち上がるオーゼン父子に両手を顔から離し微笑むと良い風に解釈したのか安堵の息をつき二人は腰を下ろす。
何の懸念もない表情を確かめて、台に戻していた杯を再び取り一息に呷った。
……度数高っ!甘口で油断した。多分美味しいんだろうけどこれ飲みきるって至難の業だわ。
顔に出さないよう努めたけど、苦しいと察してくれたオシュトルがこれは儀式なので一口で構わぬよと囁いてくれたのを幸いに飲み干すのは諦めた。
めでたいめでたいと二人は嬉しそうだ。
私だって馬鹿じゃない。こんな機会はそうそうない。相手を想い身を退けるほど出来た人間でもない。せっかく場を設けてくれたんだ、遠慮なく乗っからせて貰おう。これからよろしくお願い致しますと手を着けばこれはご丁寧にと同じく頭を下げてくれた。
「まあすぐ嫁ぐ流れだからよろしくも何もないのじゃが」
「お父上それはあまりに情がないではありませんか。ナナコ殿、互いに思うところもありましょうが名目上でも我らは兄弟。名で呼んでもよいだろうか?もちろん俺のことも呼び捨ててくれてよい。兄でも兄者でも、できればお兄様がよいが」
オシュトルを見て頷かれたので失礼でないならと前置きしてお兄様?と声に出せば、うむと頷き嬉しそうには微笑まれる。妹はやはりこうでなければな、活発なのは否定しないが頼られるのは兄として嬉しいものだと得心されていた。姉最強過ぎて脇に追いやられがちだもんねヤシュマさん、原作知識からだけど妹馬鹿なのも知ってる。
色々大変だよねえなんて共感は胸の内に留めて置いた。
後は穏やかな歓談の時間だ。膳をつつき味の品評や作物の出来に話を広げ果ては各地の情勢はどうかなど様々な話題に男衆は盛り上がった。私は聞くに徹する。今は故郷の眺めが良いところに話が写ったようで、ナナコの故郷はどこだ。お気に入りの場所はあったかと、楽しみにとって置いた好物を味わう寸前で話が振られた。
浮かぶ解答は特にないです、どこにもそれなりに思い出がありましたから。故郷滅びてるし。駄目だ酔ってる。取り繕う解答すら思いつかない。なので、あまり記憶になくてと濁して置いた、嘘は言ってない。昔過ぎてはっきりしないだけだ。
「それなりに苦労してきたのだな」
何か思うところがあるのだろう、ふんふんと訳知り顔でヤシュマ様が頷く。オシュトルがオーゼン様を信頼し手の内をそれなりに明かしていたとしても、彼らは私の情報を多くは知らないはずだ。会話をきっかけに情報を引きずり出そうとしている?……疑い深いのは私の悪いくせだわ。心配げにこちらを見る視線に他意はない、少なくとも今はそう信じておこう。
何とはなしに苦労と言えるものではありません、オシュトル様がいましたし、助けとなってくれた方も大勢居たので今私がこうしていられるのはその方々のおかげです、と締めといた。ふふ〜ん、良解答♪只人でも誠意を尽くせば右近衛大将夫人に見合った人物に見えてこない?見えてこないか、なんかもう視線元に戻してうんうん頷きながらご飯食べてるし。
「そちらにはご兄弟がおられたとお聞きしたが遠慮はいらぬぞ。養女となったから縁を切れなど言いはせぬ。今後一切付き合うなだとか連絡を取るななどと非道を強制する気もない。我らはオシュトル殿と縁を繋げて嬉しいのだ。こちらを気遣う必要もない、どうぞ楽にご親族共々良好な関係を続けていかれよ」
……なんか頓珍漢な答えが返ってきた。最初の威厳はどこへやら、ひたすらめでたいめでたいと酒を呷っていたオーゼン様が酒を吹きだし(そっぽ向いて客に吹きかけるのは防いだ。さすが王族)、父上汚いですとしかめ面のご子息に顔を白黒させて素っ頓狂な声を上げる。
「ヤ、ヤシュマ、お前大事なことを忘れとるぞ!ナナコ殿のご兄弟はすでに没しとる、ご親族もだ。軽々しく口にするでないわっ」
「はっ、はあ!?俺は聞いておりませぬが?!」
「言うたじゃろうがっ!くれぐれも軽率に親族の話はするなと、慎重な話題だからやぶ蛇を出すなよと口を酸っぱくして説いたじゃろうが!」
「それだけで分かる訳ないでしょう!俺は精々何か事情があるのだと、そんな亡くなってるだなんて思いも……ああすまない、酷い話を振った。許してくれ、俺はやはり未熟者だ、姉を笑えぬ」
喧々囂々罵り合いを始めた二人だがすぐに我に返ってめっちゃ反省してるって顔親子共々拝んでくるものだから、毒気も抜かれてしまう。苦笑して大丈夫ですからと言葉を重ねた。正直色々ありすぎて感傷なんてどこかに吹っ飛んでいる。妹も、まあ懐に隠した妹のことは置いとこう。考えたところで辛くなるだけだから。
「慣れてますのでお気になさらず、賑やかなご家族ですね。少し羨ましいです。私は何分大人しかったものですから」
話を変えようと試みたところでオシュトルが其方が大人しい?と驚くので睨んでおいた。めっちゃ控えめだったよね私……うん、ごめん、オシュトルに対してだけは前のめりで控えめどころじゃなかった、狂ってるわ。微笑まれてむっとした感情も何処かに行ってただただ恥ずかしい。
視線を逸らしたのを機に数秒の沈黙が降りる。盛り上げようとしたのだろう、また男立ち通しでこういう席に通例なのかそれぞれの武勇伝込みの昔話が話題に上がるが、私に出来るのは合いの手ぐらいでなんとはなく消沈した雰囲気で食事は終わってしまった。
急いで食べたけど、皆と同時には行かず少し待たせてしまい申し訳ない。結局半分近く残してしまった。謝意を表明しご馳走様でしたと手を合わせれば食の細さに随分気の毒がられた。
「すまぬ」
女官が呼ばれ膳を下げられたところでオシュトルが突然謝り私は何事かとびっくりする。
「黙っていたことをやはり気にしているのだろう。だが其方は某の求婚に異を唱えられなかった。故に多少の無茶は大目に見て貰えると踏んだのだが、やはり意には沿えんだか…」
深刻な様子だけど何の話し?あ、求婚だっけ。意気消沈していると気を遣わせてしまったようだ。そんなことはないと声を掛けようとして、そういえばこうなった経緯やら真意やら聞いてないと今更の事実を思い出した。
「どうして?」
「何がであろうか、いやこの際だ。この状況を作った理由を問いたいのだろう?」
全力で頷く。
「貴方は今まで誰かを頼ろうとはしなかった。なのに、どうして会って間もない私をこんな手を使ってまで望んでくれたの?」
「好きだから、というのは理由にならぬか」
ちょっと弱いと思う。だって……
「貴方は下位に属するとはいえ貴族だよね。欲しいなら嫌が応でも囲える力がある。隙を作りたくないなら問答無用で浚えたし、立場を考えれば籍すら入れず日陰にいるよう強制もできたはずだよ、私は納得してたよね?」
なんでこんな危険冒してんの?名義上のお父上と兄君はオシュトル殿の誠意を疑うのはどうのこうのと騒がしいがこの際無視。オシュトルも申し訳ないのですが二人で話したいのでと口を挟み、また静寂が戻ってくる。ややあって、静かに視線を向けるオシュトルが口を開いた。
「聞いて貰えるか?」
聞きたいと頷けば、オシュトルは前を見据えぽつりぽつりと語った。
「見合いの話がクジュウリ出立前に来たのだ。大貴族の古い家柄で公私ともに誠実な、珍しく裏表のない方でな。良縁と、一般的には言うのだろう。親しくしている者からも年貢の納め時だぞとからかわれた」
「この職にいると言うのもあり、そういう類いの話は山とあった。何時死んでもおかしくない身故、残される者を思い極力断るようにしていたが、彼の御仁だけはどうにも難しい案件だった」
「断りたい気持ちが大半で、仕方ないとも思っていた。過去仮面の者を排出した家というのもあり某のお役目にも理解がある。いよいよ年貢の納め時かと構えているとき、其方に会ったのだ」
視線が、私に戻る。射貫くような眼差しに口を挟む暇もなくただ聞き入る。
「色の話は某には御法度だ。なにせ敵は海千山千どこで足下を掬われるかわからない。並の者が相手では当人だけでなく家毎飲まれる。避けてきたし選ぶことはまずないと思った」
「其方に口説かれ腹が立った。訳も知らず良くほざくと。そのうち」
「常に目が其方を追うようになりそれは自由に生きる其方が妬ましいのだろうと理由を付けた」
「体が弱いと知ってからは心配から目で追ってしまうのだと思い込んだ。追って追って、常に其方が誰かを目で追うのを知りやっと悟った」
私の両手が、彼の手で覆われる。
「渡したくない、好いているのだと。例え誰が相手でも傍にいるのは某でないと気が済まぬ」
「手を出さねば、早急に囲わねばいずこかへ其方は消える。例えそれが病だろうと誰かに取られたくもない。懸念は当たった。其方が邸から消えた後、残る術の気配からあの方の元へ行かれたのだと察して後悔した。よりにもよってあの方に属する方だったとは、これでは手の出しようもない。もっと早く何もかも打ち明ければ、最後ぐらい共にあれたのでは…と、心底嘆いた」
「其方が巫方と戻られたとき狂喜した。今際の際をお救いになり某に託したのは許されたからだと、少々思い上がることにした。戻られたとあらば囲い込む機会は幾らでもある。だが確証もなく其方を縛れる保証もない。欲しかった、ずっと傍にいられる保証が。そして迫る刻限を打ち破る手段を某は求めたのだ」
……えと、はい?
「見合いの話を我が身の不出来で断るには説得力がない。婚姻を結べば正室でなければ断ると見込んだが相手は大貴族、古く誠実だからこそ厄介だ。人柄に惚れたと釣書に認められては側女でも構わんと押しつけられただろう、相応の説得力がなければ周囲が納得しない」
つまり?
「其方は市井の者だ。それを厭いはしないし別れる理由とも思えなかった。だが其方の後ろに控える方を出すわけにはいかぬ」
視線がずれて見れば沈黙に徹していたオーゼン様が大きく頷いた。
「窮状をお聞きしましてな。好いた方がおられ危険に晒すのを迷われているとお聞きしそれならばとこちらから話を持ちかけたのですよ」
混乱する私を見かねて更なる助け船を出してくれた。
「オシュトル殿はヤマトにとって必要な方、悩みを晴らせるなら結構、儂の名を存分にお使いくださいと申し上げた次第です」
「ご協力かたじけなく、ご好意痛み入りまする」
……要約するとあれですか、断れない見合いが来て腹くくってたら私の登場で断りたくなって八柱将に頼んだと、ついでに嫁にも欲しいと動いたわけですね。
職権乱用!公私混同!ってのは、私が言わなくても重々承知している事だよねえ……悪手だよなあ確実に、それでも、それ程まで私を望んでくれただなんて、嬉しいって思うんだから私も人のこと言えないわ。両思いだから問題ないってことにしとくべきでしょうここは。
「ありがとう、選んでくれて」
なんとかそれだけ返し心から思う。妥協しないでされないで、本当に良かった。
それで今後どうするのと尋ねれば、決まっているとオシュトルが卓の茶器に手を伸ばした。
先ほど女官が持ってきて置いた盆から朱塗りの椀と茶器だろうか、湯飲みのような物を取り注ぎ口から透明な液体を椀に注ぐ。軽やかな香りに酒だと気づいた。
注いだ椀を両手で眼前に掲げ模様を確かめるようにオシュトルがゆっくり回す。鶴と亀が描かれた見事な一品だ。でもこれは一体なんの目的で使われる物なんだろう、祝いの品だと言うのはわかる。でも一つだけってどういう意味と視線をやれば蕩けそうな眼差しのオシュトルに心臓が止まりそうになった。
外せない視線の先で視線を手元に戻したオシュトル達ががつらつらと語る。
「美しいだろう、これは縁起物の杯だ。一般的に祝い事で扱われるが今回は此度のために用意して戴いた」
「何を入れるモノか娘は知らぬようだ。オシュトル殿、どうか講釈を願いたい」
「ナナコ殿、これは祝い酒だ。祝言で夫婦となる者が互いの杯から酒を酌み交わす」
「……」
ああ、この人は本当に。本当に私と夫婦になるつもりなんだ。
和やかな雰囲気に反し私は打ちのめされていた。だって私は事ここに及んでも私がどのような存在か明かしてもいないのだ。胸元を両手で握りしめる。何か言わなければならないのに喉元につっかえて出てこない。さっきの皆で飲んだ酒は一族に迎え入れる儀式的なアレか、今からがいよいよ本番というわけだ……妹よ、私に勇気をと語りかけたところで虫の良い自分の愚かさに打ちのめされた。今更姉面か。
ああ当惑しているうちにオシュトルがどんどん話を進めていく。
「呑めばもう戻れぬ。本来なら相応の場を設け席を整えるべきなのだが、時間も状況も足りなかった。晴れ着すら用意できぬ我が身を許せとは言えぬが、わかってほしい」
「許すも、何もないよ。私、嬉しく思ってるっ……驚きはしたけどこういう場に出ることはないと思ってたから」
「すまぬ」
私の動揺を知ってか知らずか、後ろめたさから放って置いたら米つきバッタにでもなりそうなオシュトルに頭を上げてと私は促すほかなかった。
なんとか流れを変えようと暖かく見守る周囲を見回して助けを乞う。
「……私は作法を知りません。どなたか流れを教えて頂けないでしょうか?」
「では某が。なに簡単だ、気負う必要はない」
うん、だよね。進むよね、そりゃあね。困惑する私を前に至極嬉しげにオシュトルがこうするんだよとでも言うようように手本を見せようと張り切った。
とりあえず私も姿勢を正す。
「呑む前にそれぞれの真意と誓いを述べる。大抵は決まった口上を述べて婚前の近いとするのだ。このように」
一息入れて、掲げた杯を見つめてオシュトルが抑揚の良い声で口上を述べる。
「某はナナコ殿を好いている、心底惚れ申した。若輩ながら身分不相応の籍に身を置いているが苦労をさせぬと誓えるほどこの身は大したものではなく、寂しがり屋の其方に構ってやれない日も多いだろう。むしろ寂しがらせてばかりやもしれぬ」
うん。
「豪華な食事も反物も望めばそれなりに揃えられるが貴族並みと胸を張れぬのが口惜しくもあり、精錬こそ我が誉れと意地を張れども懐事情は良くもないのが実情だ」
構わんよ、贅沢されても逆に肩身狭いし。庶民で結構ですわ、生きてるだけで丸儲けだし。食えない状況は泣くけどそうなったら働きに出ればいい話だ。溝さらいとか。
「守ろうにも己だけに其方を守る力はない。足場を固めようにも某に残された時間はあまりにも短かく、相手を想えばこそ手を出さず見守るのが最善と頭では理解していたが己を御せれず欲に屈した。オーゼン様方一族は長く國に仕え信もおける方、敵も少ない。事情を明かせば快く後ろ盾になって戴けると了解を得て、其方の許しなくこのような振る舞いに出てしまったその点に関しては断りなく薦めてしまい申し訳なかったと思っている」
本当にな、でもありがとよ!逆に結婚できる口実できて私は鼻高々超嬉しい。
「我が身は堅物と上流の方々は評されるが、一皮を剥けば欲にまみれた獣よ。舞も和歌も嗜まず教養とは無縁の男だ。何かあれば優先するのは國と民で求めたにも関わらず其方の扱いは二の次になるだろう」
構わんよ、てか口上長いな。
「だがそれでも、それでも某はナナコが欲しいのだ。傍にいて笑って欲しい。いや笑うのが無理でも家で待っていて欲しい。大事にする、叶う限り大事にする。妻にしたい、家族になりたい、白髪が交じろうとともに息災で、というのは舞い上がりすぎだとも某もわかっている」
いや本当口上長くない!?真剣に語るオシュトルから視線を逸らしてヤシュマさんを見れば苦笑いでこっち見てるし。ああ口上じゃないんだね、本当はもっと簡単なのね。三三九度や西洋式の誓いみたいに。どうりで。本音ダダ漏れさせてるだけだねこれ。
「以前離したとおり職務上死に別れる可能性も低くはなく懸念通りそうなるだろう。
辛い目に遭わせたくないが某のために泣いてくれれば嬉しい。いや勿論死ぬ気はない」
前にも聞いたぞその話し、なんで蒸し返した。あれか誓いだからか、これを機会に全部明かして囲い込もうって魂胆か。もう囲まれきってるけど、これ以上私を惚れさせんでくれ〜。後が辛い〜。
「妻はナナコ殿一人だ、他は要らぬ。叶うなら常世まで、共に」
……
オシュトルが杯を傾けてしばし静寂が落ちる。
「返答を、お聞かせ願いたい」
真剣な表情で空になった椀を私に差し出す。この後どうすればと戸惑っているとオーゼン様が置かれていた酒瓶を手に、オシュトルが持つ杯へ並々と注いでくれた。
もう一度私の前に寄せられた杯を前に一礼する。
「頂戴、致します」
断る理由も謂われも浮かばず怖々受け取るが、よっしゃ結婚しようぜ!なんて本能のまま浅はかに飲み干すのはどうにも気が引けて、綺麗な器を手にもじもじと言い訳じみた言葉で場を濁してしまった。ぶっちゃけ嬉しい、嬉しいんだけど。
「えと、多分今すごく求めらている、的なこと言われたと思うんだけど」
「間違いではない。それであっているな」
「正直どう言えば良いのか非常に困惑しているわけで」
「否か是か、簡潔でよい。いや、言葉にするのが難しければ何か態度で示してもらってもよい。頷くなり平手打ちなりどうとでも」
「さすがに平手打ちはどうかと」
ヤシュマさんの突っ込みに心の内で同意してまたもじもじ。三人とも我慢強くこちらがその気になるのを待ってくれているようで、誰も正しい口上を教える素振りも無い。こりゃ口上を頼りにしてもどうにもならないと腹をくくり、本心を明かしてくれたオシュトルに習い取り留めもない心情を吐露することにした。
「どう答えれば良いのか、わからないんだよね」
「私凡人だし、経歴は不確かで後ろ盾は何もない。体だって弱いし常識もない。
ないないずくしの半生を歩んでいる。学ぶし努力もするけれど生来不精者で貴方はソレを承知で望んでくれたと思うし気持ちはとても嬉しい。でも釣り合いが、何もないから足枷になるのが不安でさ」
「今取ったではないか。其方は名ばかりとは言えオーゼン殿の娘御となった。釣り合いは充分取れている、むしろ姫を頂戴致すのだ。某の方が不釣り合いだ。仮に詰られるとしても其方ではない、某だ。ナナコ殿が連れ添った後を心配する理由は消えたのだ。躊躇いはいらぬ、大国の姫を害する輩はさすがに宮中でも存在しない。
某は逆に嬉しい。詰られるのも陰口を叩かれるのも某だけなら気にならぬがナナコ殿が悪辣な者達に罵られるのは我慢ならぬ。八柱将の娘という立場は其方を守ってくれるだろう。ナナコ殿はゆるりと、なんの気負いもなく身一つで嫁げば良い」
打てば響くどころか何も心配要りませんというお手本のような答えに返す言葉もないわ。
こう言ってくれて非常に有り難いんだけど、なんの気負いもなく身一つでって出来るわけないんだよなあこれが。だって私は。
「あなたに何も明かしてないのに?」
「はて、何のことだ?」
「だって名前しかあなたは知らないじゃない。私に弟妹がいたこともこういう関係になってからやっと明かしたでしょう、それもあんな……」
騙し討ちも良いところだ。当人を前にしてやっと身内が化け物と明かしたんだ、誠実じゃない。公私ともに清廉潔白であろうとする彼の不興を買わなかったのが逆におかしい所だ。
「どうしてそうなったか私理由も明かしてないんだよ。どこから来てどういう種族か、何故聖上にだとか、鵜呑みにする方がどうかと思う。一度冷静になった方がいいんじゃない?」
「惚れたのだ。ナナコ殿とハク殿は信に足る方。理由はそれで充分だ」
クオンの名が無いのはそういうことかな。この短い期間にばっちし調べ上げたんだね。それか武人の感?というなら鈍ってると進言しとく。クオンに対する警戒は正しい。ハクに対しても大目には見よう。でも、気づけば懐に入り込む身元不明の人物なんて怪しむべきでしょう、怪しい点だらけだよ、それでいいのお偉いさん。おかげで私は助かったけど本来なら速攻遠ざけて然るべき相手なんだよ私とハクはさ。
なんて突っ込みを胸の内で重ねるけれど、嫌われたくなくて何も言えない。私は嫌な奴だ。好きな人を散々振り回して、いざ振り向いて貰えたら身の内も明かせず諦めも出来ず、堂々巡りを繰り返している。心底嫌な奴だった。
「……」
誠実な思い人を見ていられず、どうしようもない状況に現実逃避で逃れようとしても事態打開に光明は差さない。明かしたい、嫌われたくなくて明かしたくない。明かして不興を買えばどんな罰が。
堂々巡りの迷いにじれたのか、伺っていたオシュトルが催促の言葉を掛けてくる。
「否か是か答えて戴く。突然このような場を設けた非礼は詫びよう。だがこの機を逃せば某が自由に動ける機会はそうない、待てぬのだ。某に残された時間は短い。無粋は承知、保留はないうえでどうか返答をお聞かせ願いたい」
「……あってないじゃん選択肢」
「お分かりか」
分からないでか〜!!めっちゃ囲い込みに来て逃げ道塞ぎまくってるじゃん。断ればオシュトルだけでなく養子に迎えてくれたクジュウリ皇の面子も丸つぶれじゃんか。頷くしかないじゃん、でも私は……
中々口を開けず飲みもしない私にじれたのか、オシュトルが尚も言葉を重ねてきた。
「もし夫婦となった後の保護者殿達との付き合いを心配しているなら無用だ。妻となったから奥にいろなどとほざきはせぬ。其方は好きなように友と語らい過ごせば良い。危険でないなら何をしようと某は構わぬよ」
それって一人でぶらつくのは無しって言外に言ってるよね。危なくない場面って限られてるじゃん。もしかしなくても護衛付き?伴連れでないと外出るの駄目なの?駄目なんだろうなあ、実の妹を危ないからって他人の振りさせてるぐらいだもんね。心配掛けるぐらいなら一人歩きなくても良いけどさ。今までだって一人でうろうろなんてしてないし、まあ倒れて心配掛けてもと誰かが自主的にひっついてくれてたおかげなんだけど。でもねえ、一人歩きが駄目なのはいいけど隠密活動も駄目なのは辛いなあ。もっとハク達と一緒にいたい、オシュトルの役に立ちたいんだ。立てたこと一度もないけどな!
自嘲して、怖ず怖ず尋ねてみる。
「溝さらいもしていい?」
右近衛大将夫人に相応しくないって言わないよね?と見上げればオシュトルは苦笑い。オーゼン様方は溝浚いなど言語道断などと慌てふためきオシュトルが物の例えですから鵜呑みになさらずと諫めてようやく静かになった。向き直り眉を下げて困った奴だと言いたげにオシュトルが微笑む。
「危なくないなら某は構わぬが、少々驚いた。其方、溝さらいが趣味なのか?」
「趣味でもないし好きでもない。でもさせるつもりだったよね、こういう関係になる前はさ。てかさせてるよね、留守を預からせてる何処かの誰かさんがたに」
「何のことやら……?」
すっとぼけて微笑む顔にああさせてるんだなあと察して遠いハクを思う。今日も昨日もその前も、ハクはきっと働きたくないとぼやいているんだろうか。遠いなあ、遠いけどきっとあの人は亜人よりも私に近い人だった。
長い溜息をつき杯を卓に置く。瞬時に張り詰めた空気に飲まないわけじゃないんですと言い訳をして自然と握っていた拳に視線を落とす。
「貴方のことは大好き、連れ添いたいしずっと一緒にいたいとも思っている。家族にだってなりたいと……身分不相応を承知でずっと願ってた」
「ではナナコ殿っ」
「最後まで聞いて!それからもう一度望むのか考えて欲しいんだ……私は、自分がよく分からないのよ」
手を見れば、褥で白魚の手だと褒めそやされ撫でられた感触を思い出す。やつれた頃は爛れる肌を綺麗だと摩られた。哀れみが痛かった、褒められて逆に住む世界の隔たりを感じた。少しでも体力をつけねばと鍛えても、固くなった肌に上達したなと荒れた肌を両の手で包まれても違和感が消えることはなかった。来た当初は感じなかった違和感が日が経つにつれて強くなり思い知る過程が脳裏をよぎる。
行き倒れを気の毒にと埋葬する群衆を通りで見て気負わず手伝う、どこに嫁ぎたいかで盛り上がる少女達の話題を温かい目で見守る、乱暴狼藉を働く者はとっちめて検非違使に突き出し、襲われれば迷いなく返り討ち、酷いときだと切って捨てて平然としている。住む世界が私と彼ではあまりに違うんだ。それでも離れる気は起きないんだから私も相当重傷だ。
私は語る。自分でも何を求めてるかわからぬまま、誠実に報いねばと言葉を尽くす。
「嘘だらけなんだ。なにせ自分自身、どんな立場かわからないし証しを立てる確たるモノがない。だから、どう動いて振る舞うべきが相応しいのか、さっぱり見当が着かなくて困っている」
……駄目だ。第三者の目が気になって肝心な点を話せない。見守る二人に視線を向けて無礼を承知で声を掛けた。
「オーゼン様、ご長男殿、少しの間で良いので席を外して戴けますか」
二人は訝しげにこちらに視線をやり何故とオーゼン様が尋ねてくる。
「理由をお聞かせ願いたい」
疑問も当然だ。頼まれて祝いの場を用意した主賓を会場から叩き出すになど言語道断だ。オシュトルにも少し緊張が走ったのか気配が険しい物に変わるが私も退くわけにはいかない、姿勢を正し退席を願った理由を説いた。
「貴方方が意味なく吹聴される方でないのは知っています、ですが人の戸口に口は立てられません。誰ぞ聞き耳を立てているやもしれない。広まれば貴方方にご迷惑がかかるやもしれない話をオシュトル様に打ち明けたいのです。只人を身内に招く以上の危険があるやもしれません。私の杞憂ならそれに超したことはありませんが、何分この身はあやふやで私の言動がどう大局に影響を与えるかも計りかねています。狂人の戯言と一笑に伏せれるならそれも良し、ですが万一漏れでもして帝都で預かっているご息女に危険があってはなりません。どうかしばしご退室をお願い致したく」
「ナナコ殿、それは些か無礼が過ぎるというもの。お二人は誠実で口も固い、なぜこうも躊躇われる。其方の言うようにあけすけと吹聴する方ではないのだから明かしても構わぬではないか?」
「……」
オシュトルの要請にも反応を返さず黙り込むのが気に障ったのか、憮然とした顔でヤシュマ殿が腕を組み睨み付けてきた。めっちゃ怖い。
「無礼を承知なのが尚悪いわ。いいか、オシュトル殿たっての頼みだからどことも知れぬ者を一族に迎える詭弁に乗ったのだ。父上は本来市井の者が言葉を交わせる立場ではないのだぞ」
「ヤシュマやめよ」
「しかし父上っ」
「妹だ。どことも知れぬ者ではない。ルルティエの文を忘れたか、礼儀正しくこちらのことをよく考えて動いてくれる誠実な方だと結ばれていたではないか。末姫の姉を疑うならルルティエを疑うことと同義だとなぜ分からん」
「……無礼がすぎました、重ねてお詫び申し上げます」
両手を膝に揃えて頭を下げる。うん、話しづらいからって退席願うのは失礼すぎたよね。やっぱ二人がいる場で言うのが定石かな、それならいっそ黙秘しとこうか、でもバレた時が怖いしなあと迷う私に気を利かせてくれたのだろう、オーゼン様が席を立った。
「娘が思い人と二人きりで杯を交わしたいと言うのだ。このオーゼン、愛娘の我が儘を見咎めるほど狭量でもない。しばし席を外そう。オシュトル殿、しばし失礼致す」
有り難いっ!
「ご好意、痛み入りまする」
オシュトルも頭を下げてくれた。ありがとね!ヤシュマさんはめっちゃ不満そうだけど!
「父上、我らが同席せねば誰が此度の証人になるというのです」
抗議の声にそれもそうか〜でも口裏さえ会わせりゃいんじゃない?なんて感想が浮かぶのは単に私が不実だからかだ。どうしようかなと迷う間に、いつの間にいたのか、馴染みの音が両隣で鈴のような声を震わせる。
「証人ならここに」
「我らがお二人の宣誓を見届けます」
鎖の巫登場に三人はびっくり仰天、顔に出したのはヤシュマさんぐらいだけど。
私?私は驚き過ぎて声も出なかった。突然の出現と不在に苦言を呈するヤシュマさんに双子はつらつらと語る。
「念のためだけど謝意を表明」
「姿を消していた無礼をお許しくださいませ。この方は秘密主義者、こうでもしないと腹の内を明かされません」
私の事っすね。どうせ秘密主義者ですよ、とんでもねえ秘密を大盤振る舞いするわけにはいかんでしょうよと脳内で愚痴る。双子が頭を下げたところで誠意は通じたのか仕方がないかとヤシュマさんは身を引いてくれた。いい人だ。声を潜めそっと双子に耳打ちする。
「聖上はご存じ?」
「否定」
「オシュトル様の独断専攻故知り得ません。ですがご心配なく、咎められる理由もございませんので」
「ご恩情感謝致します」
良かった、なら何も問題はない。
最悪、不興を買っても責任を負うのは私だけでいい。何か聖上の意に反することでもと慌てるオシュトルに首を振りオーゼン様を見る。
「では行くぞヤシュマ。我らがいては娘は腹を割れんようだ。ナナコよ、参考までに一つ聞きたい。酷いことだが構わぬか」
「何なりとどうぞ」
「お主は上から何番目だ」
「長女でした。無様に一人きり生き恥をさらしております」
「そうか、よくは知らぬが弟妹殿達もこたびの縁組みさぞお喜びだろう。望む道を選ばれよ」
「ありがとうございます」
「ち、父上!お、お待ちください」
納得いかないが退席するしかない状況のヤシュマさんは慌てて父の後追った。
退室する二人に再度頭を下げ見送る。現れた双子に他言無用と言い含め姿を消して貰った。居るのは構わない、見えないだけでも掛かる重圧が代わってくるし言いやすいから。
「……本題に入るね」
オシュトルに向かい合い、まずは話のとっかかりを求めてつらつらと語り始める。
「私の体が弱いのは充分分かっていると思うけど、改善の余地はないんだって。努力を重ねても月日が経てば朽ちていく。聖廟の、帝の助力なくしては生きられない存在、それが私なんだ」
「身内は妹御の他には」
「絶えた。いや、どこかで生きているかもしれない。死んだ方がマシな人生だろうさ。ああなに、いきなり私の弟妹を名乗って出てきたりはしないはずだよ。生きていたとしても全員この子のように……」
駄目だ考えたくない、考えないといけない事柄だけど今は考えたくない。思いついたままを話して気を逸らそうと務めるけれど、自然と口調は興奮から支離滅裂なものに変じていく。なんだっけ、私何を言おうとしたんだっけ。ああそうだ。
「私は長命なんだ、助力さえあれば帝と同等の時をおそらく生きる。生まれる子もどうなるかは分からない。ヒトとして生まれたなら寿命が違っても自分の手で道を切り開けるだろう。でももし私に似れば」
人間の要素が確実に足枷になる。辛い思いをさせるとわかるのに子を望むのは何故なのか。それは……
「寂しいからだ!寂しくて寂しくて仕方ないんだ。なぜ私はこうも辛い、何故多くに助けられていながら寂しさを。違う、子供の話だ。ああそうだ、そうだとも、心の迂路を埋めるために子を望む私は間違いなく唾棄すべき人種だ。貴方に惚れられる価値など私にはない」
「体質を次げば間違いなく虚弱だろう、最悪化け物だ。タタリを産むかもしれない。可哀相に我が妹の仲間入りだ。人を食う何の意味もない人生、出来る事なんて殺すしか、それでも、それでも私はっ」
「ナナコ、気を確かに」
肩を掴まれ我に返る。心配げな表情の彼の腕に縋り訴えた。
「家族が欲しい、貴方の家族になりたい」
振り払おうとして失敗し項垂れる。
「違うっ!こんなことが言いたいんじゃない。私は、私は……」
そっと抱きしめられて震える己を自覚する。怖い、本心を明かすのが怖い。
「オシュトル、様……」
嫌わないでと告げたいのに口を出たのは彼の名で、引かれたと怖じ気づく心に振るのは優しさだった。
「オシュトルでよい。其方はただ頷けば良いのだ」
某が守る。某がと抱きしめる人は耳元で囁いてくれるけど、私は知ってるし彼も言ったじゃないか。この人の一番は國と民だ。いざとなればこの身は省みられず、でも私はそれを良しとした。おんぶに抱っこじゃ駄目だ。彼を支える人になりたいと再度明かそうと足掻く。オンヴィタイカヤンだと、帝と同等だと打ち明ければ守られるだけの存在じゃないと彼もきっと分かるはずだ。重荷になりたくない。なのに、なのにどうしてこうも言葉に出来ないんだ。いざ口を開いても声が出ない。理由はもう分かっている、怖いんだ。立場を明かせば何もかもが変わる可能性に怯えて無難な言葉しか選べない。
「私はっ人間だ!貴方たちヒトとは違うっ」
「絶えた種族の生き残り、という事だろうか」
「っ……!」
何故ソレを。対する眼差しは慈しみに満ちて頬を宥めるように撫でさする。
「大事ない、大手を奮って明かそうとも思わぬ。そこは安心して欲しい」
「絶えた種が見つかるのは稀にある話だ。其方と聖上の関係をつまびらかにしようとも思わぬ。
遺跡の遺物を使えたのも交流があったからなのだろう。巫の一族だろうと係累だろうと娶るのに障りはない。某を好いてくれている、その事実があればあれば充分だ」
ああ彼は勘違いをしている。高貴な身分と察してくれたのはさすが右近衛大将殿、でも大きな見当違いだ。間違いを指摘しようとするが、大変な職に従事する傍ら気遣ってくれた彼の優しさに口に出せたのは好意だけ。
「好きだ、オシュトル」
「某もだ。何度言っても飽き足らぬと言うに手を欠かせたか。すまぬナナコ殿、この様なモノで其方を縛ろうとすべきではないのだろう。其方は風よ、どこにでも吹いていく自由な風、留めようなどおこがましいがそれでも乞いたいのだ。妻に、家族にと」
椀を見つめて催促の眼差しを向けられる。まだ乞うか、これほどの事情をこの期に及んで明かした私をそれでも乞うと。嬉しい、嬉しくて苦しくて彼の誠実に答えない我が身が不甲斐なく、オシュトルの胸を押して彼から離れる。伸びる手を制し訝しむ彼になんとか歪ながらも微笑んでまた謝罪を口にする。
「ゴメンねオシュトル、きっと私貴方が思うほど綺麗じゃないのよ」
「ナナコ……?」
「貴方は言った、常世までと。私も同じだ。叶うなら常世まで、供に……」
「ではナナコ殿」
喜色ばむオシュトルに私は息を大きく吸って一息に言い切った。
「私はオンヴィタイカヤンだ、帝と同じ」
数秒の無言。間を開ければまた辛くなると私は立て続けに隠していた過去を打ち明ける。
「遺跡で目覚め最近まで記憶もなかった。覚えていたのは過ごした過去、忘れていたのは眠りにつく経緯。だから同族が滅んだ後のこと全然わからなかった」
「……其方、大いなる父を騙る罪がどれほどか」
わかってるわかってる!当惑しなんとか言い返せた言葉にテンションが上がって自嘲しながら捲し立てた。
「信じられない?信じられないよね!私だって信じられなかった!やっぱそうだよね、私でもそうだもん。なんなのコレって思うよね!私もだよ。
目が覚めたら誰もいない、知らない物ばかりで少しでも慣れようと頑張って頑張ってどうせ保たないってわかってたけど、少しでも皆と一緒にいたくてさあ。力になりたくて頑張ったのに、全部全部終わってたなんてもうびっくり、悪い夢かと思ったもん。文字は全部変わってるし知ってる文字試しに見せたら神代文字だって言うしさあ。
何なのいきなり世界に一人きり、どうしろっつ〜の。何をしようにもどう動けばいいかわからず大混乱の真っ只中よ」
押し黙るオシュトルに引かれたくないのに堰を切ったように口から言葉が流れ出し止まらなかった。喋るうちに興奮して愚痴なんて吐いてしまう。
「私さあしかもポンコツなの、オンヴィタイカヤンなのに何の特技もないの。頭は悪いし力もない教養もないし芸術にも疎い、器量だって良くないし性格だって……」
「おまけに妹は変な化け物になるしさあ。まあこれも何かの縁だから言っとくけど、種族全体に呪いが掛かっててある制約で化け物になるっぽいのよ私たちって。優秀落ちこぼれ関係なく。
んで生き残ったのが私含めて三名でさ、たった三人であんなにいたのに」
「いつタタリになるかは誰もわからない。困ったことにおそらくだけど子供にも遺伝する。ほら耳と尻尾両方ないのいるでしょ、それオンヴィタイカヤンだから気をつけといて。角ありは除外で。それでここまで言っといてなんだけど、この件にハクは関係ないからね!絶対絶対、聞いたりしないでね!傷つけたくないのよ」
「善処、しよう……」
額に手を当て微かに項垂れ打ちのめされる彼に私は頷く。
「良かった、ありがとね。それで、それで……なにを私は言いたいんだっけ……」
「某にはさっぱりだ。其方が何を言っているのかも理解できん」
「だよね、理解の範疇超えてるもんね。逆の立場で考えればわかるし。ねえ、こんなの娶る気無くすでしょ?だって凄い爆弾だもん。あ、爆弾この世界にはないか、ようはとんでもない大博打なの。当たれば死ぬ、上手く使えば上々だけど基本爆死しかねないのが私って言う存在ね」
「そんな事はどうでも良い」
良くないよ。
「聡い其方のことだ。帝に並びかねない存在を娶る危険性を憂慮して躊躇っているのだろうが、それこそ無用の心配だと断言しておく」
「ああそうだとも。ここぞとばかりに敵対する輩は知れば足下を掬わんと其方を餌に某を詰るだろう。だがそれがどうした」
「むしろ某は安心したぞ。帝と同等の其方を聖上は某に託された。覚えているか?
トゥスクルに起つ前ウコンが勅命を記した巻物を見せただろう?あれには其方の生殺与奪の判断を某に一任すると認められていたのだ。某はナナコ殿を切り捨てなんだ。
帝は其方をお認めになられた。つまり」
「余人がナナコ殿を害するのを帝はけして許さない、と言うことだ。高貴なる方々と言えど其方を傷つければ帝はお怒りになる。それは絶対の保証を確約されたも同然だ」
……オシュトルの言葉の意味が上手く飲み込めない。ただ一つわかるのは彼が私の言葉を受け止めてくれた事だけだ。
「信じてくれるの?怖く、ないの?……どうして」
ふっとオシュトルは笑う。
「恐ろしいのは確かだ。オンヴィタイカヤンに求婚していたなど無謀の極み。地獄に落とされてもおかしくないがヤマトの民が奉じるは帝ただお一方。其方が神の一柱なのは反応からして疑うべくもないが、我らの神ではない。したがって妻問いになんら問題はない。其方を信奉するどこぞの國がなければの話だが」
有るわけない、そんな奇特な國。あったとしてもそれは私じゃない、別のオンヴィタイカヤンを奉る國だ。
「恋人が悩んでいることに気づかぬと思うて。明かしてくれるのを某はずっと待っていたのだぞ」
「ご、ごめんなさい」
「謝意でなく返事を、ナナコ殿。もう某はずっと焦れて焦れて、仕方がないのだ」
「……結婚してくれる?」
「最初から、そう乞うている」
真摯な眼差しにもう何も言葉は浮かばなかった。震える手で卓の椀を取り、彼に習い誓いを口にする。
「健やかなるときも病めるときもナナコはオシュトルを支え共に過ごすと誓います。
常世まで共に、死に別れるならいっそ殺して。お慕いしていますオシュトル様」
言い切り後は手に取った杯を呷った。清涼な香りにのどごしの良い甘やかな後味が口内に広がりよほどオーゼン様は奮発してくれたんだと察する。報いねばならない。
しかし思ったより度数キツいな、でも今はそんなの気にしてる場合じゃない。一口で良いと言われたけど、オシュトルが飲みきったんだから私も頑張ろうと何度か杯を傾けようやく最後の一滴を飲みきったところで杯を取られた。飲みきりたいのにと憤慨する私をオシュトルは抱え込み口付ける。浸る間に宙を切る音がして杯が割れたのを音で察した。
視線をやるのは許されず、蕩けるような視線に晒され深く長い淫蕩の後、オシュトルが心底嬉しそうに間近で相貌を崩す。
「誓いは為った、これでもう逃れられぬ。ナナコは某の妻だ」
「貴方もだオシュトル、私の旦那様、夫、そして家族だ」
言い切ってにじむ涙に顔を覆った。彼の胸に顔を寄せれば其方は本当に泣き虫だなと上から声が振ってきて返せたのは嗚咽だけだ。ううんそれだけじゃない。ずっと一緒と呟いてしばらく彼の腕の中で甘える。
オシュトルは甘い。よしよしと落ち着くまで抱き留めて背中を撫でてくれた。
その後少しだけ話した。今後どうすべきかどうするか、要約すれば……
「とりあえず公表はあとでいいからハク達の所に戻って今後のことちゃんと話したい」
との要求にオシュトルはちょっと難色を示した。
「夫の傍を離れる気か。其方の家は右近衛邸では不満か」
「大抵仕事でいないじゃん。家を白楼閣に移すって話しじゃなくて、単にお話ししてくるって言っただけなんだけど」
細やかな問答をし出た答えはハクにオシュトルと家族になった話をする。ネコネちゃんにはオシュトルから切り出し、以後のことは後回しという点が決まった。何も決まってない。いや、私の要求に耳を傾けて貰う成果はあった。
「三食昼寝付き、子沢山で畳の上の大往生目指すから頑張って。私も頑張るから」
だから戦で死ぬなよと言い含めるが、やはりこれにもオシュトルは迷うらしい。
「む。もちろん、いや後者は……否、誓いは目標。其方の希望に添えるよう励む所存だ」
否定はされなかったので良しとする。
「置いて逝ったら喉突くし。阻止されたら聖上に頼んで貴方の複製体、代わりに作るから。勝手にいなくならないでよ。一人はもう嫌だ」
「善処しよう」
複製体とはなんだと聞かれたのでそっくりの別人さんと説明したところ大変機嫌が悪くなったので死ななければいい話だと言い含めれば上記の解答と相成った。良しとすべきと判断しとこう。
二人で砕けた椀を片付けて長く待たせてしまったオーゼン親子の元に向かえば、扉の外で壁を背に佇むオーゼン様達を見つけて近寄った。
「お話は終わりましたかな」
オシュトルと二人見合い頷く。なんだか気恥ずかしくて直視できない。いつの間にか現れた双子に遠慮してくれたのかオーゼン様が色々尋ねられる。
「巫方、お二人の誓いは真に?」
「結ばれた」
「杯を交わし心を重ねました。取り交わした誓いに偽りなくお二人は見事夫婦に成られたと証言致します」
ぐへへ。夫婦だってぐへへ。
「杯もここ」
「見事に真っ二つ」
ほぼ砕けてるけどな。割れた椀を見て優しい眼差しのオーゼン様の相貌が更に綻んだ物になる。
「おおそれは良かった。おめでとうございますオシュトル殿、奥方様。この良き日に微力ながらお二人のご縁をお繋ぎする手伝いをさせて頂き感無量の次第、大変嬉しく思いますぞ」
礼を言うのはこちらの方だ。お二人のご協力なければ私たちは夫婦になれなかった、オシュトルのことだから責任を取っていつかは結婚したかもしれないけれど、こんなに早くは無理だったろう。お二人のご好意には本当に頭が下がる。
「この度のご協力真に感謝致します」
「ありがとうございました」
二人揃って心から頭を下げる。見つめていたヤシュマさんも顔を綻ばせて祝福の言葉を掛けてくれた。
「名ばかりでなく今後何かあれば俺達を頼ってくれ。お前達との縁を良きモノとしてこれからも繋いでいきたい」
こちらの台詞やでお兄さんや。ああ本当にありがたいな人の縁、大事にしないとなあとにこにこしていると双子がオーゼン様を手招きする。何事かと静けさを戻ると二人は手を下ろし口を開いた。
「ついでにご報告」
「お二人は夫婦になって間もないですが他はしっかりとお繋ぎになられています」
「我が身で縛り付けようと、組んず解れず」
「褥の準備をお願い致します。お二人は互いを縛る子の縁を切望しておられるのでおそらく明朝まで離れがたく励まれるやとおふぐ……」
下の話題を振るな〜!歓迎してくれた方々に迷惑を掛けて申し訳ないと双子の口を両手で塞ぐ。お願いだから黙っといて〜。オーゼン様は年の功か、余裕の態度で笑い飛ばす、さすが皇。
「いやはや仲がよろしくて結構、若いとは良いものですなあ」
「言い訳はみっともなく沈黙でお返しさせて戴く。実に面目ない」
珍しく渋面のオシュトルだが心配は杞憂だとオーゼン様は綻ばれる。
「何を言われますか。夫婦仲が良くなくて國の発展はありえません。恥じる必要はありませんぞ。どこぞの馬の骨にも是非見習って貰いたい仲の良さだ。いやめでたい、めでたい。このめでたさにあやかって儂のタンコブも何処か適当な相手に……」
「父上、止めて下さい。客人の前です」
「う、すまん……」
この度の礼はいずれまたとオシュトルが一礼したところで私も退席せねばと頭をさげるがオーゼン様は慌ててオシュトルを引き留めた。せめて一晩泊まって行かれてはと声を掛け、オシュトルは祝いの席を用意して戴いたばかりか寝床まで提供して貰うのは尚申し訳ないと固辞するも、せっかく得た兄弟を叩き出すのは忍びないだの妹は末姫より病弱と書に認めてあったから体を崩してもいけないと諭されては断りようもなく、結局一晩お世話になる運びとなった。ぶっちゃけ体もしんどくなってたから有り難い申し出だった。
用意された宴席で親子二人双子と私たちで和やかな食事を取る。オシュトルは静かに酒を飲み交わし和やかな歓談に終始して、女官さんだろうか、楽器を奏で舞を踊るのを皆で鑑賞した。綺麗だなあと眺めていると、オシュトルが、妻は歌を好むので大変ありがたいと話を振って私は戦々恐々、なんで話を振った。興味深げな親子のすすめで一曲歌う流れになっちゃったじゃないか。なんでだ。
下手の横好きだと何度も釈明して、恥ずかしいのを我慢して拙いながらも穏やかな歌を私は歌いきった。怖々様子をうかがえば興味深いと深く感じ入る様子に下手な慰めはいらんからと妙に自慢げなオシュトルを睨んでおく。
話の流れで他のご兄弟に話題が飛ぶ。妹君の様子を尋ねられ道中楽しそうに部下の女性と話していた、個人的に大変世話になっていると礼を言えば謙遜しながらも自慢の妹だとヤシュマさんは鼻高々だ。他の兄弟は聞けば、皆城住まいが退屈で開拓に出ているそうで大変不満げな様子がなんだかおかしかった。
姉君はと尋ねるとルルティエを帝都に出したのが気に食わず、出奔して八つ当たりのように鍛錬や修行に励み突然戻ったかと思えばまた飛び出る生活を繰り返しているらしい。大人しい娘が良いとぼやく彼に同情だけしておいた。格好良い人だとは思うけど指摘するのは無粋だ。
私もかなり酔いが回ったのか、ぼんやりしているとオシュトルが妻も酔ったようですからひとまず先に休ませて頂きますと述べたところで天上が見えた。お姫様抱っこの体勢だ。かなり酩酊しているのか親子は妹をよろしく頼みますぞだの初めては女人には辛いだろうから優しくな夫殿と囃し立ててくる。最初の取り繕いはどうした。
色々ダダ漏れだ。おまけに私は通解ずみですと呟けば、固めの杯は今日取り交わしたから実質今日が初夜だろうとオシュトルまでとぼけるんだからどうしようもない。
する?と尋ねればナナコの思うようにと返されとりあえずぎゅっと胸元に抱きついて置いた。
用意された部屋につき、蒸し風呂に行こうとして足下がおぼつかないから共に入ろうと促されたのは覚えてるけど、後はあんまり記憶にない。
一度事を終えた際オシュトルから短刀を送られた。旅に出て間もないころ身を守る武器を手にするなら何色がいいか聞かれたから目当てのものを用意してくれたのだと礼を言い受け取る。武家の娘が携帯するもので護身用として身に付けるのだと説明を受けた。振り回すには短くて心もとないが可愛らしい一刀だった。ずっしり重いがオシュトルが腰に差すものほど重くないのがありがたい。
抜いて己が目で確かめてみよと言われたので抜き方を教わり鞘から取り出して目の前にかざした。小振りの短刀には桜の意匠が施され峰を下ると藍色の柄(え)、握る箇所があり底の束には刺繡が施されていた。オシュトルの家紋だ、嬉しいな。綻んでいるとひやりとする言葉を掛けられる。
「自決用に用いられることもあるが使う機会がないよう某が守ろう」
故に箪笥にしまっても構わぬよと微笑まれ、臆した気持ちを隠し首を横に振る。
「こんな良いもの身に着けないのは勿体ないよ。大事に使う。それに……貴方の守りを搔い潜る手練れなんて早々いないって。守ってくれるって信じてる」
だから使わないし死なないよう頑張るからね。そう意気込めばまた優しく腕の中に閉じ込められ布団の海に逆戻り。
明け方、ふと隣で寝台に横たわる人が呟く言葉に目が覚めた。耳を澄ませば奥よと囁いている。
「それ、私のこと?」
「当然、ナナコ以外おらぬ。もっと呼んで良いか?」
「……いいけど」
「我が妻、我が良人、某のナナコ……ふふっ何度呼んでも口が綻ぶ」
「楽しい?」
「ああ、ナナコはそうでもなさそうであるな、如何した?」
「分かってて言うなんて意地が悪い」
昨日は散々だった。嫌と言うぐらい鳴かされて望むままの言葉を吐いて、やっと眠れたと思ったらもう朝なんて時が経つのが早すぎる……早すぎて何もかもが追いつかない。幸せだから良いけどさ。
寝台で寄り添っている最中、寝ぼけ眼(まなこ)で考える。ハクは、ハク達は今どうしているんだろう。無事なのは知ってるけど原作通り事が進む保証はない。変える余地があるなら何某かの影響で良くもなるし悪くもなるということだ。うっかり知らぬ間に死に別れる、あるいは水面下で事態が悪化し改善不可能どころか全滅が確定しかねない出来事が起きてもおかしくない、ということだ。何よりヤマトにはウォシスがいる。彼をどうにかしない限り、帝の命は……いや早計だ。
何もしなければ原作通りの流れを進む訳で、帝が双子を実弟に下賜したうえで後継に指名しない限りはきっと動かない、はずだとしか考えられないのが苦しいところだ。どうすればウォシスを説得できる「ひゃ!」
「夫を無視して余所事か?存外ナナコはつれないな」
きゅ、急に脇腹をさすり上げないでよ。私弱いんだからね、心臓発作起こしでもしたらどうすんのよ!起こさないけど。ああびっくりした。
「私だって考え事に浸りたいときぐらいあるって。昨日の今日だよ、いきなりの養子縁組で結婚だよ?驚きもするよ。つれないって言うけど、貴方の方がつれないんだからね!急にフラれて心底びびった驚いた。意地悪はオシュトルの方だ」
文句を言い募ればすっとぼけた顔で嬉しそうに顔を寄せてくる。
「某の意地が悪いのは褥で存分に思い知っていたはずだが、はて、まだ足りなんだか?」
そんで、二人きりだとスケベ親父みたいにあけすけだし、も〜も〜、どんだけ私を惚れ直させれば気が済むのよこのスパダリが!はだけた彼の胸元にすり寄り甘えて鼻を鳴らせばもう、されるがままだしさあ……
「っ、足りるわけないでしょう。もっと知りたい貴方のこと。それで一杯呼びたい。旦那様だとか夫だとか主人とか。私のことだって、もっと沢山……呼んで」
「可愛いな、ナナコ。可愛すぎて某の身が持たぬ……」
そんでまた覆い被さってくるし。も〜幸せすぎてどうにかなっちゃいそうだ。
しばらく経ち、気を利かせてくれたのか女官さんが朝食を部屋に届けてくれた。
遅めの朝食を頂いたところで身支度を調えて城を出る。見送りに出たお二人が手を振り声を掛けてくれた。何かあれば帰って来てもいいからなと涙声なのは名義上の父、その前に充分に話し合うんだぞと対照的なのがヤシュマさん、意見の相違が面白かった。
双子は相変わらず外套を被り無言だけど、ナナコの帰る場所はオシュトルの旦那の居るところと悋気を燃やすウコンも差異がすごくて可愛かった。
歩く道すがら、林を抜けた雪原に出たところで人気がないのを確認してウコンに扮したオシュトルが呟く。
「聖上にご報告をせねばと思うのだ。ナナコ殿と夫婦になったと」
ふんふん聞いてた私はオシュトルの好きなようにと呟き、彼の後ろを歩くのに専念する。晴れている街道とはいえ積雪はそれなりにあり深いのだ。先導を買ってくれるオシュトルの足形なら歩きやすいから転ばないようこっちは必至だ。
「相分かった。ふふっ」
「?」
「其方、素はだんまりだったか」
「お喋りの方が好き?大人しいのは嫌?」
「いやどちらでも構わぬよ。其方が過ごしやすい方で。なに、偽りなく振る舞ってもらえて嬉しいと感じただけだ。控えめな其方もとても愛い……」
控えめだった試しは一度もなかったよと返せば謙虚も過ぎれば毒にしかならぬと嘆息するのでつける薬はないと黙って置いた。
風と行く