夏の月に陰
190.*****
「……ハーブティーでも、召し上がってはいかが?」
カルネさんはそう言って、今し方テーブルに置かれたハーブティーへと目を落とした。
淡い優しい香りが、私の思考を混沌の渦へと誘い掻き混ぜ溶かしていく。
激情に任せて立ち上がった私の握り締めた拳が硬いテーブルにのしかかり、振動がティーカップの水面に広がっていく。
「ハーブ、ティー……」
こんなはずじゃなかった。
こんな風にカルネさんと再開し、お茶をするはずじゃあなかった。
カルネさんとは、もっと楽しく、久しぶりに出会えたことに感謝しながら、仲良くおしゃべりするはずだったのだ。
なのに、なのに……!
「ミツキさん?」
今、目の前に居るカルネさんは、あのカルネさんではない。
あの熱気溢れる会場で、共に感動を分かち合ったカルネさんではないのだ。
その事実が、この話が嘘ではないのだという、何よりも確かな証拠だった。
私にはそれがとても悲しい。
「……カルネさん、私、まだまだ子供なんです。自分の気持ちに、折り合いが付けられない、ただの子供なんです」
「そんなことはありません。貴女は賢くて勇気のある女性です。ただ貴女は今、この事実を受け入れられていないだけ。混乱しているだけなのです。だからきっと……」
「お願いです。私達に、猶予をください。まだ、陽にはこのことを、話さないで……。お願い……」
「…………。貴女がそこまで言うのなら、致し方ないのでしょうか……。しかし、一体いつまで? 先程も言いましたが、あまり悠長なことは言っていられませんよ」
「ええ……。いつまでなのか、私にも分かりません。だから……」
「だから?」
「私達の事は、しばらくの間、そっとしておいて下さい。……放っておいて下さい」
「……は?」
「ここまでお世話になっておきながらこんなことを言うなんて失礼だとは分かっています。本当に、ごめんなさい。でも……」
「貴女、本当に……!」
「でも、いつこの気持ちに折り合いがつくのか、決心できるのか、自分でも分からないんです。もしかしたら、ずっとずっと、この気持ちが揺らいだままなのかも知れない……」
「……」
「そんなの、カルネさんだって迷惑でしょう? ほら、女優さんのお仕事もあるだろうし……。こんな風に私がぐだぐだと悩んでいることに付き合わせるなんて、出来ませんよ」
「何を言っているの。貴女、もっと真剣に……!」
「真剣です! 真剣に考えて、でも今、いくら考えてみても、これが精一杯の答えなんです……!」
自分の息遣いが荒い。
視界には今や、カルネさんの表情しか写っていない。
そうでもしていないと、自分の思考が崩れてしまう。
自我が保てなくなる。
そう思った、矢先だった。
ばん、と重く鈍い音が聞こえて、突風が目の前を吹き抜けたのは。
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