第二章

 17.

***

陽、そして新は、小さなコラッタの姿となり、船内を駆けまわっていた。
船の側面、欄干に沿って走っているものの、周囲からは誰の気配もしない。
遠くから海鳥の鳴き声が、きゃーきゃーと聞こえてくるだけである。

「はぁーっ……。兵太のやつ、厳しすぎるんだよなぁ……」

「あはは。あのおじいさんって、心配性なんだねえ」

「そうなんだよ……。お、新。そこの扉から入っちゃおうぜ」

「はぁーい」

陽が差したのは先程ミツキ達とも一緒に通った、ロビーへの入り口である。
このロビーの広い階段を昇り、また更に奥へ進むと、立食会の会場である大ホールへ続くのだ。
ロビーへ入ると、やはりそこには誰も居なかった。
豪奢なシャンデリアが、辺りを静かに彩るだけである。

「なぁーんだ。余裕で入れちゃうじゃん。さっすが陽!」

「へへっ、まぁな! でも流石に正面からミツキ達の居る場所には入れねぇからな。どっかにそこへ続いてる通気口とかがありゃあいいんだけど……」

「それならおれにまっかせてー!」

「え?」

言うな否や、新はたったと階段の方へ走って行ってしまった。
器用に階段の手すりを伝って昇って行き、手近な会場近くの部屋へ、そそくさと入って行く。
陽も黙ってそれに続いた。そして。

「陽。ちょっと耳、塞いでいてね」

「へ?」

「いーから早く!」

「お、おう……?」

何をするつもりなのかよく分からないまま、陽は耳を塞いだ。コラッタの大きな耳は、中々に塞ぎにくそうである。

「いっくよーっ!」

「!?」

掛け声とともに発せられたのは、広範囲に及ぶ超音波であった。
人間の耳に届かないそれは、空気を伝い壁を伝い、やがてミツキ達の居る大ホールへの抜け道を探り当てた。

「あっち! あっちの通気口の三番目からが、大きいお部屋に繋がってるよ!」

「お、おお? すげぇな新!」

「へっへーん!」

超音波の影響で若干頭がくらくらしているものの、新のお陰で早くミツキ達の居る場所へ辿り着けそうである。
陽は先導する新を、急いで追い掛けた。

「お前、意外とこういうこそこそしたことが得意なんだな!」

「ふふーん、どうかなーっ?」

「なんだよそれ!」

二匹は可笑しそうに話しながら、少し大き目の通気口を選んで中に入った。
埃だらけのかび臭い配管の中を、するすると進んで行く。

「ねぇ陽。陽はミツキを見つけたら、何するの?」

「ええっ、何って……。うーん、あんまり考えてなかったなあ」

「ええーっ、そうなの?」

陽の意外な答えに、新は驚く。

「会場の中に紛れて、一緒にお食事しちゃえばいいのに! 陽のイリュージョンだったら、ラクショーだよ!」

「ああー、なるほどな」

「おれはゆのに会えたら、そうするかな! お腹減ったし!」

「あはは。お前、美味いメシ食いたいだけじゃねぇか?」

「そんなことないよぉーだ! おれだってゆののことが心配なんですぅー!」

けたけたと笑いながら、二匹は細い通路を進んで行った。
やがて通気口の端に明かりが見え、それがホールの会場から漏れる光だということが分かった。
格子の隙間から、新が会場を覗き込む。

「あれ……?」

様子が、おかしい。
固まる新の横に、陽も加わった。
そして絶句する。
会場に居るトレーナーの全員が、倒れている。
豪奢な模様の絨毯の上で、美しい衣装に身を包む老若男女、全てのトレーナー達がその場で倒れ込み、動かないでいた。
中には折り重なるように倒れている者達も居る。床には彼らが手にしていた飲み物や食べ物が、そこら中に散乱していた。
会場内で動いている者は誰一人として、居なかった。
そして。

「ミツキ……!?」

「ねえあれ、ゆのだよね!? ゆのも居るよね!? ねえ、陽!!」

彼等は会場の隅、豪華な椅子の前で倒れている自身のトレーナーの姿を発見した。
ミツキがゆのを抱きかかえるようにして横に倒れ、二人とも、全く動く気配がない。
予想だにしていなかった光景に、二匹は慌てふためく。

「どうしよう陽! ねえ、どうすればいいの!?」

「助けるに決まってる!! くそ、この格子、外れねぇか……!?」

がたん。そういったのは陽ががたがたと動かしていた通気口の格子ではなく、ホールの入り口。スタッフが出入りする為の、小さな両開きの扉だった。
刹那、大量の黒い人影が会場内を埋め尽くした。
陽は思わず手を止めた。
そして彼等は静かに、そして物凄い速さで、倒れているトレーナー達の首から掛けられているトレーナーカードを、ホルダーごと抜き取り始めた。
遠くから見守る二匹には詳しい状況が分からなかったものの、彼等がトレーナー達を助けようとしていないこと、自身のトレーナー達の敵であるということだけは、はっきりと理解した。
そして彼等はついに、ミツキ等の首にも手を掛けた。

「あんのやろぉおおおおお!!!!」

「待って、陽! 落ち着いて!」

じたばたと暴れる陽を、必死に抑える新。
正体不明の人影は乱暴にミツキの髪を引っ張り頭を上げさせ、首からトレーナーカードを奪い取った。その後、ごとんとミツキの頭を下ろしたが、ミツキはそれでも目を覚まさなかった。
ゆののトレーナーカードも同様に荒い手つきで奪い取り、彼等は次なる獲物の元へ去って行った。

「なんで止めるんだよ、新!!」

「なんでじゃないよ!! 陽だって分かってるでしょ!?」

今この状況で、大勢居る彼等にたった二匹で立ち向かっても、勝てる可能性なんてまるで無い。
自分達が、ゆのの無事を確認し、保護するのは大変重要な事だが、今現在、黒い人影が何を考えているのか、何を仕掛けているのかだって、自分達には何も分からないのだ。
今ここで飛び出していくのは得策ではないと、新には分かっていた。そして、陽も。

「くそっ……!」

やり場のない怒りを、壁にぶつける。暗く鈍い音は、広いホールに居る彼等には届かなかった。
未だ怒りを抑えられない陽を見て、新は酷く落ち込んだ様子で、彼に声を掛けた。

「早く戻って、おじいさんに報告しよう……。おれ達には今、何も出来ないよ……」

悔しそうに唇を噛む陽は、新の言う通りに踵を返した。
二匹の駆ける足音は、湿気った空気の中を静かに響かせていった。

***


prev / next

[ back ]