タークスになったことをこんなにも後悔した日はない。
上司であるツォンからその作戦を聞かされたとき、その意味も目的も即座に理解したが、本能が受け入れることを拒否していた。


「…プレートを落とすって、それは、どういう」

「そのままの意味だ。」

「そんな、そんなことしたら」

「決行は今夜。プレジデントの指示だ、変更はない」

「…リーブ統括は知ってるんですか。」

「ああ。当然、反対しているそうだがな。お前は作戦開始までリーブ統括の監視に就け。」

「監視って……それもプレジデントの指示ですか」

「そうだ。、もう一度言うぞ、変更はない。覚悟を決めろ」


魔晄炉に爆破テロを仕掛けた反神羅組織アバランチ。その首魁が七番街スラムに潜伏している、という情報が入ったのは、つい昼過ぎのことだ。
プレジデントはその組織を潰す、ただそれだけの為に街を落とすと言う。支柱を破壊し、文字通りの支えを失ったプレートのその質量を以って、街一つを丸ごと潰してしまうのだと。正気の沙汰とは思えなかった。

治安維持部門統括ハイデッカーは、その任をタークスに与えた。汚れ仕事はお任せのタークス。いい子にしないとタークスがくるぞ、のタークス。だからって、こんなにも残酷な――何人死ぬか想像もつかない程の仕事はいまだかつて無い。
ぺしゃんこになった街と、それに押し潰されて死ぬ大勢の人間を脳裏に描いて、吐き気を覚える。


リーブ統括はどんな気持ちでいるだろう。何よりもそれが気がかりだった。

この薄汚れた魔晄の城にあって、不相応に優しいその人は、この街を愛しているのを知っている。ミッドガルに住むすべての人の幸福を願って、眉間に皺を寄せている姿をいつも見ていた。
彼の良心はきっと踏み躙られたのだろう。
この城の王様の決定を覆せる者は誰もいないのだから。

しかも、他でもない自分自身が彼の大切な街を破壊するなんて、考えただけで心臓が圧し潰されそうだった。怖い、嫌だ、やりたくない。悲しませたくない。
頭の中をぐしゃぐしゃに掻き混ぜられるような感覚に、また吐き気がした。


- - - -


ツォンからの指示に従い、リーブ統括の身柄を警護――事実上の拘束だが――をする為に都市開発部門統括オフィスを訪れたは、見たこともない程に憔悴したその姿を見て、痛いくらいに心臓が跳ねるのを自覚した。


「失礼します」

「…さん」

「プレジデントからの指示をお伝えします。『現時刻より、指示があるまで第8会議室にて待機。指示があるまで一切の業務を禁ずる』、とのことです。待機解除までは私が警護につきますので、」

「それは、監禁、ということですか」

「……私には、分かりかねます」


それ以上統括の顔を見ることは出来なかった。胸がじくじくと痛む。千切れるかと思うほどに強く下唇を噛んだ。リーブ統括はそれ以上何も言わず、私も何も言えなかった。
ミーティングフロアの最奥、無人の小会議室に統括を誘導する間も、一切言葉はなかった。


「…外で待機していますので、何かあれば声をかけて下さい」


沈黙に耐えられなくなった私は、リーブ統括の顔を見ないまま、そこから逃げ出した。

2時間程が過ぎ、スカイフロアの窓からのぞく景色はすっかり夜の色に染まっていた。
リーブ統括は、あれから何も言ってこなかった。飲み食いも一切していないはずだ。心配になって時折様子を窺うと、うな垂れたまま身じろぎもしない姿が目に入り、その度、心臓にナイフを突き立てられるような胸の痛みに襲われた。

ばたばたという物音に気が付き視線を動かすと、軍の兵士が2名、こちらへ向かってくる。


「ご苦労様です。タークスのさんですね」

「…はい、そうですが」

「ツォン主任より伝言です。作戦開始は二二三〇、第二格納庫にて装備を調えて待機せよ、とのことです。リーブ統括の警護は我々が引き継ぐようにと承っております。」

「…わかり、ました」


敬礼とともに告げられた言葉に、どくどくと心臓が早鐘を鳴らす。
引き継ぎの挨拶をしなければ、と感情にそぐわない冷静な思考が巡り、部屋へと足を踏み入れる。目を瞑り、深く息を吐いて、呼吸を整える。リーブは依然頭を垂れたまま、顔を上げるつもりはなさそうだった。


「統括」

「…」

「別件がありますので私はこれで失礼します。警護は、治安維持部門の兵士が引き続き…」

さん」


びくりと肩が震えた。心臓がばくばくと音を立てるのがわかる。恐る恐る顔を上げると、今にも泣き出しそうに濡れたヘーゼルブラウンの瞳が真っ直ぐにこちらを見据えている。眉根をきつく歪ませ、リーブは囁くような声で、しかしはっきりとこう言った。


「ダメです。行かないで」

「…ッ」


ひゅっと息が止まった。呼吸がうまくできず、鳩尾のあたりが苦しい。何も言わずに見送ってほしかった。どうしてそんなことを言うの、と考えた途端に目の奥が熱くなってくる。
声が震えるのがわかるが、どうにも抑えられない。


「っ……ごめん、なさい」


絞り出した声は死にたくなるほど情けなくて、私はそこから逃げ出した。


- - - -


七番街は消滅した。

ツォンと共に別動隊として機動ヘリに乗り込んでいたは、結果的に神羅が長らく追い求めていた古代種の少女・エアリスの身柄の確保に成功した。


「ツォンさん、ルード先輩から通信が入りました。レノ先輩が重傷、ドクターヘリで直接軍病院に帰投するそうです」

「そうか」


コックピットから機体後方の輸送スペースを覗き込み、上司に報告する。そのツォンと兵士に挟まれるように座り、身を寄せ合う二人の少女。偶然か揃ってまとったピンク色のワンピースは、無骨な機体にあまりにも不釣り合いだった。

操縦桿を握り、七番街――もとい、かつて七番街だったそれらの上空から眼下の光景を眺める。想像するだけで吐き気を催していたはずのそれは、目の当たりにするとまるで現実のものとは思えず、何の実感も湧かなかった。
は、なんて酷薄な人間だろう、いかにもタークスらしい、と自嘲した。


支柱の緊急解放システムを起動するため直接制御塔に乗り込んでいたレノとルードは、抵抗するアバランチとの戦闘で負傷。翌日にはオフィスに顔を出していたが、二人とも心ここに在らずといった様相で、ほとんどただそこにいるだけだった。


「ルード、報告書はまだか?」

「…今やっている」


デスクに山積した書類を黙々と処理していたツォンが、手を動かす気配のない部下にチクリと言うと、珍しく苛立った様子でルードが答える。途端にずしりと重みを増した空気に耐えられなくなったは、コーヒーでも淹れようと席を立つが、ポットが空になっていることに気付いた。しめた、と思った。


「…私、お湯沸かしてきますね」

「ついでにエナジードリンク頼むぞ、と」

「エナジードリンクじゃ怪我は治りませんよ、レノ先輩…」


あれ以来ろくに食事も摂らずそればかり飲んでいるレノに釘を刺しながら、ポットを抱えてひらりとオフィスから逃げ出す。
実に不便なことだが、地下には給湯室も自動販売機もないので嫌でも地上階のオフィスフロアまで行かねばならない。(地下にオフィスを構えているのは調査課くらいなので、費用対効果と言われればそれまでだが)

あのボムの絵が描かれた自動販売機は何階にあったかな、と記憶を辿りながら、薄暗い非常階段を登り始める。
この縦に長すぎる神羅ビルで、わざわざ階段を使う者はそう多くない。エレベーターのほうがずっと速いので当然だが、この時は階段の気分だった。

理由は至極単純。誰にも会いたくなかった。


夜を消し去るほどに眩い魔晄の光よりもなお明るく、轟々と燃え広がる焔。街だったものを飲み込むその赤い景色が、の脳裏にこびりついて離れない。

プレート落としの犯人はアバランチ、それが神羅が公式に発表した事件の真相だ。しかし当事者である我々タークスは、それが嘘だと知っている。七番街を消滅させたのは、私達だ。
しかし最重要機密であるそれを、真っ当な社員の殆どは知る由もない。だからここにいる誰に何を言われるでもない。私達に罵詈雑言を浴びせかける者はいないと、頭では分かっているのだ。だけど、心が追いつかない。
自分がこの街に住む人全ての敵のように思えてならなかった。

多くの社員が泊まり込みで事件の対応に当たっていると聞いた。特に都市開発部門はひどい混乱ぶりらしい。きっとリーブ統括も徹夜で業務に当たっているのだろう。

なるべく考えないようにしていたその人のことを思った瞬間、階段を進む足が止まる。

あの時彼は、行かないで、と言った。
私一人が作戦を放棄したところで結果は変わらなかっただろう。では何故、彼はそんなことを言ったのか。考えれば分かる。
私がきっと後悔すると知っていたからだ。
自分がぼろぼろのくせに、人にばかり気を使う。彼はそういう人だ。

それを振り切って、私は任務を優先した。
その結果がこれだ。
ずしりと身体が重くなる感覚がした。
いけない、考えるな、と焦る。

しかし、一度巡りはじめた悪い思考は止まってはくれない。
彼は止めてくれたのに、結果私達は彼の愛する街を蹂躙した。終わってしまった。もう、全部手遅れ。絶望的。
リーブ統括に嫌われたくなかった。軽蔑されたくなかった。悲しむ顔を見たくなかった。辛い思いをさせたくはなかった。

その時ようやく――本当はずっと気付いていたけれど、知らないふりをしていた――その感情が、胸のうちで爆発する。

私、リーブ統括が好きだ。ずっと好きだった。それなのに。
鼻の奥がツンとしたと思うと、途端に視界が霞む。
もはや感情の制御は不可能だった。


は誰もいない非常階段に座り込むと、膝を抱えて嗚咽をもらした。


Next.

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