1:ずいぶんと小さくなられて


「まさか柱さまとお茶する機会があるなんて思いませんでした。ね、水柱……富岡さん」
「……思っていた風と違うんだな、百足寺は」

意味次第じゃあぶっ飛ばす所存で参りますよ、兄者。黒い笑顔に拳を構えた。殴ったところで霊長類の中じゃゴリラの次に強そうな元柱の彼ことだから止められるのだろうけど。


本日をもって鬼殺隊は解散します。私のことは嫌いになっても、親方様のことは嫌いにならないでください!

てな、ゆるっゆるな感じで鬼殺隊は数年前に解散。そして、下部組織である「隠」も同時に解散された。

無職になった元「隠」の私は、なにをする予定があるわけでもなかったので、暇な残りの人生をのほほんと生きて行くことにした。

はじめの数年は、短い人生だと思えばわりかし培われ気味な財産を食いつぶすようにとにかく各地で遊んだ。それに飽きたからは、隠をしていた時お世話になっていた人を訪ねることにした。

藤の花の家のおばあさん。守り刀として短刀を作ってくれた刀鍛冶のおにいさん。最終決戦後に農家に転職した元鬼殺隊員。そして結局最後まで彼の背中を守ることはできなかったけれど、兄弟子でもあり本来なら下っ端の私とは縁遠いはずの人……水柱こと富岡義勇さんである。

「次はどこへいくつもりだ」
「会って早々なのにひどいなぁ。そうですね、宇髄さんにはあったので次は……。
そうだ!霞柱さまに会いたいです。どこにいらっしゃるかご存知ですか?」

陰気な顔にさらに影を落とした富岡さん。

「景信山に、ある」

あるとは一体。

神妙な面持ちに対する感想には蓋をした。

一言少ない富岡さんと別れて景信山に向かうことにした。
昭和の活気溢れる東京の下町から、景信山のある神奈川県との境目までを目指すが、汽車に乗る金が勿体ないのでこのご時世に完全徒歩である。悲しい。

これでも修練はこなした身なので足は早い方だと悲観を楽観に持ち替えた。

秋風に揺られた銀杏の葉が黄金の絨毯を作り出す幻想的な風景に迎え入れられ山に踏み込む。
懐かしい。彼に初めて会ったのは秋の夕暮れ、赤と青の入り混じった空に黒いカラスが鳴いていたあの日だ。

『君は弱いんだからついてこないでよ』

霞柱さま……時透無一郎は浮世離れした子だった。

よく分からない性格なうえ、よく問題を起こした結果として隠が彼の補佐に当たることになった。何人も補佐についたらしいが、蹴られ殴られ罵倒されつつなんやかんや長続きした方だったのが私だったらしい。

補佐といってももちろん戦えないので身の回りの世話をするのがもっぱらの仕事だった。

弟のような、近所のクソ……失礼、悪ガキのような彼を私なりに可愛がっていたつもりだし、戦闘能力がみじんこレベルの私を守ってくれた彼にお礼も言いたかった。

だから彼を訪ねることにしたのだ。

たしか、最後に会った時、霞柱さまは十四歳だったから今は彼と初めて会った時の私と同じ年齢だろう。

美少年の域を脱した彼を思い浮かべることは難しい。まあ彼のことだから顔がいいのは確かなんだろう。
遠くに建物らしきものを見つけ、そちらに向かって走る。

「家……?」

そこにはボロ屋があった。家の端っこや下の方は椛によって緑に色を変えている。どう考えても数年は人の手が入っていないように見える。気づけば指先が震えていた

「霞柱さまー?」

返事がないので仕方ない。

失礼しますと断ってからがたつく扉を開ければ、ずっと前に誰かが暮らしていた形跡があった。またもや生えた布団に、茶色い……きっと血の跡だ。なにかがあったのは確実だ。

とっさに霞柱さまの顔がよぎる。


あれでいて、刀を握って三ヶ月で柱になった天才剣士。暴漢に襲われたからといって、盗賊に脅されたからって死ぬような人間ではないことは、短くとも中身の詰まった旅路を同じくしたならわかる。

じんわりにじむ汗に気づかないふりをして、ひとけのない家から飛び出す。それから枯葉の上を走り回る。

「霞柱さま!どこですか!いたら返事を」

してください。

いうべきだった言葉は霧散した。

小屋のすぐ近くに建てられているのは石碑。小さく、小さく、どう考えても彼の体躯に対して、彼の為したことに対して小さすぎるそれ。

「ははは……」

そりゃそうだ。鬼舞辻無惨との最終決戦では階級関係なく大量の死者が出たと聞く。

そのなかで死んでしまってもおかしくない。その可能性を考えていなかった。いや、考えたくなかった。だって、彼は死んでしまうにはあまりにも若すぎる。
背負っているものに対して、天が彼に与えた幸福は少なすぎた。だからこそ、きっと報われていると思っていたのに。

いや。やめよう。こんなことは考えるだけ不毛だ。思考回路に蓋をする。所詮戦闘に参加することもできなかった人間が、彼のもとに最後までいる選択もできなかった人間が言っていい言葉なんて何もなかった。


山を後にした私は麓の宿に泊まってから、東京を後にした。

それから、紆余曲折を経て知り合いのいない田舎に居を構えた。仕事は何でもできた。どの仕事も霞柱様の補佐よりはマシだったし、楽だったけど物悲しかった。

三十を超えた頃に大きな戦争がおこった。それでも私は蚊帳の外で、誰かの心配をし続けた。もはや昔の知り合いの誰が生きていて誰が死んだのかも分からない。

そして夏を超え、全てが終わった後に富岡さんから一通の手紙が届いた。少し安堵した。

高度経済成長期を迎え、田舎だった場所もそれなりに人がやってきては栄えて、それからまた人がいなくなった。

そして安らかに眠った。

長い長い人生の一番大きな後悔がなんであったかも思い出せずに。


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