「眠…」
昨日は深夜遅くまで起きていたせいで、あやうく寝坊するところだった。昨夜のハプニングは予想以上に私を疲弊させていたらしく、アラームの音にも全く気付かなかったのだ。これで起きられなかったとなれば、クロ先輩に合わせる顔がない。
やっちーが起こしてくれなければ確実に寝過ごしていただろう。今朝、食堂で会ったクロ先輩も何となく眠たそうだったからお互いに苦笑いしてしまった。何だかんだ最後は二人とも楽しんでいたから文句は言えないけど。
「本当なんスよ!旭さん!」
「わかったよ!わかったけど!何で毎回俺に報告するんだよ!?」
半分夢の中にいる気分で体育館へ入ると、合宿後半にも関わらず、今日も元気な先輩たちの姿があった。
「今回はホンモノですよ!」
「知らないよ!気のせいだよ!ホンモノとかいないよ!」
「だから、今回はガチだって言ってんじゃないすか!」
「朝から何モメてんだよ〜、お前ら」
「スガ!頼むから西谷を何とかしてくれ!」
前回の合宿の時にも似たような光景を見た気がする。しつこく旭さんに詰め寄るノヤさんと、呆れながらもどちらかというとノヤさん側のスガさん。楽しそうでいいなぁ、なんて思う私もまだまだ元気なのかもしれない。
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「食堂は涼しいなぁー」
皆がウォーミングアップをしている最中に、今日の分のドリンクを作るため食堂を借りて作業をしていた。冷房が効いていて快適に作業が出来ている。比較的涼しい地域にいるとはいえ、冷房がなければ生きていけないということを改めて思い知った。
「…ななし野?」
唐突に後ろから声を掛けられ、振り返る。前を向き、もう一度振り返って、凝視。
え、どうしてここにいるの?
それは向こうも同じだったようだ。予期していなかった邂逅に少し戸惑ったような空気を纏っている。
「なんだよ」
「あ、いや…おはよう」
「はよ」
静かにそこに立っていたのは、まさかの影山だった。動揺しまくって二度見した私に、怪訝な顔をしている。あの夜から、少しは前みたいに話せると思っていたのに二人きりになるとやっぱりまだ緊張が顔を覗かせた。
昨日は何だかんだで話しかけるタイミングがなかったし…!なにビビッてんだ自分!徐々にでいいんだ、徐々に!
そう言い聞かせて作業に戻り、なんとか平静を装う。
「こんなところでどうしたの?」
不自然にならないよう紡いだ言葉は、逆に芝居掛かったような気がする。影山はじっと自分の手のひらを眺めて、静かに口を開いた。
「手」
「…手?」
「菅原さんに汚ねぇボール持たされて汚れた」
「え!やだ、本当に汚い…!」
そういって私の使っている水道からひとつとばした蛇口を捻ると、こちらにぱっと手のひらを見せた。確かに黒ずんでいる。疑っていたわけではないのに、わざわざ見せてくれるとは思っていなかった。
そもそも手を洗うだけならもっと近くの手洗い場なりトイレなりあったはずだ。わざわざ食堂まで戻ってきたのは、もしかして私がここに居るから?…なんて、自意識過剰もいいところか。
「…ここまで遠かったんじゃない?」
「菅原さんにここの水道使えって言われたんだよ」
「そうなんだ」
ですよねー。影山がわざわざ私を追いかけてくることはないなんて、これまでの言動からわかっていたことだった。ちょっと自惚れた自分が恥ずかしくなって、言葉をとぎらせてしまう。
気まずいと思えば思うほど、顔色が気になって発言も慎重になっていく。いっそ黙っていた方がいいかもしれない。
そう思って黙々とドリンクを作ると、少しだけ心が軽くなった気がした。それにしてもスガさんはどうしてこの場所を指定したんだろう?
「お前、寝癖すげぇぞ」
「えっ、うそ!」
手を洗い終え、そのまま立ち去るのかと思っていた影山はまだ私の隣に立っていた。予想外の発言に大袈裟に驚いて、顔を上げる。ばっちり目が合った影山は私の頭に手を伸ばしかけて、やめた。代わりに指をさして教えてくれる。
「ありがとう、全然気付かなかった!」
今日は特に時間がなかったので髪型まで気が回らなかったのだ。そう言い訳して手ぐしを通し、マシになったか尋ねると影山は「ふん」と鼻で笑った。え、どういうこと?
「ていうか、影山も寝癖あるじゃん」
「…どこだ?」
「ここ…」
ぴょこんと可愛らしくハネて主張している髪の毛に手を伸ばし、ハッとする。さっき影山が躊躇ったのに、私は普通に触ってもいいのだろうか…。
あの一件以来、影山を前にするとどうしても思い出してしまうのだ。
思い出さないようにすればするほど、何度も何度もリピートされてより強固に、鮮明に、脳に刻み込まれていた。きっと彼はそんな発言をしたことすら覚えていないだろうけど。
不自然に固まった私と目があった影山は、一度目を伏せると、再び私の目をじっと見つめた。たまに試合中に見せる、研ぎ澄まされた空気を纏っている。そんな影山の瞳に不安な顔をした自分が映っていた。私、こんな表情をしてたんだ。
「どこだよ」
私の手が届くように少しかがんだ影山は、まるで私に触ってくれと言っているようだった。…いいのかな、触れても。
「ななし野?」
緊張しながら遠慮がちに、そのハネた髪の毛をつまむ。以前なら何も考えずに出来ていたことが、今はとても難しく感じた。
影山は片手で蛇口を捻り、手を水に濡らすと私がつまんだ髪のあたりをくしゃりと握る。……私の指も握ってるんですけど!
「あの、影山…!」
そのまま下に手を滑らせると、影山の掌には私の人指し指だけが残った。色んな意味でバクバクしている心臓が痛い。私がからかってあんなに真っ赤になっていた影山は一体どこへ行ってしまったのだろう。時々、突拍子もないことをやって私の心を乱すのに、それが何の意味もないのだとしたら相当質が悪い。
「悪い」
「いや、別に…大丈夫、デス」
そっと私の指を解放すると、影山はまた私の隣に佇んでいた。本当に色んな意味でドキドキするから、今はもう立ち去って欲しい。
そんなことは言えないし、多分赤くなっているであろう自分の顔を誤魔化す為に私は必死に話題を探した。
「…」
自主練の話は一昨日聞いたし、天気の話も影山には無意味だし、まだあの時の話には触れられない。私も影山も多分、お互いにその話題は避けている気がする。
ドリンクを作りながら、一向に立ち去る気配のない影山に「今日も暑いね」なんて結局どうでもいい話を振るしかなかったのだった。
「朝食ったパンが美味かった」
「うん…?」
「10個くらい食ったけど…いや、20か?」
「おお…」
「もう腹が減ってる」
え、何の話?
いきなりカミングアウトされた影山の腹事情に、私は何と答えればいいのか分からなかった。三度、たっぷり瞬きをする間、影山はただ私の手元を眺めている。
どういう意図が?もしかして、何か企んでいる?それとも寝惚けているのか?
そう思ったけど寝起きならともかく、もうすぐ大好きなバレーが出来るこの時間帯にそれはありえない気がした。
「昼はカレーが食いたい」
「え」
もしかして、気をつかっている!?そう言えば日向が自主練に加わった時、"影山が気を使うなんて"と言っていたことを思い出した。だとすれば、彼なりに話題を探した結果が食欲に結び付いたのだろうか?
何の脈絡もなくご飯の話をするなんて影山らしくないし……。既に頭の中は大好物のカレーでいっぱいらしく、どこか遠くを見つめていた。真剣な表情だけど、実はそうじゃないことが何となく分かる。
今にもヨダレが垂れそうになっていて、私は思わず吹き出した。
「ふっ…あはは!」
「な、なんだよ!?急に!」
「い、いやっ…カレーって!」
「ウマイだろうが!」
突然笑いだした私にびっくりしたのか、影山は目を丸くしていた。カレーが美味いことは私も知っている。何とか捻り出した話題がカレーって…!
こっちは身のある会話をしようと四苦八苦していたというのに。
私が何故笑っているのか分からないせいで、影山の頭の周りにはハテナマークがたくさん飛びかっていた。それすら何だかおかしくて、にやける顔を隠しきれない。あの王様が、私なんかに慣れないことしちゃって!
「いつまで笑ってんだ、ボゲェ!」
「ご、ごめっ…ふふっ」
いい加減しびれを切らしたのか、未だに笑い続けている私に大きな声をあげる。あ、何かこの感じ懐かしい!
この瞬間だけだとしても、昔みたいに戻れた気がして嬉しくなった。それは影山も同じようで、声は怒っているけど表情はそうでもない。
ちょっとだけ照れながら、唇を尖らせていた。
「…終わったんなら、持つ」
「ありがとう。半分は私が持つからね!」
「おう」
ドリンクの籠の持ち手をひとつ私から取り上げると、少し前を歩き出した。片方を持っている私は慌ててその背中を追いかける。
隣に並んだ時には自然と笑みが溢れていた。まだ完全に仲直りしたとは言えないけど、ゆっくり"信頼"とやらを構築したいと思う。
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午前の試合もほぼ負け続きで、ペナルティ三昧だった。ただ初日よりも、その次の日よりも、昨日よりも、少しずつ点差は縮まってきている。
お昼の休憩になると、一目散に食堂に走る中に影山を見つけてまたしても笑いのツボに入ったことは言うまでもない。絶対カレー食べる気だよ!
「あ」
「…こんにちは!」
ご飯も食べ終わり、暇をもて余した私は少し離れた校舎の裏にやってきた。手にはボールをひとつ。皆の姿を見ているとちょっとだけ私もやってみたくなったのだ。でも練習の邪魔はしたくないし、本当にちょろっとだけ遊びたかった程度だから一人でコソコソしているわけだ。
「研磨さんはこんなところでどうしたんですか?」
まさかの先客。休憩中はいつも姿が見えなかったけど、こんなところに居たとは…。もしかしてここは研磨さんのお気に入りの場所なんだろうか。
ボールを持って突っ立っていると、研磨さんはゲーム機から目を離さずに私の質問に答える。
「ここ、日陰だし涼しいし静かだから…」
「確かに」
さわさわと木の葉が揺れる音とセミの鳴き声はするけど、体育館の喧騒は聞こえない。ここだけ切り離された空間みたいだった。
木陰も多くて、ゆっくり休憩するには穴場だろう。
「で、やらないの?」
「えっ」
せっかくの安穏を邪魔したら悪いかも。そう思って立ち去るべきか迷っていると、研磨さんが静かに口を開く。
私が手にボールを持っていることに気づいていたらしい。チラリとこちらに視線を寄越すと、もう一度言う。
「バレーしにきたんじゃないの?」
「あ、そうなんですけど…研磨さんの邪魔になりませんか?」
「別に。気にしないからいいよ」
そう言った研磨さんは本当に気にしていないようで、既にゲームに夢中になっている。せっかくだし、研磨さんもこっちには興味がないみたいだし、私は少しだけお邪魔させてもらうことにした。
「っほ、とりゃっ」
研磨さんから少し離れた所で両手リフティングを試みる。前回はサーブをミスしてヒヤヒヤしたから、調子に乗らずに出来そうなことから始めようと思ってのことだ。
本当はスパイクとか打ってみたい!日向みたいな速攻は無理だけど、旭さんとか龍先輩みたいな力強いのを決められたら気持ちいいだろうな。けど、ノヤさんとか音駒の人たちみたいにしなやかにレシーブするのも憧れるしなー。生川の人たちのサーブも凄かった!
いきなりそんなに上達するわけがないのは百も承知。そもそも少しボールに触れたかっただけだし…!でもみんな凄いよなぁ。
ポーン、ポーンと地味にボールを打ち上げながら凄いプレイを思い出してはウズウズしていた。
「バッタがバッタバタ」
「ふげぇッ…!?あいてっ」
「!?」
うちあがったボールを目で追っていると、突然木の影からひょっこりと人が現れる。驚いた拍子にひっくり返った私の頭にボールが降ってきて、思わず呻いた。
「な、なに、今の…ブフッ」
そしてゲームに夢中になっていたはずの研磨さんは一部始終を見ていたようで、肩を震わせている。状況が分かっていないのは私だけだった。
「ごめん」
ぬっと私を覗き込んだのは、驚かせた犯人である福永さん。手にはバッタを持っていて、謎の発言はダジャレだったのではないかと推測する。ていうか、福永さんがちゃんと喋ってる…!
バッタを持っていない方の手で私を引き起こすと、若干申し訳なさそうな表情をしていた。
まさか私がひっくり返るとは思わなかったのだろう。それに関しては自分でも驚いている。
「…福永何してるの?」
研磨さんの問いかけに福永さんはバッタを逃がしながらネタ探しと答えた。一体何のネタを探しているんだろう?夏休みの課題か?
お尻についた葉っぱを払いながらケータイをスッと取り出した福永さん。ピコーンと私の頭上に豆電球が浮かぶ。
「もしかしていいの撮れました?」
福永さんはぐっと親指を立てて、その場にしゃがみこんだので私も倣って彼の目の前にしゃがむ。
「何?いいのって」
私と福永さんが座り込んで画面を覗き込んでいると、ゲームを中断した研磨さんがのそのそと私たちの輪に加わった。どうやら気になるらしい。
「ネコ…?」
「あー可愛い!このミケちゃん一回だけ見ましたよ!あとで送ってください!」
「オッケー牧場」
GWの合宿で福永さんと連絡先を交換して以来、たまに可愛いネコの写真か、音駒の人の面白い写真を送ってくれていた。何故かほとんどクロ先輩の写メとか動画だけど…。山本さんのモヒカンのアップが送られてきたときは流石に反応に困ったなぁ。
メールだと割と饒舌な福永さんと仲良くなるのは簡単で、自由気ままにネコの写真を送り合う中である。未だになぜクロ先輩ばっかり送ってくるのかは教えてくれないけど…。
「福永なんでこんなの撮ってんの…!」
「研磨さんの寝顔可愛い!」
「っ可愛いくないし!消して…!」
いつのまにか画像はネコから日常風景へと変わっている。音駒の皆でわいわいしている中に紛れ込んでいた研磨さんの睡眠中の画像に、声を荒らげる。この合宿中のものらしく、健やかな寝顔をしていた。必死に消させようとする研磨さんを意図も容易くかわす福永さんの表情は、どこか輝いてみえた。
「これ、昔の研磨さんと山本さんですね!?髪が黒い!」
「うわぁ…ホントに何で撮ってんの…?」
あとは黒髪の研磨さんと山本さんが何故かびしょぬれのものもあったし、どこで撮ったのか分からないような変な看板とか銅像とかは割愛。
かなり嫌そうな顔をしている研磨さんは、もう無理に写真を消させようとすることは諦めたようだ。
そして、見つけた一枚の写真に私は思わず問いかけた。
「これはクロ先輩ですか?」
「あ」
何故か焦る二人。うつぶせで顔は見えなかったけど、昨日間近で見たうしろ姿だった。これもふざけ合いの一環なのだろうか?頭を枕で包み込むように押さえつけている。何か聞きたくないことでもあるのか、それともこうして精神を落ち着ける人なのか。いずれにしても変わったポーズには違いない。
「先輩は何をしてるところなんですか?」
「…まあ、いつか分かる時がくるかもね」
「…?」
謎の答えに私はますます首を傾げる。
福永さんも何も言わずにス、と画面を変えてしまった。え、なにか見てはいけないものだったとか?クロ先輩の知られてはいけない秘密…?
すっかり意識がゲームに戻ったらしい研磨さんは、もう私たちから離れてゲームを再開している。
めっちゃ気になるんですけど…!二人とも明らかに態度がおかしいし、隠されると余計に気になるじゃないか!悶々としていたところ、福永さんに肩をとんとんと叩かれ振り返った。
福永さんはボールを片手に持つと私を手招きする。一気にテンションがあがり、我ながら単細胞だと思った。
「一緒にやってくれるんですか!?」
どうやら私のバレーに付き合ってくれるらしく、こくりと頷く。他校の先輩と、遊びとはいえ練習出来るなんて、本当に合宿様々だ!きっと日向や影山は羨ましがるだろう。…まあ、私はマネージャーなんだけども。体育の授業でバレーがあれば役立つくらいだけども。それでも嬉しくて急いで構えた。
そうだ体育祭はバレーに立候補して、この貴重な特訓の成果を発揮しようじゃないか!ひとり体育祭での自分の活躍を思い浮かべ、ゆるやかに飛んでくるボールに手を伸ばした。
「すいません、福永さぁん!」
「ほっ」
「あっー!?本当にすみませ〜ん!!すごいナイスレシーブ!」
「よっ」
「ふぐぁっ…!もう、マジですみませっ…!でもしなやかです!!」
せっかく福永さんがいいところに返球してくれても、私にそんな返球技術はなく…。あっちこっちへ飛ばしまくっている。イメージではとてもキレイな返球が出来るのに!
散々振り回してしまって申し訳ない!それでも、流石音駒のレギュラーだけあって息ひとつ乱さず涼しい顔で拾ってくれていた。音駒のレシーブには感服です!そして全然怒らない福永さんにも感謝しかない。
とんでもないところにボールを飛ばし、その度に謝罪と称賛を繰り返す私に、ついに研磨さんが呟いた。
「ごんべ子ヘタクソすぎ……」
合宿五日目"ネコバタ会議"
(イライラする、ボールかして)(研磨さんまですいません!!)(…研磨を動かした…)
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