愛嬌を振りまく





 結局、二人は私闘は校則違反だとして一週間呪術封じとお御堂掃除の罰則を食らっていた。
 この東京都立呪術高等専門学校は、呪術師の養成所というだけでなく関東一帯の呪術師が所属する呪術連の中核を担っている。そのため、高等専門学校自体はこの関東呪術連の建物を一部を借用しているという位置づけでしかないので、山裾に建築された敷地内は広大で様々な寺院が立ち並び、関東中の呪術師が出入りしている。

「あの五条悟が床磨きしてる!」
「いくら夜蛾さんでも、五条家の品格を落としたっつって暗殺されるんじゃね?」

 放課後、お御堂の床磨きをしている五条を見て呪術連に出入りしている呪術師たちが戦々恐々と囁き合うのを、わたしと硝子は何度み見かけた。
 なぜ、第三者である呪術師たちが掃除をする五条を見て戦慄しているかその時のわたしにはわからなかった。五条の傲岸不遜な態度からして、甘やかされて育ったのだろう。と生育環境については幾分か予想はついたが、実際のところはわたしの想像以上であった。


「五条悟はいわゆる、御三家の宗家の御曹司なのよ」
「なんです? それ。ポケモンですか。五条くんはシゲルだったんですか」


 違うわよ。と寮の談話室で寮長の庵歌姫先輩が突っ込みを入れた。庵先輩は最高学年の四年生であり、高専の数少ない女子生徒である。長く艶やかな黒髪の古風な神社の娘さんであり、任務中は巫女服で戦うのでその筋のオタクが見たら垂涎ものの萌えキャラである。

 とても面倒見の良い性格であり、入学式前日にどっさりとオードブルやジュースとお菓子を準備して歓迎会を開き「いつでも頼ってね」と言ってくれた。そのため、その優しさにつけいってわたしはたびたび高専での生活や任務、呪術界の噂についても聞いている。

「苗字は家入と違って、一般家庭の生まれだっけ?」
「ええ、まあ……」
「知らなかった、そうだったんだ」
 わたしは庵先輩や硝子の視線から逃れるように、斜め下を見た。
 庵先輩は、日本史の勉強になるんだけど――と話しを続けた。
「わたしら呪術師は欧州みたいに祓魔師としての地位が、宗教上確立してなかったからかなりマイノリティだったわけ。魔女狩りについては、聖職者の利権だとか統合失調症の排斥だとかで一概には呪術師の歴史として語れないんだけど……日本の場合は、呪術全盛は平安時代だったでしょ。大体、あの自体に貴族だとかになって、表の歴史で長い間地位と血統と家門を存続してる家が三つあんのよ」
 平安時代というと、ざっと計算しても千年以上前になる。この日本で、それだけ長い間血統と家門を保持している家など、数えるほどしかないのではないか。とわたしは途方のなさを実感した。

「それが、禪院家と加茂家と五条家。加茂家は苗字も知ってるかもね……安倍晴明の師匠よ。それから、五条家は苗字は変わってしまったけど開祖が菅原道真で、表向きは公家よ」
「ヒェ〜、想像以上のボンボンでしたわ!」
「菅原道真公が開祖って、またすごい呪術師」

 わたしも硝子も五条の血筋には驚愕を隠せずにいたが、それでも二人が驚いたポイントは違っていた。のちに知ったことではあるが、硝子は死後日本三大怨霊に数えられるほどの呪いに転じた菅原道真の術式を継承しているやもしれない。という一点に驚いていたが、わたしの場合は「あのグラサンヤンキーが千年続く公家のお坊ちゃん!?」という点に驚いていた。それは、どっぷりと呪術界で生まれ育った硝子と呪術界に疎かったわたしの差異だった。

「五条悟が生まれたときは、もう上に下に大騒動だったらしいわよ。五条家に数百年ぶりの神童が生まれたってね。五条悟のおじい様で、五条家の当主が目に入れても痛くないほど可愛がって、二人の息子すっ飛ばして五条悟が成人したら当主の座を孫に譲るって宣言するくらいだから、相当五条家の勢力では崇められる存在みたい」
「どうりで、夜蛾先生が暗殺されるって言われるわけですね」
 硝子が釈然とした様子で頷いた。
 恐ろしや、五条家のシンパたち。いまいち、呪術界の勢力図が想像できないものの五条家の当主の言葉や寵愛には神に等しい効力があるのかもしれない。そんな、五条悟過激派たちの反感を買うと理解しつつも、教師としての職務を全うするわがクラスの担任、教師の鏡なのかもしれない。わたしはちょっと担任教師を見直した。




 呪術界が注目する御曹司五条悟くんであったが、生まれと育ちに反してある程度の常識は持ち合わせているらしく某児童書のフォイフォイ少年のごとく「おじいさまに言いつけてやる〜!」といった幼稚かつ姑息な真似はしなかったようで、夜蛾先生は相変わらずピンピンとしていた。
 そして、初めての体育の授業。わたしたちは、高専の敷地内である浦山に集合していた。

「硝子ちゃん、今から何が始まるんです?」
「山ごもり? 滝行?」
「それ、山伏〜!」


 クラス内に女子が二人だけであること、わたしが物静かで硝子が比較的大人なので相性が良かったのかわたしたちはすっかり打ち解けていた。それは、二人の男子生徒も同じだったようで、水と油のようだった五条と夏油はすっかり友達らしくなっており、完全に女子と男子のグループに分かれていた。
 後に考えると、たとえクラスが違ったとしても二人は知己になっていただろうな。とわたしは思った。生まれ育った環境は違えど、五条と夏油は世界を左右するほどの力を持っていたし、お互いを信用していたからである。


「今日の体育では、お前たちの身体機能を測定する」
「術式じゃなくて、身体機能?」
 怪訝そうに五条が眉宇を顰めた。
「ただの五十メートル走や反復横跳びではなさそうだね」
 夏油が目を細める。
「今回は術式の使用はなし、ただし呪力の使用は可だ。今からこの兎たちを使って、鬼ごっこをする」
 先生の足元には、てん。と先生の身長の三分の一ほどの大きさをした兎のぬいぐるみが十二個鎮座していた。どれも女の子の部屋に飾ってありそうな可愛らしさだ。

「かわいー! うさちゃんですわー!」
 抱きしめようと手を伸ばして、気が付いた時には頬に衝撃が走りわたしは地面に仰向けに転がっていた。眼鏡が飛んだのか、視界がクリアだ。空が……青い……。何が起こったのか、と一瞬考えを巡らせ、頬の痛みでわたしは兎のぬいぐるみに殴られたのだと理解した。
「名前ー!!」
 ぎゃー! と悲鳴をあげた硝子がわたしを抱き起し、夏油くんが「大丈夫かい」と心配そうに手を差し伸べてくれた。五条は阿呆でも見るかのように、その青い目でわたしを見下ろしていた。

「普通、呪骸ってわかんだろ。馬鹿じゃね? だっせ」
 黙れマルフォイ。
「黙れよ、五条。名前はこのちょっと抜けたところが可愛いんだから!」
「苗字さんは、呪骸だってわからなかったんだよね? 痛かったね」
 硝子がハーマイオニーのごとく五条に反撃し、夏油は慰めてくれたがぬいぐるみに殴られたという衝撃と五条の阿呆を見る目は脳裏から離れなかった。それに、心なしか硝子と夏油くんにも小ばかにされているように感じるのは、わたしだけだろうか。わたしは眼鏡をかけなおし殴られた頬を抑えて、しくしくと俯いて泣きまねをした。


「えっえっ、お顔が痛いです……ぬいぐるみに殴られたぁ。お父さんにも殴られたことないのにぃ。せんせぇ、ひどいぃ……」
「す、すまん、苗字。術式が発動しているのを言ってなかったな」
 夜蛾先生の足元で一匹の兎がシュッシュッとシャドウボクシングをしている。恐ろしい、こんなファンシーな兎が目にもとまらぬ速さでわたしを殴るとは。
 入学式での学長の紹介によると、担任の夜蛾先生は呪骸操術の第一人者で呪術界ではその道の権威であるらしい。その厳つい容姿からは想像できないほど、可愛らしいぬいぐるみ自ら作り、呪骸として呪霊祓いに行使している。
 なかなか、先生の術式を見る機会がないためすっかり失念していた。先生の足元にぬいぐるみがある意味を考えるべきであった。
「呪骸操術でしたっけ? 術式にしては、呪骸がかなり可愛らしいですね」
「傑は直接、呪霊を取り込むからおどろおどしいやつばっかだもんな」
「でも、可愛くていいですね。先生の呪骸」
 立ち上がったわたしの泥を払いながら、硝子が言う。
「見た目はな。苗字を殴ったように、私の呪骸たちはスピードとパワーに長けている。今から呪骸を山に放つからお前たちにはこいつらを捕まえてもらうが、体術は達人級だから油断するなよ」
「術式なしだと、勝算が見えなくて不安です……」
「大口叩くじゃん、苗字。サポート役の家入は別として、術式があったら俺たちに勝てるとでも言いたいわけ?」
「そうは言ってませんけど? 五条君が勝手にわたしの言葉を拡大解釈しているだけですよね? わたしのことは意識しなくてよろしいです」
「誰がお前にこと意識してるって言ったよ、自意識過剰なんだよ。その眼鏡、呪霊よけじゃなくて呪力殺しの呪具だろ? 術式と呪力隠しちゃってさあ、すごい力持ってますってか?」
「五条、名前にうざ絡みするのやめろよ」
 硝子が間に入ろうとするが、五条はサングラスの下のその青い瞳でねめつけるようにわたしを見ていた。
 わたしは内心、冷や汗をかいていた。動揺を悟られないように、手と声の震えを押し殺しながら何としても眼鏡を死守しなければ。と眼鏡を固定する。眼鏡はわたしの本体、眼鏡はわたしのアイデンティティ、眼鏡なくしてわたしは生きてゆけぬのだ。
 なのに、傍観していた夏油が追い打ちをかけるように飄々と言いたたんできた。


「私も気になるな、苗字さんの術式」


 手を眼鏡から離せなくなってきた。
 わたしは生唾を飲み込み、苦し紛れにウフッと笑った。

「いやん! 二人ともそんなにわたしの素顔がみたいんですか? このムッツリ! だけど、ダメです! この美少女フェイスは、将来の彼ピッピにしか見・せ・ま・せ・ん」


「キモっ……」
 空気が凍った。侮蔑に満ちた五条の一言と、夏油のドン引きした顔、硝子の白い目、先生の困惑した顔。
 穴があったら入りたくなった。

「時間無駄にしたわ。先生、体力測定始めよ」



 この日以来、五条は眼鏡を外せと言わなくなった。

 一生分の恥と引き換えに保身を手に入れた日。